何はともあれ、お帰り可馨
南大門から遨家まで二十里(約8㎞)だ、呂逹の進言に従い、十名の護衛と身軽な用人とで騎上の毋を囲み駆けた。
その他荷物運搬、雑役下人、毋の替え馬などは後発で帰着する事にした、足の速さの違いもそうだが、目標分散の意味もある。こちらは暴徒に襲われたら、荷物を捨てて逃散する様に命じた。
道幅百八十丈(約415m)の大通りだ、暴徒を潜ませ様が無い、暴徒は勿論、特に巡回警邏官吏にすら誰何される事も無く、毋一行は遨家に無事到着する。
するが遨家大門の物々しさ、大通り面に続々と置かれる死体に驚愕する。
暴動鎮圧用の武装警邏隊士が、およそ百名程で遨家門前を警護していた。
門脇に何やら設営している。
隊長とおぼしき警邏隊士が、毋一行を認めると近寄ってきた。
「毋可丘殿ですね、無事で何よりです。
私は治安維持警邏局中央本部第一武曲所属、臨時警邏中隊隊長、文仁徽。
臨時大隊指揮隊長、郭价副総監の命令により、貴家御嫡男、御息女殿を護衛し、遨家に無事護送しました」
そう言うと拱手の略式礼を文は取る。
「それでは既に娘達は保護されて………文中隊長殿、家人が大変お世話になりました。ご恩は忘れません」
安堵した毋も略式礼で返礼した。余談だが、略式礼に正式礼を返すは過礼となり、揶揄されたと取られる事もある。
「役儀ですので、毋殿には御気遣い無く。御嫡男殿と御息女殿は、趣閣授講堂にて控えられて居ります。毋殿を、案じて居られました」
「文中隊長殿、細やかなご配慮かたじけなく。しかし隊長殿、遨家の敷地内建屋名を承知されているとは、もしや?」
「はい、小官も遨家門人ですよ、一般門弟で安派です。いや、それより最近では毋殿の主宰する佛道説話講義の方に通って居るので、それで建屋名を覚えているのです」
月に一度、毋の旦那寺から学僧を呼び講義を行っていた。
話が固くならない様に、釋尊一代記説話を講談仕立で講義していた。
お寺から反対意見も無いでも無かったが、毋の喜捨額は膨大だ。結局布教の一環として認められた。
元の説話を本職の講釈師に監修させ、また実際に講義をする学僧に話術を伝授してもらい、楽しく聞いてもらえる様にしていた。
講義の日は一般に門戸を開放し、無料で受講出来る様にした。
受講と言うが、これは娯楽講談に近く、また茶や菓子を配るので、初めはこれ目当てで受講者が集まった。
只で聴ける娯楽講談として次第に人気が出て、今では受講日は大盛況だ。
毋の旦那寺の総本山でも採用され、講談仕立て説話、経文は次々と作られ、布教の一助となる。
本来の趣閣授講堂は、極拳史料館兼研究集会所で有ったのだが、老朽化により建て直した際に大人数が講義可能な建屋にしたのだ、毋の意向も有る。
つまり説話講義は趣閣授講堂で行われていたのだ。
話が反れた。
「文中隊長殿、御伺いしますが、門脇大通りに並ぶ躯なのですが、これは一体?」
当然な疑問だ。娘達の安否を気にしながらの帰宅だ。治安維持庁への通知はなされたとは聞いていたが、救出はこれからで門前の警邏隊はその為に派遣されたと思いきや、娘達は既に救出されていると云う。
よくよく見ると、門脇に躯を並べているのは遨家私兵の様子だ。
腐敗防止の為に生石灰を丹念に撒いている。躯にもだ。生石灰は水気を含むと高熱を発する、それが腐敗を防ぐ。
「内乱に荷担した暴徒達です。見せしめに晒すとの事です。警邏の小隊を駐留させ監視させるので門脇をお借りしています」
門脇の幕舎設営は駐留用だった。これは治安上当然の措置だ、死骸を盗みにきた賊遺族や、死骸を喰らう犬狗などを追い払う為にも必要だからだ。
「すると既に暴動自体が鎮圧されたのですか、流石は中央所属の精鋭隊の皆様です、心より感謝いたします」
毋は差手礼にて隊長の文や幕舎設営中の警邏隊士に傾頭しかけるが、文に止められる。
「いえ、毋殿、現場に大隊が着いた時には既に暴動は鎮圧されておりました。遨家御当主様と、高弟一門衆が居られましたので、遨様が独力で鎮圧されたのでしょう。我々は現場の始末と、御嫡男様方の護衛に付いたに過ぎません。
それより毋殿、御息女殿が大層案じて居りました、安心させては如何でしょうか」
元からそのつもりの毋は、文隊長に引率され遨家正門に向かう。
隊長自らの引率誘導だ、一行を誰何する者も居ない。
本来ならば毋の身分証、随員の身分証を確認の上、現在の遨家留守居人に確認をとらねばならないのだが、そこは毋を知る文が気を効かせ、門前まで一行を案内した。
そして一礼をして警備に戻る
大門は閉じられている、脇の通用小門からの帰宅となった。乗馬を下人に預け毋は趣閣へ急ぐ。
授講堂と名付けられた事から知れる様に、建物は講堂様式だ。変事に対応可能な様に、遨家当主代理として奉可が詰めている。さしずめ緊急連絡司令本部だ。
「奉可、無事で何より」開口一番毋は安堵を口にする。
「父上も御無事でしたか、大変案じて居りましたが、この場を離れる訳にもいかず、出迎えにも行けず大変無礼をば、いっそ門前に詰めていれば、こんな無体な真似をせずに済みました物を」
何かズレた感じだが、奉可はこんな人柄だ。
「何と剛胆な、表の躯の数に私は胆を冷したと言うのにな、流石は遨家男児だ」
「いえ、そうとばかりも言えません。私の油断から小馨侍女の黄に手傷を負わせてしまいました」
そこに脇から弁解が入る。
「それは仕方ありません兄上。兄上は黄家門前の商人達の避難誘導に尽力していたのですから。
父上、兄上は立派でしたよ、流石は最精鋭の近衛兵士、暴徒に怯む事無く弱者保護に努められました。
その後黄家門内で男手を糾合し防衛指揮を取られました。見事な将器でしたよ」
毋の声を聞きつけて、可馨が衝立で仕切られた架設隣室から現れた。
現在邸宅の方は男手が足りていなく、遨家正門に警邏中隊が護衛している極武館側の敷地が安全地帯であった。
黄以下内向侍女もこちらに詰めており、居住区画側の警護は霍第一家宰、白第二家宰が自ら下人を率いて指揮を取っていた。
余談だが、初出の白第二家宰は遨家管財人であり、幼少時の毋の財務指南をしていた。
鶴の様な痩身で、仙人を思わせる人物である。
会計出納管理だけでなく、遨家の蓄財管理まで委託される信認厚い老翁だ。拳士では無い。
「可馨や、よくぞ無事であった」
毋にしては珍しく感情的に小馨を抱き締めた、元より毋は感情を表に出さない質である。
生前より父に抱かれた覚えの無い可馨は驚くが、満更でも無くませた物言いで切り返す。
「今日はよくよく抱かれる日です、黄に、母上に、それに父上と。いえ、兄上は遠慮して下さいませ、その筋肉では潰されてしまいますので」
「はて、可馨は毒を吐く妹で有ったかな、歳月と云うものは酷い物だな」
「女は一朝にして化ける物ですよ兄上」
「なにはともあれ、お帰り可馨」
毋の言葉に二人は首を傾げる、こんな所はよく似た兄妹である。
「いえ、お帰りなられたのは父上ですが。そう言えばご挨拶がまだでした。
父上、お帰りなさいませ、御無事な様子で何よりです。主不在で心細く思って居りましたが、父上がお戻りになり安堵いたしました。
兄上も当主代理、お疲れ様でした」
本当にませた子だ。毋はわだかまりが氷解する想いを感じながら、そう思った。
100話到達です。前作突撃砲兵では二章内で達成出来なかったので感無量です。
これからも応援お願いします。




