4.15 諦めの長男は家族に反抗
若葉ちゃんの妹君である涼音ちゃんは今年で御年9歳。
ただいま美味しいご飯とデザートを完食し、帰って来なかった姉の心配で泣きに泣いた目を閉じて、新しくできたお友達のリリアンちゃんと、筵のような敷物の上で仲良くお休み中。
俺がご飯を調理している間、先に火力の調整可能な火魔法で、これまたアイテムボックスに常備する風呂釜でお風呂を沸かしてから、姉妹と妖精が闇夜の中、熱いお湯で久しぶりにゆっくりと浸かってもらった。
灯りとなる篝火なんてしない、幼女たちにそんな灯りは必要ありません。月明りの元で彼女たちが着替えにしたのは、俺がアイテムボックスに用意してた交換用のTシャツだ。
「今日は本当に色々とありがとうございました」
「いいえ、どういたしましてえ。
それよりも寝たら? リリアンがここで眠ってるので、俺らは明日の朝に帰るつもりだ。
なに、俺は車で寝るから心配しなくていい」
お礼を言いつつ、一日の疲れで若葉ちゃんがウトウトしているので、就寝することをすすめた。それにしても今日は月明りがあるからある程度周りが見えるけど、雲で月が隠れていたら、辺りが真っ暗じゃないか。
この姉妹、よくこんなところで生活してきたな。
「あ、でも……」
「でもが多いね、若葉ちゃん。今日は俺も疲れたから車で寝てくるね、おやすみ」
「……はい、おやすみなさい」
少し不服そうな若葉ちゃんは重たい瞼が垂れてくるのを耐えつつ、門のところまで見送ってくれた。
——というがな、これ、門じゃなくてただの板だよな。セキュリティーもなんもあったもんじゃない。
獅子山城迷宮の近くだから助かってるようなもんだけど、これがほかの迷宮ならこの姉妹は死んでだと思う。
時刻はまだ9時だから、今からお待ちかねの相談タイムだ。
『――すぐに児童保護施設に連絡して連れて行ってもらいなさい』
「……」
『あのねえ、自分でわかってると思うけど、可哀そうだからって保護してたら――』
「――黙れ! ほんで消え失せろ」
スマホで幸永との通話を即刻終了させた。
そんなことを言わなくてもわかっている、常識くらいは俺でも持ってるつもりだ。
幸永が普段やってることはリア充だが、俺らの中で一番の常識者で冷静な判断を下せる。どこかであいつに対する甘えがあると自覚してるので、あいつの口から助けてあげたらと俺が望む甘い囁きを聞きたかった。
――メッセージの着信だ。
『消え失せろはひどいな。わかってるならもう一度忠告するね。このままだとターちゃんが誘拐犯になるよ?
それは承知してるよね。ターちゃんが逮捕されたらあの子たちは自分を責めると思うよ?
自分たちのせいでそうなったと。ファミリーのみんなも悲しむと思うから今すぐ通報しなさい。ターちゃんができないのなら私が代わりに連絡するからね。
すぐに返信して』
それも含めて俺はわかってるつもり。
わかってるからこそ自分ではどうにも気持ちを抑えられないし、そうなることが我慢ならない。だからすぐに返事してやる。
『連絡してみろ、お前とは戦争だ。勝てなくても戦争だ。どっちかが倒れるまでずっと戦争してやる』
大地へ平等に降り注ぐ月の光でも、木や石に遮られて影を成すところはどうしてもできてしまう。こんなバカげたことをやっている俺は、どうしようもないただのアホだ。
わかってる、自分でわかってしまってる。どこかで若葉ちゃんのことで自分を投影していた。
——抗えない理不尽。
若葉ちゃんの場合は社会そのもの。
俺の場合は情けないことに、強くなれない自分が家族そのものに対して感じている。
中学三年生までは俺も頑張った、努力すればスキルが付く可能性を信じて。朝も、昼も、夜も、頑張らなかった日は一日たりともなかった。
結果はみじめなものだった。
子供の時からのスキルがどんなに頑張っても増えていなかった。絶望したはずの自分が高校の時は僅かな望みを託して、だれも見てないところで頑張ってみた。
頑張ってみたけれどもなにも変わらない、変えれない。
勇者家族のへっぽこ長男か……つけてくれたやつを褒めてやりたい。
自分でも贅沢な願望だとわかっている。
——だけどね、周りが俺からすれば化け物揃いで、手の届かない場所に居て、そいつらと毎日一緒に暮らさないといけないんだぜ?
愚者の俺にどうしてほしいんだと、神様ってやつに聞いてやりたいもんだ。
何度も思った、家から出て遠くで独りで暮らしていこうと。
幾度なくそうしようと込み上がる衝動に襲われた。でも、それをしてしまうと家族が悲しむくらいは俺もわかっている。だから自分に言い聞かせる。
——やめろ、お前させ我慢すればなにも起こらない。
——それがここで生まれたお前の宿命だと。
リリアンに出会ったときは嬉しかった。
すこしずつ、自分が変わるかもしれない。嬉しかった、俺の手でモンスターを倒せたのだ。これからも変わり続ける、肩を並べたかった人たちと胸を張って一緒に歩んでいけるんだと。
……わかってる。そんなのが自分の勘違いであることにとっくに気付いてた。リリアンが居なければ元の俺にに戻ってしまうだけ。
だから、地下3層で喜んで雑草を摘んでいた若葉ちゃんを見たときは、ショックを受けた。
なんの力もないただの少女が、嬉々として実りにもならない努力を命がけで頑張っている。そのときの彼女を放っておくことなんて、俺にはできるはずもない。むりやり閉じ込めた記憶の中にそんな自分がいたこと。
——俺は、俺を放っておきたくなんかないよ。
『わかったよ、好きにしたらいいと思う。あらかじめに伝えてあげるね、ターちゃんがしたいことを手伝いくらいはさせてくれよ。遅いからおやすみ』
新しく送られてきたメッセージを見て、感じたのが幸永は変わらずに幸永だということ。
家族の人たちが俺を一人にするわけがないなんて知ってたはずなのに、変われない自分を恐れて、今でも逃げ続けている。情けない自分に呆れかえるばかりだ。
ところでメッセージの着信音が大変なことになったので、スマホをミュートの設定に切り替えた。主にファミリーグループ通信でメッセージが飛び交っていた。
ちょっとだけ覗いてみるとすごいことになっている。
『悲報、太郎が子供を誘拐した件』
——正重のやつめ、いいたいことを言いやがる。
『グレた太郎を正しい道へ戻そう、どこにいるんだあいつ』
——はいはい。居場所なんか言わないからな、洋介。
着信音がなった。
虫だけが鳴いてるこんな場所で、機械的な音はとてもうるさい。だから俺はすぐに通話に出る。
『太郎ね。話はユキから聞いた。
あの子は太郎が好きにすればいいって言ってたけど、あんたには悪いけどこのままにしておくことはできない。
児童保護施設で保護された子は国が絡むの、あんたがどうこうできる話じゃないの。
わかるよね?』
「……」
ムスビおばちゃんからの通話だった。
いきなり結論から切り込むのは彼女の常套手段、正論がそこにあって中途半端な反論を許さない。いつもならヘラヘラして笑って誤魔化す俺だけど、今日だけは引き下がるつもりがない。
『高校の時からわがままを言わなくなったあんたが珍しく自己主張したのはおばちゃんもびっくりしたけど、あんたが通報しないならおばちゃんが連絡してあげるからそこにいなさい。
それでいい?』
「……俺」
『なに?』
——言うんだ俺。なにがしたいのか、はっきりとこの口で話すんだ。
『あんたがなにもしないならおばちゃんがいつもと同じ、あんたの代わりにしてあげるからずっとそこにいなさい』
——このままではずっと進めなくなる。言え! 臆病な俺。
「……嫌だ。法律とか、家に迷惑がかかってるとか、そんなの全部わかってる。
だけどダメだ。若葉ちゃんたちをこのまま見送ってはダメだ。あの子はなにも悪くない、ただ力がないだけなのに持ってる大切なものを失わなくちゃならないのか? そんなの、惨めすぎるよ。
抗えないだからって、黙って受け入れるだけなのは許せない」
『それはその若葉ちゃんのことなのね、あんた自身ではなくて?』
「いや、俺もかもな。とにかく、このままに放っておくつもりはない」
『あんたになにができるっていうの』
——くっそー……
くそは俺だよ。ムスビおばちゃんの言う通り、俺になにができる? でも、もう引き下がれないし、引き下がらない。
「あの子たちを連れてどこか人の手が届かないところに行く。あの子たちが大人になるまで、俺が面倒を見る」
『なにガキみたいなことを言ってんのよあんた、そんなことができるはずないでしょうが。そんなことしたら家のことはどうすんのよ。あんたを心配してるみん――』
「――しらない、みんなのことは放っておく。俺がいなくてもみんなは大丈夫だ。でも今の若葉ちゃんたちを守れるのは俺だけ、だから世の中の絆を断ち切っても俺はあの子たちといる」
『――』
——アホなことを言ってるよな、俺。
ムスビおばちゃんの言う通りだ。ガキが駄々をこねてるだけだって自分でわかってるし、若葉ちゃんたちまで巻き込んで無責任だよな。だけど、放っておくという言葉が口から出た瞬間、スッと気持ちが軽くなった。
ああ、もう、家のことで無理をしなくてもいいんだってわかったから。
どこか未発見の迷宮でも探して、リリアンと若葉姉妹と一緒に暮らすのも悪くないかも。
スローライフってやつか? 大丈夫、田植えだってなんだってして見せる。今のうちにネットで必要な情報をダウンロードして、持ってる素材を全部売り払って、必要なものを買っちゃえば人間の領域とはもう、関わらなくていい。
10年くらいしたら、若葉姉妹も大人になってるはずだから、その時に彼女たちを連れて戻って来れば――
『ダメぇぇーーー! ダメダメダメ――』
――なんでマイの声がする? なんでだなんで。
慌ててスマホの画面を見てみた。グループ通話になっていて、メッセージもすごいことになっていた。
『悲報。太郎の家出決定』
——正重、うるさいぞお前。
『お兄ちゃん、家族のことを放っておくのは許さない、絶対に探し出してやるんだからね』
——至らない兄を許せ、さっちゃん。またいつか会う日まで元気に過ごしてくれ。
『太郎、どこにいる。とうさんがすぐに迎えに行くから待ってろ』
——オヤジ、あんたがくると全員がついて来るからダメだ。息子のわがままを許してほしい。
『冷静になれ、太郎。おれが相談になってやるからそんな考えを――』
——あー、こういう時の洋介って正論ばっかりでウザすぎる。見る価値無しだ。
『くぁwせdrftgyふじこlp!』
マイは相変わらず異世界人ですら理解できない絶叫を続けているけどどうしよう。なんだかカオスな状況になってる。
洋介のメッセージに一つだけヒントになれる言葉があった。
冷静になろう。
先まで血が上ってた頭がスーッと軽くなって、ぼやけていた視界が鮮明になってくる。
『あんたらあーっ! やかましいーー!』
ムスビおばちゃんの怒声で、グループ通信にいる全員の言動が止められた。
『太郎ね……怒鳴ったのは久しぶりよ。全くあんたって子は』
「うん、ごめん」
『明日香は横でわんわん泣いてるし、勇起はオロオロして使いもんにならないし……まったくもう』
「ごめん」
落ち着いてきたので、ようやく自分を俯瞰することができた。でも先の決意は変わらない。いや、必要があればスローライフも手段の一つだけど、変わらない決意というのは前へ向かって歩もうと思ったことだ。
『いいわ。あんたが家族を切り捨てるって聞いた時は本気で腹が立ったけど、でもあんたから本当の気持ちが聞けたからおばちゃんはとても嬉しかったわ』
「はい」
『このままわがままを聞いてあげてもいいけど、物事の解決にはつながらないの。
さて、太郎。家族に言うべきことがあるじゃないの?』
「はい……」
やっぱりムスビおばちゃんにはかなわない。
この人がいたからこそ俺はずっと楽な人生を送ってこれた。
でもこの人がいたために、俺はずっと苦しめられてきた。
目標とするべきの人があまりにも遠すぎて、超えようとする壁がとてつもなく高すぎたのだ。
でも、今の俺が必要としているのはこの人だ。
「ムスビおばちゃん、お願いだから助けて」
『ん、わかった。おばちゃんに任せなさい。あんたが困ることは絶対にしないから、若葉ちゃんたちを明日に連れて帰って来なさい』
「はい」
通話が切れた後、グループ通信のメッセージは見ないことにした。
マイからしつこく通話の着信がきてるけど、これも無視だ。どのみち近いうちにあいつから絶対に会わされてしまうから、弁解するのはその時だ。
それよりも、知りたかったことがあるのでさっさとメッセージを送る。
『正重、麓にいるからピエーロさんを連れて来てくれないかな』
返信はすぐに来た。
『問題ない。今すぐ行くから待ってくれ』
ムスビおばちゃんのことだ、若葉ちゃんたちのことは明日になればもう解決してくれることだろう。
甘えでしかないことは十分に承知してるし、ムスビおばちゃんに無理なお願いをしていることも自分でわかってる。
だけど今の俺には解決できる力がないし、俺のわがままで若葉ちゃんたちを巻き込むわけにもいかない。そのために今は甘える、甘えた分だけ成長してみせる。それが今の俺にできることだ。
若葉ちゃんたちのことで俺は疑念を抱いてた。
二人の子供がラビリンスの近くにいることを、たとえラビリンスの範囲内にいなくても、ラビリンスマスターのピエーロさんなら、絶対に偵察要員を使って察知していたはずだ。
なぜピエーロさんは二人のことを放っておいたのか、それが俺の知りたかったことだった。
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