微妙に普通な青年
肉眼目視と云うのは妙な感覚だ。視界という限れた視点での情報しか情報処理理解が及ばないが、その情報密度は濃厚で、それぞれの憑依黒靈の擬似視界とは違い、極端な例では景色に色彩が溢れ、光が眩しく見える。
これが当たり前だと云う事は、実はつい最近知った事だ。
生前の私は光が織り成す色彩を知らなかった。白子という生まれついての病のせいか、人物景色は陰影の濃淡でしか知覚できず、光を認識できなかった。
いや、盲いているのではない、陰影なのだからそれは光の産物なので厳密には光を知覚しているのだが、私の感覚では紙面の文字や挿絵と大差ない、墨跡的視覚情報でしか周囲を認識できなかったので、特に光を実感していなかったし、またそれしか視界世界を知らないので、特に不便は無かった。
黒靈の擬似視覚は、これはこれで妙なもので、全方位が分かる、見える。ただしそれでは注意が散漫とし、逆に物が認識し辛いから、意識の前面に視面を注視してものを見ている。
色を知ったのは、黒靈の記憶や同調視界からで、それまで書籍からの知識としての色彩が、ようやく自己の認識と繋がり、おそらく黒靈の記憶している色彩が私の色彩基本として定着した。
つまり、それまでの陰影風景に着色された訳なのだが、それはつまり超写実的な風景画、人物画を見ている様であり、やはり光を感じるものでは無かった。
光の景色は、大姐に同調………いや同化し初めて知り、その濃密な色彩は目眩を覚えるほどであり、初めて景色を美しいと感じたのだ。
光とは、光有る景色とはこうも美しいとは。
大姐の身体を借り、眼を開く度に感じるのは、色彩の洪水による軽い興奮と、見える物全てへの興味だ。
………だから、久しぶりに面会した兄の風貌も、また興味の対象となった。
「少々痩せられましたか?いえ、逆ですね、肥えられましたか?一体どうなされたので?」
兄の奉可は元近衛兵士であり、鍛練からそれはそれは筋肉がついていた。
元より大男の類いでは無い、父母共にどちらかと言えば小柄な体躯であり、その遺伝宜しく平均的な身長である。
だから、余計に筋肉質が目立ったのだが、なにやら現在の奉可、衣服越しの姿では筋肉特有のゴツゴツとした様子格好では無い。
どちらかと言えば筋肉が落ち、痩身化した様に思えるが、その実目方は増えている。
「一目で分かるか、流石は可馨。実は兎歩経絡に至ってな、そのせいか何故か筋肉の肉が落ちたのだが、目方は増した感じだ。
感じでは肥えたとは違うな。と、言うか肥えたと言われたのは初めてだ、何故可馨は太ったと感じたのだ?」
「何故?とは、そのまま見た通りで……いや確かに矛盾と言うにもあまりに滅裂とした感想でした。でも、外見上の痩身より余程兄上の質量が以前より増して見えたので……ひょっとして……」
そう言葉をとぎると、可馨は何時もの如く思考に没頭する。そして大姐と呼ぶ大家の意識に呼び掛けた。
ー大姐、少し三に意識を移すね。だから兄上をよろしく。
どうしたの急に。奉可兄さまとは久しぶりの面会だから身体を小姐に譲ったのにさ。
ーそれは済まない、一寸した思い付き。いやね、身体の感覚に意識が引きずるなんて事が有るのかを実証しようかと。
何?それ?
ー大姐もさっきまでの兄上との会話を聞いていたでしょ、私は何故か兄上を肥えていると感じた。でもそんな筈は無いの。つまり大姐の視点で兄上を私が見ていたのだとしたら、それが肥えて見えていた理由になるのじゃないかと。
?奉可兄さまは太ってないよ、むしろ痩せた感じだけど。
ーほう、大姐も兄上が痩せて見えたと。………私の目(肉体的な視界は小馨)にはやはり太い様に見え……いや感じるよ。
ふうん。まあ良いや、代わるね。
可馨は意識を三に移し、三の視点からしげしげと奉可を見やる。
「今、小馨に代わったね。なんとなく雰囲気が変わるから分かるよ」
「そうなので、流石は奉可にいさまです。屋敷の人でも(実情を知っている父母や黄以下数名の内侍従)言葉を交わさないと判別が付かないのですよ」
「毎日顔を合わせていたらそうかも知れないな。何と言うか、表情……かな?ごく微小な変化に違和感を感じると言うか………」
「それは初耳ですよ、にいさまが婿入り(嫡子縁組前に奉可は斯波家に婿入りしている)前にはその様な話はなかったと思いましたが」
「そうなんだ。そもそも視力……だけじゃないな、聴力、嗅覚なんかも鋭く……いや、鋭いと言うのは違うかな、感じかたが深くなったと言うべきか。やはり兎歩経絡が原因だろうか、表情の差異なんかが感覚的に分かる。小馨の時はどうだった?」
「わたしの時は、いきなり世界が開けた感じで、徐々に五感が鋭敏になる感覚ではなかったので分かりません。
でも、にいさまの言わんとする事は理解できますよ、可姐がわたしの感覚器官を弄った時、経絡回路の動きが見える様になりました。なので視覚的な変化は体験済みなので」
「………今、サラリと凄い事を口にしていないか?経絡回路の動き?経、絡、が見えると?」
「………かあさまから口止めされていました、にいさまも今の話は忘れて下さい。申し訳ないのですが、遨家を離れたにいさまが背負う情報ではありませんでした。ごめんなさい」
「いや、小馨の言は尤もだ、母上からの御達しならば当然だ、私は今の下りは忘れよう。
ただ、小馨。門外漢となった私には今の情報の重要性は分からないが、遨家当主の母上が小馨に口止めを命じたのなら、その情報は門外不出とすべき秘匿事項なのだろう、口を滑らせてはいけないよ」
「申し訳ありません」
小馨は略式ではなく、正式謝礼で奉可に詫びた。大袈裟な様だが、小馨は場合によっては奉可の命を縮めかねない秘匿情報をポロリと洩らしてしまったのだからこれは当然だ。
経絡回路を経由する、経、絡、の動き。これが目視出来るのならば、指導的な意味ではこれ以上ない教範であり、早くとも三年はかかる経絡回路開通に感覚的でない口頭指導が可能となる。
現に小馨は三月程で兎歩経絡に至っている。
更には経絡拳士との対戦に於いて、相手の経絡の動きが分かるのなら、虚実攻防が読めるのだから優位どころではない状況に持ち込める。
高位経絡拳士にとって、それは垂涎どころではない技であり術だ。
市井の民間人が、経絡は目に見える。と宣った所で聞き入れる経絡拳士は居ないが、元遨家嫡男がそうだと言えば、話は違う。
最悪遨家極拳が割れる。いや、他家経絡拳士も、経絡寄りの左道家も情報公開を求めて遨家争乱に介入し、墨家の妖怪が暗躍する未来が容易に予想出来る。
だから、そうした注意を受けていた小馨は素直に詫びたのだ。
「だが、そこまで義兄(小馨は養女であるが、まだ嫡子縁組はしていない、胡姓でも分かるように、小馨から見て奉可は義兄である。小馨の嫡子縁組後では実兄となるが、実は、奉可は斯波家と既に嫡子縁組を果たしているので、法律上は赤の他人のままだ。方や胡姓から遨姓に、他方は遨姓から斯波姓にだから当然だ、姓を別つとはそう云う大事であるのだ)である私に気を許している証であるのだから悪い気はしないよ」
場の空気を軽くするためか、奉可は軽口めいた台詞と共に笑った。この辺りは近衛兵士だっただけはあり対応は上手い。
小馨が、それに何かを言い掛けた所に可馨が意識を小馨に戻した。
ーつまりはそう云う事なのよ!絡、が、兄上の魂を太くして、それを大姐が観て取っていた、三の視覚から見た兄上は微妙に普通な青年のままだった!つまり、大姐は私の介入無く経絡……いや経は兎も角、自然と絡の所在を観ていたのよ!
微妙に普通の青年って。可姐、いささか口が悪いよ。
小馨が嗜めた。小馨は別に奉可が嫌いな訳でも性格が合わない訳でも無いから、可馨の物言いに障る物があったのだ。




