みんな頭が良いんだねぇ、いいな。
「ねえ、黄姐。下の子達は何故こちらに上がってこないの?」
「小馨様、私の事は黄と、もしくは黄侍女とお呼びください」
黄姐は困った顔だ。屋敷内では黄姐と呼んでいたが、外では駄目らしい。
「何で?入口の所に李さんが居るから、ここには黄姐とわたししか居ないし?」
「小馨様、李の事も呼び捨てに願います」
わたしみたいな子供が、立派な大人を呼び捨てになど出来ない。遠慮が有る。
わたしなりに同行者である李昆さんを観察したが、特にわたしに敵愾心や悪意、害意が無い事は分かっている。
黄姐の修行仲間と云うので、初めから警戒はしてはいなかった。
ただ、何と言うか母さまや黄姐、王家宰とは雰囲気が違う。
ハッキリ言えば、武道家らしくない感じだ。
いや、隙があるとか、物腰が軽いとかではない。極拳士としては多分黄姐より強い。
上手く言えない、けど違う事は違う。
悪い人間では無いと思う。
どうやら子供好きらしく、賄食を作りがてら菓子などを作り、下人の子供達に分けていた。
わたしも貰ったが、本職の菓子職人並みの出来映えだ。
……わたしも口が肥えた。甘いお菓子などつい最近初めて食べたのだけど、良し悪しが分かる程度に食べ慣れてしまった。
母さまが、わたしに激甘なため、わたしがお菓子を好むと分かると、糸目をつけずに届けさせるのだ。
菓子の類いは、疲労回復の簡易食料となるため、武館経営の遨家には複数菓子店が出入りしているのだ。
考えが逸れてばかりだ、だって計算問題は詰まらない、面倒だ。
黄姐を困らせる積りもないので、かなり時間を掛けて計算する、勿論口を動かしながらだ。
上の部屋、下の部屋と言ったが、本来は下の部屋が学問所で、こちらは来客室だそうだ。
まだ面識が無い義兄、奉可様が通っていた頃にやはりこの部屋で過ごしていたと聞いた。
そう言えば、奉可様はわたしに会う為に休暇を申請中だと聞いた。
皇帝陛下直接指揮下にある禁軍近衛兵にあるため、禁城の近衛兵舎に普段居住しているそうだ。
年に数回休暇を貰い、実家へ戻るそうだけれど、是非わたしに会いたいと聞いた。
母さまが禁軍武術指南の為、お城で対面しているのだ。何でも可小姐のお葬式以来、あまり実家に寄り付かなくなったらしく、今年は正月に三日帰省しただけだとも聞いた。
「ねえ、黄姐。奉可様がわたしに会う為に休暇を申請していると聞いたけど、いつになったのか分かるかな?」
「黄とお呼びください。いえ、旦那様や霍家宰から日時については未だ聞いてはおりません。軍部の予定も有るので、申請即休暇とはいかないようですので」
「あれ?黄姐、ひょっとして怒ってる」
「怒ってはいません、わたしの事は黄と呼んでください」
まだ付き合いは短いけど、黄姐は頑固だという事は分かっていた。
頑固さは黄叔叔譲りだろう。ただ、わたしとしても大好きな黄姐を呼び捨てにしたくない。だから聞けない。
質問を変えてみよう。
「なら、奉可様の事を聞かせて。可馨様からは当たり障りの無い事しか聞いてないから、イマイチ人柄が分からなくて」
黄姐は可小姐がわたしに宿っている事を知っている。旱導師が絡んでいる事も。
「小馨様、可馨様の件は口外なさらずに。旱導師の評判は良いものではありませんので。
奉可様、妹思いの優しい方です。ただ、多少ずれた所が有るお方でした」
「どんな所が?」
「可馨様は、読書を好まれたのですが、体力的に長時間の読書は出来ませんでした。そこで奉可様が代わりにご自身の蔵書を朗読されるのですが……内容が」
「?なにか不味い内容の本なの?」
「不味いと言うか、軍学書なのです。戦術書の時も有りました。戦史が多かったと記憶しています」
今にして思えば、小姐の嗜好本からしたら、余程真っ当で上等な内容だと思えるのだが、当時は小姐の嗜好は理解していない。
その頃のわたしは、軍学書、戦術、戦史書と聞いても、難しい学問書位にしか理解しておらず、“可小姐は難しい話を聞かされていたんだな、大変だ”位にしか思わなかった。
それから、義兄さまは大変頭が良いと誤解してしまった。
小姐の兄なのだ、興味の方向が違うだけで、根っこは小姐と同じだ。つまり軍事関係のアレな義兄さまだった訳だ。
「みんな頭が良いんだね、黄姐なんて本を書いている位だし、母さまも沢山の書類を読み書きしているし、凄いね」
……まあ、子供と云うのは残酷なものだ。無垢な言葉というのは堪えるらしい。黄姐はがっくりと、うなじを垂れた。
驚いたわたしは声を上げるが、黄姐は曖昧に返事を返すだけだ。
下の生徒を見て回った黄叔叔が上がってきた。
「どうしたのだ、胡娘。階段の所まで声が届いたが、立場有る身代は取り乱してはいけない」
「ああ、叔叔、なにかわたしが酷い事を言ったみたいで、黄姐が……」
「いえ、小馨さま大した事では……」
「胡娘、侍女は仕える者、呼び捨てになさい。もしくは役職で呼びなさい」
怒られた。どうやら黄姐と呼んでは駄目らしい。でも、呼び捨ては嫌だ。
「翠朱、いや、黄侍女。従者が思い違いをしてはいけない。主の温情に甘えてはいけない。主に心配させるなど論外だ」
当時のわたしには、それが正論とは思えなかった、だからカッとした。
「黄姐は悪くない!叔叔は何で黄姐が悪いように言う!」
この言葉に、黄文書は威儀を正す。
「胡小馨様、この世にある全てに、身分があり、身分に伴う立場が有るのです。君は君たり、臣は臣たり、親は親たり、子は子たりです。禽獣の類いですら序列は有るのです」
「上位の者が下位の者に阿ってはいけません、下克上の土壌を作ってはなりません、国が乱れ危うくなります」
当時は大袈裟だと思った、遨家の三品官位を、わたしとは無関係と思っていた事も由来する。
ただ黄叔叔は、わたしを正そうと真摯に言葉を紡いでいる事は分かった。
母さまと、長い付き合いになるだけの人物だ、言葉は素直に響いた。
だが、
「大好きな人を呼び捨てたくない事が、そんなに悪い事だったの?」
論点がずれているとは思ったが、零れてしまった。




