母さまは、22~3才かと思ってました、驚!
毋さまは、目から感情の色が落ちる時が有る。
わたしが、最も警戒する目の色だ。
わたしに対してはそれは無い。
感情が落ちる無色の目になる時は、いつも可小姐と会話している時だ。
表情は穏やかだし、物言いも優しい。だけど、たまに目の色は落ちる。
この時もそうだった、でもそれは僅かで、すぐに目に色が戻った。
可小姐は父親っ子だ、実業家の毋さまは、公人である母さまよりは時間の都合がついた様で、かなりの時間を過ごしている、可小姐の最期も看取ったとも聞いた。
可小姐が、慕う気持ちも分かる。分かるから伝えにくい。わたしが言い難くそうにしている事は可小姐も分かるので、それ以上はわたしの心を読もうとしない。
「まあ、座れ。飯にしよう。許、給仕を頼む」
席を囲む、昼食の前菜が運ばれてきた。
本来ならば、あまり褒められた事ではないけれど、わたしは母さまと会話をしたかったのだ、だから話かける。
「母さま、今日は、黄叔……じゃなく、黄学師……でもなく、黄老師から大切な事を教わりました、わたしは、知っているつもりで
何も理解していない事を知りました」
「無知の知か?黄文はそんな難しい事を教えているのか、うん、黄文の敬称が老師に代わったのもそれ関係か」
母さまは黄叔叔の事を黄文と呼ぶ。別に軽んじての事ではなく、母さまが張姓だった当時、二字名の短縮呼びが流行ったそうだ。
母さまは張京、毋さまは毋可といった具合だ。
「うん、尊敬した。母さまの次くらいに。とても大事な事をわたしに分かるように教えてくれた。黄姐の家族は皆頭が良い」
「嬉しい事を言ってくれる。どんな話だ、黄文はやたらと頑固だからな、俺とは二つ三つしか年が違わない癖に、爺ぃ臭いのが珠にキズだ。
黄もあまり親父を真似るなよ、頑固者ばかりが増える」
いつの間にか黄姐が許侍女と交代して控えていた。それより。
「母さま?黄叔…黄老師はけっこう歳だけど、母さまとは年があまり違わないって、どういう意味?」
「うん?どうもこうも言った通りだ。今ここに居る中で、俺が最年長者だぞ42になった。可丘殿は30か、お互い歳をとった」
「ええぇ!」
驚いた、本当に驚いた。わたしはてっきり何処かに消えた母親と同じ位だと思っていた。
「なんだ、俺が若いと思っていたのか、いくつ位だと思っていた?」
何時もの悪戯小僧の目をしながら聞いて来たので、思っていたまんまを答えた。
「20~うーん2、3才位だと」
消えた母親は通称年齢が22、3才だった。
母さまは若造りだとか、化粧上手だとかそんなのでは無く、肌が若く小皺、白髪が無いのだ。
「はは哈哈哈、小馨、京馨には元服済みの長男が居る、22、3では今の小馨の歳で産んだ事になる」
「あっ」
そうだった。奉可さまは17だと聞いた。だからえーと。
指折り数えてみる、暗算は苦手だ。
「すると、奉可さまは母さまが25の時の子供だから、毋さまが13才?」
この頃のわたしにはピンとこなかったが、母さまは、遨家の家督を継ぐと、直ぐに毋さまを婿に迎えたと聞いている。
家督は今のわたしと同じ、17で継いだので、婿入り当時の毋さまは5才だ。
……士大夫階級や高位官位ならば、無くも無い年齢差だ。ただしそれは男女逆だ。
しかも亮順さまの縁談を蹴って、広州に追いやっての事だから、色々と尾ひれがついたのだ。
当時のわたしは、単純に母さまの若さに感心した。
「極拳士は皆若いのだ、初代遨蓮明様は100迄総帥で在られたと聞く、没年は敢えて墓誌に記されなんだが、120は越えられたそうだぞ。秘密は兎歩経絡だ」
「……それで旱導師も」若いのか、と言いかけて母さまが言葉を被せる。
「それは違う、あの導師は左道の邪法で若い。この間打ちのめして解った。いや、厳密にはそう見えているだけの爺ぃだ、あれでも導師位だ、兎歩経絡を修めている、ただ継続はしていない」
「?母さま、兎歩経絡とは兎歩の事でしょうけど、継続って?修業をサボっていると云う意味?」
「フム…おい黄、最近の小馨の兎歩はどうだ、血色、肌色、眼力、俺には合格点をやれる功練と思えるが」
功練とはこれまで積み重ねてきた鍛練と云う意味だ。
「はい、本日の鍛練時に報告しようと思っていたのですが、小馨様は内絡を整えられた様子。兎歩経絡を踏まれても問題有りません」
「ならば、後で観てやろう、小馨、ここでは不味いから詳しく言えないが、兎歩経絡の不継続とは、まあ広義ではサボる意味だ。だが、導師は敢えてしない。理由は、左道関係だろうな。
兎歩経絡の功練の後、強兎歩の功練となる訳だが、小馨。兎歩経絡を修めると世界が変わるぞ」
何時もの悪戯小僧の目をしながら、母さまはそう言った。
兎歩は言うなれば健康法で、やろうと思えば誰でも出来る。正しい指導を受ければ、健康所か、体の老化が遅くなり、結果長生となる。
兎歩経絡は、道家や極拳の基本修業だ。兎歩経絡を踏めると云う事は、少なくとも道家、極拳の門を潜ると云う事を意味する。
正に世界が変わるのだ、これより先は門人として目される。わたしは特殊な立ち位置では有るが、遨家極拳直系、黄派門弟となる。
「さあ、話が一段落したら食事。仕入れてきた蘇、醍醐を味わってくれ、研究させた」
毋さまが勧める蘇や醍醐とは、乳製品で独特の風味が有り、わたしは好きだ。
後で聞いた事だが、この時毋さまは、開業北部の平陳区にある乳製品加工協同組合の視察から戻っていた。
組合に出資する為だそうだが、本来の目的は街道整備計画に伴い拡大する、市場の商品調査であったそうだ。
元々平陳区は乳製品の生産が盛んであったので、生産量を増やすべく出資者を募り出資したのだ。
他にも街道沿いの市、街、村から特産品を見本として購入していた。
ただ、わたしが乳製品を好むと知った母さまが、毋さまに早馬を飛ばして大量購入させたらしい。
本当に、母さまはわたしに激甘なのだ。




