え?河南語で話してたのか?
「これは良い、わたしの丈に合う物は無いか」
東海人の着衣の袴だ、一目で気に入った。
善順の行者衣装用に見繕ってもらったのだが、わたしが欲しくなった。
構造的には筒裾下衣なのだが、巾が広い、片裾に両足所か胴が通る程広い。
そう、この下衣ならば歩様が知られず、また盗まれない、裾巾に完全に歩様が覆われてしまうのだ。
「胡様の背丈では、成人男子用ではなく少年用ならば収まるのでは」
取り寄せて貰い上から着用してみた、見た目は長裙なので違和感が無い。
むしろ善順が一見すると妙な見た目となるが、行者衣装と割りきれば、これはこれで似合ってしまっている。
まあ行者にこれといった服装規定が有る訳でもないので由とする。
礼装の方も見立ててもらったが、こちらは可もなく不可も無しだ。やはり剃髪が似合わない、南遨家の家系は見目は良いのだが、剃髪系は合わない様だ。
件の少年用の袴だが、少し丈が長いので裾上げをしてもらう事にした。
代金は全部で金一両だ、大負けに負けてもらった事は分かる、輸入品の下衣二着と成人男性礼装一揃えだ、周家に感謝だ。
そんな事をワイワイとしていたら、あっと言う間に一刻が過ぎた。
「しまったな、警邏局に行くつもりがこんな時刻か、今から出ても受付終刻限になってしまうな」
聞いた話では役所関係の庁舎は天湊街のほぼ中央、親王行政府区域内との事だ。ここからなら半刻は歩くそうだ。
昼飯を食べ損ねた勘定になるが、お茶やお茶受けが豪勢だ。
周延殿が毒味を兼ねて食するものだから、応礼で口にしなければ無礼に当たる。
ので、皆してお茶を呼ばれていたら特に昼食は不要になったのだ。
歓迎宴は戌の刻(午後七時~)から開催されるのが普通だ、まだ二刻程時が有る。
「七日の間に申請を済ませば良いのですから、明日にされたら如何でしょう、書類一式は揃っているので、後は善順様本人確認で手続きは終わります。
そうですね、申請予約だけでもされて来ては如何でしょう」
「申請予約とは?」
「はい、州をまたいで奴隷取引するに、一人だけを連れ歩くのは合理とは言えません、なのでまとまった人員で移動するのですが、警邏局に飛び込みで申請しても、人数的に受付時間内に間に合わない事も有るのですよ。
そこで事前に申請予約をしておけば指定の時間に本人確認をしてもらえます」
さらりと奴隷売買の話が出たが、別に人身売買は違法では無い。周家では取り扱い商品に奴隷も有るだけの話だ。
さて宿なのだが、香湊本店と違い、こちらは店舗だけなので周家経営の宿、広州大飯店へ宿泊の運びとなる。
来客の宿泊は全て広州大飯店へ案内するそうで、歓迎宴もそちらでやるそうだ。
繁華街の宿で広州料理が売りだそうだ。
「ならば、予約を済ましておこうか。済まないが周殿、宿に案内を頼みたい、行政府の警邏局にはそれから向かおう」
「はい、それが宜しいかと、申、胡様をご案内してくれ、それから警邏局の道案内を頼む」
申と呼ばれた番頭の案内で、周物品卸を後にした。小者が二人付き、荷物を運ぶ。
道々何故か善順に感心される。
「胡様、流石で有ります。わたしも育ちは良い方だと思っておりましたが、それが自惚れだった事を思い知らされました」
?何の事やら、妙な事を言い出したな。
(洛都の流行……講談説話の事かな?それとも殿下と面識を得ている事かな)
「ああ。まあ、あまり吹聴しないでくれよ」
取り敢えず、適当に流す。
「胡姐、随分と長い事支店長さんと話されていましたが、どんな内容だったのですか?それから今どちらに向かっているのですか?」
「え?」
(え?)
「広州大飯店とは聞き取れましたが、胡様は広南語だけでなく河南語も堪能なのですね、まるで現地人の様に話されるので驚きました」
「はい?」
(何それ?)
「広州の人は割りと河北語を話すので会話にはなりましたが、全く話せない人もいたので少し難儀しました」
「ああ、それはねマルコ殿、広州には河北からの移住民が多いからですよ。政争を嫌ったり、政争に破れた貴人が一族を引き連れて移住するから、元々の広南言語より河北語の方が普及してるんです。
斯く言う私自身、河北語が主で広南語はあまり話さないのですよ。なので普通に広南語で会話する胡様には驚いた物です」
善順はマルコ君を殿呼びする。上位認識している様で何よりだが、それよりも
「周延殿は河南語を話していたのか?」
二人して不思議そうな顔をする。
「いえ、初めの内は拙い河北語でしたが、胡様が周殿が溢す河南語に応答されるので、いつの間にか河南語で会話をされていました」
「?……広州までの道中で胡姐はあらゆる方言や言語で応答されていましたから、それ程気にも止めてはいませんでした、語学に堪能なのだと」
小姐、これは一体?考えたらそうだ、中原全土では言語がいくつも分かれている、何で話せる?
(わからん、うん?前にマルちゃんが“この体になってから、細かい発音が出来る様になった”と言っていたね、左道関係かな?)
それよりも、洛都を出立して二月半、わたし達は全然疑問に思わなかったのか…………
(思う訳無いじゃん、普通に行く先々で会話出来てたんだから)
……それもそうだ。よし、小姐、原因を研究して。左道関係で話せる様になったのならば、小姐の管轄だ。
(まあ、良いけど優先順位が低いから解明は先になるよ)
うん良いよ。はい、解決と。
小姐との会話は一瞬の事だ、難しい事や左道関係は専門家に任せるが一番だ。
「まあマルコ君、そんな所だよ。ああ、それで支店内で皆して大人しかったのか」
呑気な物だが、他言語を現地人の様に話せるとは、途方も無く複雑な術である。
思考とは言語と言いきれる程相互の関係は深い。
人は考えるに当たり、通常使用言語で思考する。感情では思考しないし、出来ない。感情で出来る事など、精々な所で思考の方向性を定める程度だ。
なので黒靈も動物靈ばかりの集合体では使い物にならない。
言語思考が出来ないからで、指示の意味がわからないからだ。
実体があれば体教できるが、霊体では不可能だ。
黒靈術は対象使役黒靈に人霊が含まれている事、または使役慣れしている犬狗霊が含まれなければ使役出来ない。
少し逸れた。つまり、小馨は他言語会話の度に思考自体を対象言語でしていた訳で、当の本人もそれになんら違和感も感じずに行っていたのだ。
あまりこの術に重きを置いて居ない様子では有るが、この先々でとても重宝する術で有る。
広州大飯店は問屋街から少し離れていた。道々善順やマルコ、道案内の申番頭などと会話をしていると、件の大飯店が見えてきた。
大酒店、大飯店、と言うと酒屋や飯屋の様だが、いや、実際に酒屋や飯屋なのだが、宿泊施設も完備している店舗は、大酒店や大飯店と通称的に呼ばれている。
一行は広州大飯店へと入っていった。




