6.07 無防備な長男は陰謀のコマ
綾小路さんが俺を九条家へ遣わした意味がわかった、俺は知らない冒険者から付けられている。
九条家でおじいちゃんの執事さんが九条さんを探していると焦った様子でにじり寄ってきた。なんでも2週間前に会合があって出かけたと情報をくれたが、だれと会うまでは教えてくれなかった。
『――ネオジパン党かもね』
「なにそれ」
幸永と洋介は今、ハナねえとさっちゃん、それにマイと合同して一週間前に畿内地方本部の依頼で南海道にある和歌山平野の現況中期調査に出かけている。
『そうなると今に受けているこのクエストも怪しいのだけど、ある程度の成果を上げておかないとだめなんだろうね』
「考えすぎじゃない? 畿内地方本部は前から旧和歌山市を復旧したいじゃなかったのか?」
『そうだけどね。でも九条さんは山城地域の次に大和地域を平定したいって言ってたからねえ。
その彼女が依頼したとは思えなかったんだ』
「じゃあ、なんで受けたの?」
『ターちゃんの話を聞くまで私も怪しんでいただけ。
だけどこれでハッキリとしたことがあるんだ』
「なに?」
『畿内地方本部――この場合は鎌本さんというべきかな?
あの人はなんらかの目的があって、私たち当代勇者を山城から引き離した』
「そういうものか?」
『ははは。ターちゃんは相変わらずお気楽なものだね』
「うるさいやい」
『とにかくだ。その綾小路さんの言う通りに、彼女以外からのクエストを受けちゃだめだよ』
「うん。そうする」
『こっちはとっとと和歌山城迷宮を二の丸まで調査して引き上げるから、合流するまでになるべく単独行動しないように』
「はいよ」
『気を付けてね。ママも警戒しているけど亀岡盆地の戦い以来、ネオジパン党とギルドの動きがきな臭い』
「わかった」
幸永との通話は有益と言えばそうだけど、なに一つよく理解できたことがない。
昔から俺は幸永と正重が得意としている分野である政治とか、戦略とか、謀略とか、そういうものにはまったく興味がなかった。
そんなことを長所としなくても、採取ができればこんな世の中を生きていけるのだから、俺が生きるのに困ることがない。
寝るまでに通話やメッセージを入れてみたものの、九条さんとは連絡が取れなかった。
ひょっとすると彼女は早めの就寝かもしれないと勝手に解釈した俺は明日に再度チャレンジしてみようと諦めた。
――そんなお気楽な俺だから敵から見れば、鴨が葱を背負って来るようなものなんだろうな。
『タローくんですか?』
『はい?』
綾小路さんに九条家の運搬クエストを報告しようと 早朝に洛中ギルドへ行こうとしたときに、駐車場で3人のエルフさんが俺を待ち伏せていた。
エルフはみな美人なものだから、見分けがつきにくいと言われているが、エルフと長い付き合いのある俺はなんとなくわかる。
このエルフさんたちとは初対面だ。
『あなたに会えばフェアリー様と会えるって本当ですか』
『あ、まあ。そうですね』
さきほど話しかけてきたエルフもそうだけど、このエルフも同じ表情をしている。
虚ろ目で俺を見ているようで見ていない。しかも腰にいるリリアンに気付いてもよさそうなのに、彼女たちは崇拝する妖精を見ようとしない。
こいつらはなんか変だ。
『あ、フェアリー様だ』
もう一人のエルフがそう呟いてから、俺に抱きついてくる。
体温が高く、なんだか柔らかい体付きしているので、せっかく鎮めた早朝の生理現象がまた復活してきそうだ。
なにが起きたのかがよくわからないまま、そのエルフから口づけされた。
彼女はなにかを歯で破ってから、なにかの液体が俺の口の中に流れ込んでくる。ほのかに滲むそのよい香りはワインの匂いに似ていた。
『タロット! 気を付けて、ドワーフの酩酊酒よ』
リリアンの叫びを理解しようとしたときに、最初に話しかけてきたエルフがかすかに笑ったのが見えた。
『睡眠』
――あれ? 俺はよく寝たはずなのに、なぜ眠たいって思ってるのかな?
『うそー、リリアンの誘導が効かないなんて――』
リリアンがなにかまた叫んでいるらしい。
だが眠気が急速に襲ってきた俺は、それがどういうことかが全然わからなかった。
――二日酔いで頭が痛い。
この感覚は卒業の日に尚人たちと飲み明かした日以来だ。
まどかが酔いつぶれていて、熱いとか唸りながら服を脱ごうと暴れたところへ石原さんがゲンコツを食らわせた。ピンクのブラジャーがやたらと眩しく見えた当時の俺は、純情そのものだったと今は振り返れる。
——そういう思い出はいいとして、今の俺はどこにいるのかな。
「リリアン、ここはどこ?」
妖精からの返事が聞こえない。どういうことだろう。
『リリアン、どこにいるの?』
『フェアリー様はここにいない』
声がするほうに頭を向けてみると、そこにいたのは俺にキスしたエルフ。
初対面のエルフから思い込みを受けてしまうほど俺は良い男じゃないはず、このきれいなエルフになにかが起きてるのかもしれない。
『来なさい。ご主人様が待っているわ』
「……」
たぶんなにを聞いてもまともに答えてくれそうになかったので、今の状態を知るために、ついて行ったほうがいいだろう。
「収納箱――あれ?」
「魔法は封じたの、使えないはずよ」
——なんだ、このエルフは日ノ本語が話せるじゃないか。
素早く自分の体に目を通す。
Tシャツとトランクスの下着姿以外に、手首に増えているのは凝った装飾で飾られた腕輪だ。魔法が使えないというなら、それはこいつのせいだと嫌でも理解させられてしまった。
「ねえ、ここはどこかな」
「ついて来なさい。ご主人様が待っているわ」
——だめだこりゃ。話にならないじゃなくて、話ができない。
窓が全くない薄暗い廊下を歩いていく。
このひんやりとした空気はここがどこかの建物の地下階だと直感で理解できた。
「入りなさい。ご主人様が待っているわ」
「ども」
扉に入るとそこはおじいさんたちが座って、俺のことをジッと見てくる。
美女に見られるなら嬉しく思うけど、死にぞこないおじいさんたちに見つめられてもただ気持ち悪いだけ。この差はなんだろうなとため息が出そうだ。
「連れて来ましたわ、ご主人様」
「ご苦労。後ろで控えていろ」
「はい」
俺にキスしたエルフがだれかと話してた。
その声は昨日に聞いたばかりだから聞き覚えがあった。
「寝覚めはどうかな、太郎ちゃんよ」
「なんでしょうね。
九条さんにそう呼ばれるのは嬉しくなる時もあるんだけど、あんたにそう呼ばれると虫唾が走るんだわ。
畿内地方山城地域探索協会鎌本副会長代理さん」
悪役のおっさんがにやけた顔で声をかけてきたので、憎まれ口の一つでもくれてやろうと思った。
「長えよそれ。気安く鎌本様って呼んでくれていいぜ、太郎ちゃん」
『タロット!』
「太郎ちゃ……ん」
女性の声がした。
一人はパートナーで、もう一人が昨日から俺が探している人だった。
「九条さん! リリアン!」
部屋の奥でなぜか魅力的なボディラインを薄着でさらけ出す九条さんがつらそうな顔で椅子に座っている。
右手の手首には彼女に似合わない、派手で煌びやかな腕輪が鈍い輝きを見せている。
確信できることだが、あの腕輪は俺がつけられた腕輪と同じ、なんらかの良からない効果があるに違いない。
リリアンのほうは小鳥を飼うような檻に入れられて、九条さんの横にある椅子に置かれてた。
「かっちゃん。これはどういうことですか?」
「――はははは! オレ様をかっちゃん呼ばわりかよ、ガキ以来だな。
だからお前のことが好きだぜ、太郎ちゃん」
「あいにくとこっちは好きになれそうもないなんですけどね。
どうも拒否権がありそうにみえないので、黙って帰してくれたら、ここのことは黙秘しておきますよ」
「っぶ——ぶあははははは! 愉快なやつだなおい。
なあ、オレの部下にならねえか?」
「……たろうちゃ……ん、にげ……て……」
九条さんは激痛を耐えるような表情で、俺のことを心配してくれてる。
心がズキズキと疼いてくるけど、リリアンを失い、魔法すら使えない俺が彼女になにができるのだろうか。
「しぶとい女だぜ九条よ。
てめえは意識を残したままでヤってやりたいから、瀕死の状況で従属しなかったけどよ。
その根性、嫌いじゃねえぜ」
「……従属? そんな魔法なんてないぞ」
「ああ? はははは、太郎ちゃんはお母様から教えてもらってねえってか」
「なに?」
「あるんだよ、それが。
まあ、魔法じゃねえけどよ――おい!」
驚愕する俺を無視して鎌本は後ろに立つエルフを呼び寄せ、その体を抱きしめてから右手を掴み、俺へ腕輪を見せつけてくる。
「これはなあ、エルフが術式を込めた従属の腕輪と言ってよ、本人の意識を無視して、こうして従順になんでも聞いてくれるんだぜ」
鎌本が荒々しくエルフの胸部を揉みしだいてる。その醜悪な構図に俺は思わず目を背けてしまった。
「太郎ちゃんは勘違いしてるけどよ、この術式を作り上げたのはムスビとお前のお母様、それに当時オレらといたエルフなんだぜ?
あれは傑作だったよ。この術式の仕上げになにを使うのか、お前は知ってるか?」
「知るか、クズが!」
込められるだけの憎しみを鎌本へ吐き捨てた。やつは俺に答えずに抱きしめているエルフへ声をかける。
「教えてやれ、お前の腕輪になにが刻まれているのか」
「おねえちゃん……おねえちゃんの血……おねえちゃんの命で……従属の腕輪が完成する……」
「――クソたれがあああああっ!」
産まれてからこれほど怒りを感じたことがあったのだろうか。
あのエルフは無表情のままで、涙が止まることもなく流れ続けている。どれほどの悲しみが流されていたのか、俺には知りようもなかった。
「はっはー。怒れ怒れ、怒るならムスビとお前のお母様に怒ってやれ」
「ムスビおばちゃんとかーちゃんがお前みたいなクズみたいに喜んでやったわけじゃないはずだ!
モンスターにも劣るゴミが人間の言葉を喋るな! おこがましいわ!」
「……なあ、太郎ちゃんよ。オレはお前みたいなやつは嫌いじゃねえ、これは本心だ。
お前を見ているとオレの若い頃を思い出してよ、なんでも噛みついた頃にな」
「黙れっ! 俺はお前と違うわ!」
「もう一度だけ聞いてやんよ。
なあ、オレの手下にならねえか?」
「寝言は寝てから言え! だれがお前みたいなクズの下につくか!」
「そいつあ、残念なこったあ……
――なあ、ムスビぃ」
正面にある垂れ幕が開き、そこにあるモニターに映ってるのは心配そうに見つめるムスビおばちゃん。
泣き喚くように見えるかーちゃん、そしてかーちゃんを取り押さえて、怒りの気配を見せているオヤジだった。
「向こうからの音声は切ってあるのでな、あいつらしか聞こえねえんだよ」
「なにがしたいんだ、お前は!」
「答えてやってくださいよ、前原のじっちゃんよ」
俺からの問いかけに答えることなく、鎌本は一番手前に座っているおじいさんへ話しかけ、そのおじいさんが俺のほうへ喋ってくる。
「……ふん、世界の本来のありようを理解もできない子供が喚くだけか。
いつの世だってお前みたいな無知な子供を生かすために、わたしらが苦労していることを その少ない知能でしっかりと理解するがいい」
「さっさとくたばりやがれ!
世の中を食いつぶすだけで役にも立たない老害どもが!」
「なにぃーーー」
「ぐわはははははーーっ!
気が合いそうだぜ、太郎ちゃんよお」
「鎌本くん、くだらないことやってないで、早く勇者アスカたちを従属させなさい!」
——クソじじいが今なんて言った? かーちゃんたちを従属させるだと?
「はいはい、音声オンっと。
――これで喋ってもこっちは聞こえるぜ、ムスビ」
『成長するどころか、鎌本くんは人間が生きながら退化する貴重な人種ね』
ムスビおばちゃんは良いことを言う。
鎌本のクソ野郎はちゃんと捕らえて、人類が退化しないようにモルモットとして、研究所へ送ってやらねばならん。
「はんっ! 好きに言ってろよ。
後で九条と一緒に可愛がってやっからよ、さっさと腕輪を嵌めろや。右と左の両腕な」
『鎌本おー、前原あ、藤田あ! うちのタローちゃんに手を出したわね?
滅ぼしに行くからそこを動くなっ!』
「か、鎌本くん!
早くなんとかしなさい!」
前原というクソじじいがかーちゃんの殺気が込められた迫力に情けなく身震いして、鎌本に抱きつかんばかりの体勢で寄っていくが、鎌本は面倒くさそうにクソじじいの頭を押し返した。
「アスカはあの頃のままだな。
――まあいいや、お前らがやらねえなら、ガキからやらせてもらうわ——中島」
鎌本に呼ばれたのは大津ギルドの元支部長、やつはなぜか憎々しそうに俺を睨みつけてくる。
——恨みを買った覚えはないんだけど。
「ムスビぃ、アスカぁ、ユウキぃ。ガキの死に目に会うのが嫌ならとっとと腕輪を着けろよ。
それと当代勇者の分も送っておいたから、従属したらちゃんとあいつらにも付けさせろよ?」
『……』
「お前らにはこれから、日ノ本帝の国を復興させる大事な役割があるからな。
もちろん、命令するのはオレだけどよ。はははははっ!」
『……』
「はん! 返事もしないのかよ。
付け方を忘れたのなら思い出させてやる。
――中島よ、やってやれ」
かーちゃんたちは悲しそうな顔をするけれど、動こうとしない。
俺のことは大事と思っているはずなのに、動かないのはなにか理由がある。だがそれを考える暇は中島の野郎が与えてくれなかった。
――頬を殴られた俺は一瞬で壁と激突した。
目がチカチカする。
鼻と口から液体が流れ出す。
なにが起きたかを確かめる前に腹部へケリが入った。
蹴られた俺は天井まで吹っ飛んでいった。
視野がもうろうとして、今はどこにいるのかがわからない。
痛いのか、熱いのか、なにがなんだかもう、全然わからない――
薄れていく記憶の中、リリアンが手を伸ばして俺を掴もうとする。
床を這いずる九条さんが俺を助けようとする。
モニターの向こうでムスビおばちゃんも、かーちゃんも、オヤジも泣いていた。
机の角に頭をぶつけて、眩しい光でなにも見えなくなった俺に懐かしい声が聞こえてくる。
『ここから先、ボクに任せてよ』
ああ、この声は確か人生で最初にできた親友の声――俺、もう寝てもいいかな――
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