何だと!二人は無事か!小馨は!
学習学問所の方ではなく、黄家宅の方に通された、怪我の手当てが名目なので外傷軟膏、湿布、包帯持ち込みだ。
男手は万一に備え、薪を得物に中庭で防衛仕度だ。
黄の二人の姐は既に嫁いでいて、女手は現在居ない、母は他界していた。
なので背中の手当てに可馨が当たってくれる事は助かる事であった。
「骨に異常は無いみたい、ただ、黄、痣になるよ」
内硬功で防いだと言っていたが、そもそも背中では打点が分からない。
また、黄自身が今だ未熟の身、気脈で痛みを誤魔化しているだけが近い。
「黒三」可馨は最近使い慣れた黒靈を呼び出して黄の打ち身を舐めさせた。
鎌鼬の正体だ、痛覚を麻痺させる。患部の生霊を削り落とし、肉体の方を無霊状態にして痛覚を麻痺させるのだ、少しエグい術だ。
幸い皮膚は破れてはいない、湿布を貼り付けて治療は終わりだ。
「ありがとうございます可馨様、凄いですね、痛みが全くしません」
「経洛使いだから施術出来る治療法だよ、結構エグい術だからね。それより黄、大姐の意識が戻らない」
「!……やはりそうでしたか、倒れた直後に可馨様に替わられたので変だとは思いましたが、無事では有るのですか?」
「多分。大姐はたまに意識を深く沈める事が有るけど、それに近い。前に睡眠は二種類有ると考察したけど、そんな感じ。寝ているが一番近いかな、いや、気絶かな」
「今朝感情が不安定でしたが、関連が有るのでしょうか?」
「関連は有る。黄にこの子は心を開いているから伝えておくけど、この子は怒りの感情が抜けている。
この子はやけに呑気だったり、おおらかだったり、物怖じしないと感じた事は無いかな」
「有ります。ですが、小馨様は割と短気で怒りが無いとは思えませんが。昨日も父様に……」
「大姐は短気だよ、でも怒っている訳じゃ無いんだこれが。カッとするだけ。
昨日も文書殿に諭されて、やけに素直に聞き入っていたでしょ。
いつもそうなんだ、頭に血が登りやすい癖に怒っては居ない。何故だか分かる?」
「分かりません、何故ですか?今回の事にも関係が?」
「詳しい経緯は省くけど、私は黒靈術を使える。黒靈が私と同化しているからだけど、大姐はその私と半同化している。
黒靈ってのはね、雑多な死霊の集合体なんだけど、集合するのには共通感情が必要でね、私と同化した黒靈の共通感情が怒りなんだ。
つまり大姐は、怒りの感情が常に黒靈に引っぱられて鈍くなっているみたい」
「それでは倒れる直前に激昂したのは?」
「それ。この子は黄が血を流して激怒したの。それまでとても怖がっていてね、気脈が通ったから恐怖の感情が圧縮していて、とても不安定だった。
だからなのか、血を見て怒りが黒靈に圧縮されて後押しされたり、同じく圧縮されて引き摺り出されたりして、大激怒となった。意識を失ったのはその反動だと思う」
「なんと云う!こんなに小さなお体で、お痛わしい」
そこにいるのが可馨とは承知してはいたが、黄は小馨を抱き締めた。
「そう、黄。この子は黄を大層慕っている、だからこの子に呼び掛けて。
黄の呼び掛けは、私の耳を通じて大姐に届く筈だから」
黄の治療に託つけて人目を避けたのは、秘密の保持だけでなく、こうした理由からだ。
黄の小馨への呼び掛けは、傍目には異様だ。
小馨本人を目の前にして、ここには居ない者として語りかけるのだから。
こちらはこんな感じで収束した。
表の暴動も李昆以下二十二名の極拳士の働きにより粗方鎮圧した。
遨家が動くのはこれからとなる。
黄家への投石が止む頃には、李昆は屋敷へと急報を走らせていた。
縮地走神行歩を操れる上級拳士を繋ぎに走らせた。黒幇者の捕縛も粗方終わり、わざと逃がした身形の良い黒幇者に数名追跡を付けた。
李昆は細作の頭だ、実は小馨の護衛は四十名を越えていた、二十一名の極拳士ですら陽動に過ぎない。
異変をいち早く遠笛で李昆に知らせたのは、彼等細作だ。
二十名の細作に直接戦闘力はほぼ無い、吹矢術、指弾術、投擲術といった支援武技を操るだけだ。
代わりに消配、隠身、尾行、変装といった隠密術に長けている、その術は犬蠱の黒士すら欺く。
王家は代々細作の棟梁家だ、胡家荘が田舎の開拓村だった頃から代々だ。その技をその時々の権力者、実力者に売っていた。
李家はその配下家であった。
王家一党は伝を頼りに遨家に仕官したのだが、これは当主である京馨以下、数人の腹心しか知らない秘密であった。毋や奉可にもだ。
奉可はかつて自身の護衛を果たしてくれた李昆を護衛長としか認識していない。
この二十一名の極拳士もそれは同じだ。彼等は王派の同輩なのだ、細作では無い。
李昆の伝言を受けた王慶は、伝令の紀英と共に京馨の元に駆けた。本日は午前の功練総覧の為に極武館に詰めている。
巳の初刻(午前9時)に稽古開始なので遨家正門は辰の終刻(午前9時前)に開門される。
現時刻は辰の正刻(午前8時)を幾分過ぎた所で、開門前であった。
館主はまだ入館前の人気の無い武館最奥、祭壇前に座して神前挨拶をするのが習わしであった。
京馨は、遨家極拳総帥にして、極武館館主である。
神前に座している京馨に二人は雛歩(差手小走り、袖が風を孕み姿勢美しくが基本)で近寄る。
「旦那様、大事が発生いたしました、当、東南第三坊、商屋小通りにて暴動が発生し、奉可様、小馨様が暴徒に襲撃されました」
「何だと!」近頃感情の起伏を表に出すようになってきた京馨が怒鳴った。
「護衛の李昆から急報と救援要請です、詳細は伝令の紀が致します」
「二人は無事か!小馨は!」京馨にしては珍しく取り乱している、可馨の没後数年間には無かった事だ。
「無事で有ります、若様とお嬢様は、黄家に避難されています。暴徒供は撃退いたしましたが、何やら妙な人波でして、二波目の暴動が考えられます、その前に至急救援願います」
「紀英、妙な人波とはどうした意味だ、二波目とは?まるで暴動が誘発されている様に聞こえるが」
王慶が尋ねる、彼も詳細はこれから聞くのだ。
「はい、暴徒と申しましたが、ヤクザ者や労働者風体の者、浮浪者、無宿人ばかりなのです、比較的成りの良い黒幇者が暴徒を誘導していました。数名捕らえております」
「なんと、それでは其奴らは遨家と知って暴徒を操ったのか?馬鹿な」
「はい、恐らく若様……は偶然の同行ですので、お嬢様を標的とした暴動操作が考えられます。
ですので、一波目が失敗したので二波目の襲撃が考えられます」
「王!功練は中止だ!貴人責務の原則により遨家は暴徒鎮圧に向かう、手勢を集め次第に現地に向かえ、お前が采配せよ」
「分かりました、洛都治安維持警邏局には如何いたしましょう」
「いや、貴人を狙った暴徒襲撃ならば内乱罪だ、治安維持庁長官の郭殿へ(郭价の父)通報しろ、俺の官位と名を使え」
「了解いたしました、御当主様は如何為されますか?」
暴動鎮圧で私兵を動かしたともなれば、根回しをしなければ、最悪こちらが暴動首謀者にされかねない。これは当主である京馨でなければ出来ない。
だが、京馨はある意味真っ当な返事を返す。
「知れた事!紀!俺に続け!」
最愛の娘が危機有ると知って、座して待つなど京馨には出来ない。
僅かな供と一緒に京馨は駆けた。




