ぬ、これは暴動か?いかんな。
毋さま一行が出立した、連れの一行とは南大門で落ち合うとの事だ。
護衛や毋家商事用人、毋家用人、下人などでちょっとした人員となる。
旅なれた毋さまは騎馬も巧みだ、騎上の旅人となった毋さまを見送り、わたしも学門所に出発だ。
奉可さまも黄叔叔に久しぶりに会うために同行した。
言い訳だ、今日は午前の部の極拳鍛錬に母さまが総覧するので、付き合わされる事を嫌ったらしい、道々聞いた。
「兄さまは極拳鍛錬が嫌なのですか?」
半官半民とはいえ、遨家は三品官位の朝臣だ、嫡男が家業が“嫌だ”では済まされない。
「面と向かって聞かれると答え難いが、苦手だ。今でこそこんな体格だが、幼少事は虚弱でな、体を動かすのが辛かった。いや、言い訳だ、ハッキリ嫌だった」
これは意外だ、何故だろう。
「こんなに楽しいのに?わたしは多分一日中兎歩を踏めますよ」
兄さまも意外そうな顔だ。
「何でも、兎歩経洛に至れば楽しむ人も居るとは聞いていたが、小馨も兎歩経洛を踏めるのかい?」
「はい、昨日気脈が通り経洛に至りました、楽しかったですよ」
「何と、確か三月の末に養女としたと聞いたから二ヶ月ばかりの功練で成功したのか、驚いた。私は今だに至らないと云うのにな」
「毋さまもそう言っていました、本腰を入れて踏んでみようかと言っていたので、兄さまも一緒にどうですか」
「いや、私は止しておこう。こいつの修練で手一杯だ」
そう言うと、腰の剣をポンと叩いた。言葉程には重きを見て居ない様に見える。
近衛兵士である奉可は帯剣許可証がある。基本武器の類いは携帯に許可が必要だ。
一般人に許可など下りる訳も無く、猟師や警邏官吏に軍人、士大夫、官位保持者しか許可は下りない。
帯剣許可証は軍人、士大夫、有官位者のみで、猟師や警邏官吏は帯剣できなく、剣を背負いながら携行する。
尤も彼等の得物は棍か刺又で、剣は第二武器に過ぎない。
旅行者は護身用に一尺以下の刃物の携帯は許されている。ただ、許されているのはあくまで刃物であり剣は不可だ。
「立派な剣ですね、見事な鞘の造りです」
「元服時に父上から贈られた逸品だ、近衛兵士への仕官が内定していたからな。それより小馨、無理をしなくても良いぞ」
「無理とは、なんですか?」
「母上から聞いた、胡家荘では貧困していたと、教育も儘ならなかったと。
だから現在教育中で、おかしな言葉使いになっても大目に見ろとな。私は兄なのだから小馨の普段使いの言葉で構わないぞ」
色々と癖の有る義兄であるが、やさしい性根の人であった。婿入りしてしまったので、今ではあまりやり取りも無くなってしまったが。
「そ、それではお言葉に甘えまして。黄姐、大目に見てね、兄さまが構わないと言ったのだからね」
「小馨様、あまり羽目を外さない様に注意して下さいね。でも、朝からずっと御立派でしたよ、流石です」
「兄さまは軍人さんで、大層頭の良い人と聞いていたから、緊張はしてたんだよ」
わたしは人見知りなのだ、兄さまはおかしな人では無さそうなので、内心安心していた。
「はは、黄が教育係なのか、学が有るから打ってつけだ。文書殿が礼法を受け持つのかな、それに…李昆が護衛に付いていると言う事は」
兄さまは周囲を見回した、何だろう。
「若様、内密に願います。あくまで護衛は私のみと云う事で」
本来ならば、わたしが外出するのに徒歩は無いのだ。輿なり駕籠なり馬車なりで移動するらしい。
色々と理由が有るけれど、一番の理由はわたしに身分差を肌で覚えてもらう為だそうだ。
乗り物や人垣越しの対応では、わたし自身が何時までも下層民感覚が抜けないと危惧したらしい。
庶民に、手を伸ばせば触れる程の距離位置で有りながら、身分的に感覚的に距離を置く感性を養う為の教育だそうだ。
だから護衛一人従者一人の町歩きなのだが、何やら李昆兄に含みが有りそうだ。
(まあ、母上の事だからねぇ。大姐もその内分かるかなぁ、ヒントは黒士)
何それ?
少し考えれば分かる事だが、当時のわたしは分からない。いや、分からない感性だからこそ、王兄が危惧して母さまに提言したのだが。
大通りを左に曲がり小通りに入る。小通りとは言うが、そこは首都だ、道幅は二十丈(約46m)を僅かに越える。
黄学門学習所は小通りを三里(約1200m)程北に進んだ通り面に有る。
一等地だ、老舗の出版元であり、学門学習所は同敷地内だ。
異変は、李昆が気がついた。何かを聞き付けたのか、犬の様にピクリと耳が動く。ほぼ同時に黒士も反応する。
「若様、人通りが少なく妙な気配です、お気をつけを、三娘、お嬢様から離れるな」
「どうしたの李さん?確かに何時もより人通りが少ない感じだけど、それが何か?」
一行は立ち止まる、何時に無く閑散とした小通りだが、特に異変は無い……いや、
空気が、ザワリと音を立てた気がした、いや、足音、振動。10人20人のものでは無い。
「ぬ、これは暴動か?いかん、若様、お嬢様、お屋敷に戻ります」
そう言って右手で妙な仕草をした、
通行人に紛れて……いや行き先が同じ通行人と思っていた人達が集まってきた。矢鱈と早い、前に旱導師と母さまが争った時に見た縮地走だろうか、
つまりこの人達は極拳士だ。
「緊急事態だ、若様とお嬢様を、お屋敷まで護送する。近寄る者は排除しろ、殺しても構わん」
物騒な言葉に驚く間も無い、小通り小路から風体のよろしく無い無宿人や、浮浪者、土方風体労働者などがワラワラと涌いて出てきた。
「暴動?打ち壊し?にしては妙な人波だ、李、大通り迄の突破は無理だ、このまま黄家に避難だ」
軍人で有る兄さまは判断が早い。わたしは今だに情況が判断出来ないでいた。
ゾロリゾロリと人波が寄せてくる、わたしはゾクリとした。
暴徒の目の色が、落ちている、人の群れで目から色が落ちている所は、何度か見た。
無宿、無縁人狩をしている時の警邏官吏がそうだ、坦々と作業的に人を狩り、檻車に押し込める時の目の色だ。
つまり、この暴徒は、わたし達を狩ろうとしている。
わたしは、僅かに震えた。




