詰る所で、感情って何だろうね大姐
「誠に可丘殿は忙しない事だ、昨日平陳から戻ったばかりで、今日には出立なのだからな」
「いや京馨、済まない。建築部門を設立したばかりで何かと手間取っていてね、建設省に伝が出来たから活かしたいのだよ」
「父上は流石です、ですが働き過ぎではありませんか?お体が心配です」
遨家食堂だ。小馨を養子に迎えてから、京馨は私邸に籠る事が無くなり、本邸で過ごす事が多くなった。
可馨の部屋は本宅に有るのだ、だからで有ろう。
「は哈哈、可馨、これでも私は京馨の弟子だから兎歩は踏める、だから体調は良いのだよ」
「それだがな可丘殿、昨日小馨が気脈を通して、兎歩経絡を成功させた。極拳門を正式に潜ったのだ。どうだ可丘殿も身をいれて鍛練をしてみないか」
「ほう、それは凄いな小馨、才能が有るのかな」
「わたし一人では無理です毋さま。母さまや黄姐の指導が的確なのと、可小姐の助力のお陰ですよ」
「はて、小馨。随分と流暢に話せる様になっているけれど、何かあったのかい」
「それです、可小姐にも言われたのですが、兎歩経絡が、…気脈が通ってから、考えている事が滑らかに口から出るのです。可小姐は研究すると言っていました」
「ああ、矢張な。兎歩経絡を成功させると、たまにそんな門弟が出る、小馨もそうだったか」
「そうなのですか、母上。大姐は言葉の繋がりが即座に浮かぶと言っていましたが」
「大人になってから気脈を通した者は、言葉に変化は見られないが、年少者にはたまにいるな、フム、小馨、言葉の繋がりが浮かぶのだな」
「はい、それに集中力も増すみたいですね」
「ああ、昨日は驚いた、半刻程兎歩経絡を踏んでいたぞ、気脈を通したら一気に慣らす様にしているから観ていたが、余りにもキリが無いから止めた位だからな。
うん、集中力に問題が無いなら強兎歩に進むか」
「本当に凄いな小馨は、私も真面目に踏んでみようかな」
朝食は済んでいる、食卓を囲み団欒だ。それぞれに給士がついて食後茶を堪能している。
黄を始めとした侍女が給士をしている、可馨の事を承知している面々だ。
日常生活を送るにあたり、可馨の事は何時までも内緒には出来ないので、信頼の置ける者は内向専属侍女とした。
当然だが守秘契約を個別に成されている。
毋は天湊に出掛けてしまうが、京馨は比較的暇だ。
午前の一般門人の稽古を総覧して、午後は内弟子の功練を観る事になっていた、必要に応じ課題を出す事もある。
「そうだ、小馨。午後の功練観覧が終われば少し時間が取れる、鍛錬用着を新調しようか、黒武道衣は正式門下の証だし記念でも有る。
そうだな、拳士礼装も作るか今後必要となる。許、霍を呼んでくれ、それから霍が来たら黄以外は下がってくれ、極拳関係の話をする」
「母さま、拳士礼装とは何ですか?わたしはまだ拳士ではありませんし」
極拳では発経を果して拳士と目される。なので昨日兎歩経絡を成功させたばかりの小馨は拳士ではない。ただ、正式に黄門下とは認められた。
「何を言うか、小馨の成長は早い。小馨、発経を果たしたら正式に俺の直弟子にする、黄共々鍛えるぞ、楽しみだ」
そこに霍家宰がやってきた。
「旦那様、お呼びでしょうか」
「ああ、今日は午後から小馨の拳士礼装を見立てる事にした、時間調整をたのむ。それから生地は絹にしたいから、絹生地見本を商屋に持ってこさせてくれ、小馨と選びたい」
「かしこまりました。それから拳士礼装を仕立てると言う事は、つまり……」
「ああ、近い内に内弟子一同に小馨を紹介する。こちらの調整も頼む」
こうなると母さまは止まらない、あと、聞かない。
わたしが言うのも何だけど、母さまはたまに子供っぽくなる。
“かしこまりました。楽しみです”と、感想を交えて返答し、霍家宰は退出した。
「どれ、披露目に何もしないのも面白くないな、初等演武をやらせるか。黄、どう思う」
「老師、良いお考えとは思いますが、内弟子一同と仰いましたが、それは、つまり」
「ああ、こうして既成事実を作っていく。俺の監督下で披露目や式典を重ねて行けば、いずれ直弟子にするに反対も出ないだろう」
これには、流石にわたしは言葉が詰まる。直弟子云々は、わたしのやる気を出す為の方便だと思っていた。
「……ありがとうございます、母さま。……ただ、何故そこまで母さまはわたしに良くして下さるのですか……?」
「うん?何故とは」
「わたしもだんだんと遨家の家格や規模が分かってきました、三品官家としての格調も。養女として置いて下さるのは、可馨様の事も有るので、まだ理解できます」
……感情が……
「ですが、極拳の、しかも総帥である遨老師に直接教えをいただける厚遇が分かりません……何故ですか?」
母さまは呆気に取られた顔したのは、後にも先にもこの時しか記憶が無い。
フッと気持ちが凄く和んだ、母さまは割と剽軽だ。
「何を言っている小馨。お前が望んだ事だぞ、“強くなりたいと”だから俺は全力で強くする」
「それは……そうは言いましたが……」
(うん?大姐、貴女どうしたの、感情が滅茶苦茶だ)
わからない、何か感情が、昂ったり、萎えたり不安だったり、嬉しかったり、落ち着かない、流される、怖い!
(落ち着け!そうだ、私と替われ、ここなら落ち着ける)
「………!………!…………」
「どうした!小馨!」
「小馨?いや、可馨か、何が有った」
「クウッ……落ち着いてきました、驚いた」
「可馨か、どうしたのだ小馨は、様子が急におかしくなったが」
「母上、これは仮説なのですが、兎歩経絡の弊害なのだと思います。
大姐の言葉が急に滑らかに出る様になったのは聞いての通りですが、本人曰く言葉の繋がりが即座に浮かぶとの事です。
なので言葉の繋がりの様に、気持ちが昂ると感情も次々と繋がってしまうのでは」
「ああそうか、成る程。気脈を通すと感情が不安定になる者も居るからな、特に年少者に多い。今は落ち着いたのか」
「今は私が体を動かしているので大丈夫です。
替わった直後は大変でし………何故大変なんだろう?」
「可馨?」
「あ、いえ、大姐なら落ち着いています、騒がせて申し訳ないと詫びていますよ」
「可馨、何か気が付いた事が有るなら教えてくれ。年少組の指導でたまに有る事だが、事情を尋ねても要領を得なくてな。
日を重ねれば発症しなくなるが、対処法を知りたい。当主資料にもそこまでは載っていないからな」
「対処法…は兎も角、私が体を替わった時に感じたのは、感情の濁流?でしょうか、喜び、疑問、驚愕、不安、和み、感嘆、尊敬、否定。これらが一気に来たのです、なので、対処不能の恐怖感が心を占めました」
「……小馨はそう感じていたのか」
「いえ、母上少し違います。圧縮された感情そのものに圧倒された感じですね、それぞれの感情は誰しも持つ物です。ですが、短時間で一気にまとめてとなると堪りません。それより……」
「さっきの言いかけたやつか、可馨、何を思った」
「何故、体を引き継いだ私が、感情まで引き継いだのか、ですよ。
普段私は多分大姐の心に居ます、大姐の見聞きした物は私も見聞きします。
大姐の発した感情は感じます、同様に私も感情を発します、別人格だから当然なのだと思っていましたが……」
「よくわからない、何が言いたい」
「体を引き継いだ私だけで無く、肝心の大姐も、心に意識を移動した直後に落ち着きました。
つまり、感情は心が発するのでは無く、体の方が発するのではないかと、そう考えたのです」
(長いよ可小姐、つまりどゆこと?)
「うん?分かったような分からない様な話だな、つまり?」
「つまり、私にも分かりません。要研究ですね、考察がまとまったら発表します」
「しかし、可馨が大層聡明だと云う事は分かったよ、大したものだなぁ」
結局の所は何一つ解決していないのだが、答えられる者もまた居ないのだから仕方ない。
そこに再び霍家宰がやってきた、奉可の帰宅を告げに来たのだ。




