4.10 呑気な長男は神話を聞く
せっかく作ったのに、ジュースのビン1本を残して、マンティコアのお薬を入れた一升瓶がウィーの前でムスビおばちゃんに没収されてしまった。
『――事の成り行きはわかった。タロウに悪意がなくて、妖精リリアンが自分では作れるはずもない妖精の秘薬をタローちゃんの魔力を借りて作り上げたということだな』
『うん。リリアンが俺の魔力を借りてマンティコアのお薬を作ったのは事実です』
目の前にいる巨大な人狼が爪を引っ込めることはなく、鷹揚な態度で正座中の俺に確認してきた。
年に一度は闘争本能にかき立てられるウィーはかーちゃんたちとここ地下4層で激闘をくり返すけど、俺らを傷つけないように、爪を出すことは今までになかったことだ。それだけ、ウィーはこの事態を重くみてるという証拠なんだろう。
『ねえねえ、あなたが神の山を守る狼一家の末娘のウィースラなの?』
『そうよ、妖精のリリアン。わちきがウィースラ』
『流浪のウィースラ、おとうさんとおにいさんが妖精の里に探しに来たことがあるよ』
『そう……帰れない故郷を思うのはもうやめた。ここがわちきの住処だから』
人狼と妖精が俺の知らない、物語を語るようなお話で会話してる。ちょっとは興味が湧いたので、ウィーがポメラリアンモードで怒ってないときに聞いてみよう。
『さて、ムスビにタロー。お前たちに妖精の秘薬のことを教えてやろう』
『そうね、お願いするわ。ウィースラ』
『はい』
——その昔にカラリアン大陸で神々の戦いがあったという。
女神リアンを魔神たちに奪われた神々は女神の涙であるエリクサーを無くしてしまい、あっという間に劣勢に追い込まれた。男神カラは自らの血を妖精の里と隣する山に流して、そこで生えてきたのが神の花、ティコアの花と伝えられている。
妖精たちは色んな植物で回復の力を秘めたティコアの花と掛け合わせて、最後に里を守るミノタウロスジェネラルが偶然に垂らした血で完成させたのがマンティコアのお薬だと言われている。
妖精の秘薬を得た神々が魔神たちへ攻撃をしかけて、ついには女神リアンを取り戻したとカラリアン大陸の神話がそこで終わった。
ティコアの花という名がついた由来は、妖精の里と隣する山に無数のマンティコアが棲んでいて、傷付いたマンティコアが回復するためにティコアの花を食べていたとウィーが異世界の伝説を語ってくれた——
『どこで見つけてきたかは知らないが、ティコアの花は人族ではたどり着けない山にしか生えてないはずだ』
『いや、この前に琵琶湖へ行ったとき、道端で生えてた雑草だよ。なあ、リリアン』
『うん。でも雑草じゃないよ、ティコアの花は貴重な花だよ』
そんなことを言われても、リリアンと琵琶湖沿いで歩いた時にいとも簡単に摘んできたものだから、貴重であるかどうかを俺は知らない。
『ムスビ。タロウに罪がないのはわちきも理解できた。だが人族が妖精の秘薬を作るというのなら、共存協定を破棄する。わちきは人族と戦う』
『ウェアウルフラビリンスのラビリンスマスター、ウィースラ。妖精のリリアンが人族のために妖精の秘薬を作ることはないとこの場で約束するわ』
『それならわちきは人族と生きるダンジョンマスターである立場を変えない』
『でも、勇者一族のためなら、妖精のリリアンが妖精の秘薬を作るのは許してほしい』
『……』
牙を剥き出して睨むウィーと微笑みで受けるムスビおばちゃん。
ラビリンス地下4層の涼しさに凍える空気が加わった気がしてならない。ウィーの放つ気迫をムスビおばちゃんが受け流しているけど、俺なら倒れてしまうかもしれない。
『わかった。勇者一族のみなら、このウィースラは認める』
『ありがとう、ウィースラ』
『その代わり……タロウ!』
『——はひっ!』
いきなり話を振られて、正座する俺は背筋を伸ばした。
『イストの木はわちきが生やしてやるから、妖精の秘薬はここで作れ。このことは絶対にこの国の人族へ漏らすな!』
『ひっ!』
首にかかる剣のようなウィースラの爪。彼女と知り合って以来、初めて受ける警告に体の震えが止まらない。
「じゃあ、話は終わったから開店の用意で店に戻る。この頃は忙しいからムスビもタロウも早く戻ってきて」
「すぐに戻るわ。テーブルの拭き掃除はやっておいて」
怖い、この人たちが怖い。なんですぐに素に戻れるんだよ、俺なんて今でもガクブルしているのに。
「これでわかったでしょう?」
「なにが?」
なにか諭すような口調で話しかけられても今の俺にムスビおばちゃんがいう、わかったの意味が理解できない。
そんな俺をムスビおばちゃんは真剣な目付きでジッと見てくるだけで、なにも言葉を投げかけてこない。
「ねえねえ、お店にいかなくてもいいの?」
額から汗が噴き出す俺を見つめるムスビおばちゃんへリリアンが呑気そうに疑問を発した。
「……できればあんたを危険な目に合わせたくないのはみんなが思ってるの。それが今となって裏目に出たかもね」
「なにがですか?」
トンチみたいな受け答えでは何一つ悟ることできないので、俺みたいなおバカでもわかるように話してほしいと思う。
「あんたのことで一度明日香と話し合いするわ……リリアン、メロン味が売れそうだからまくわ瓜味を作ってみた。食べてみる?」
「うん。リリアン、食べるー」
立ち去るムスビおばちゃんの後ろへ小さな妖精が嬉しそうに体を揺らしてついて行った。
ぽつんと一人で立つ俺以外にだれも居なくなったラビリンスの中。とりあえず仕込んでいた焼き鳥を早く冷蔵庫に入れようと考えて、しびれた足をさすってみた。
「ウィーがタローちゃんを脅したんだって? おかあさん、ちょっとあの子にメッしてくるね」
「ま、待てかーちゃん。ひどいことはされてないから大丈夫だ」
閉店後、厨房の掃除を終わらせてからそろそろ部屋に戻って、風呂に入ろうかと思ってるときに、愛用する神器の盤古斧を持ったかーちゃんと出くわした。
かーちゃん、ラビリンスマスターを相手に戦いはマズいからやめてくれ。
「明日香、太郎のことで暴走する癖はやめなさい。勇起もなにか言って――って、あんたまでなにしてんのよ」
背中に神剣クラウソラスをみせるオヤジにムスビおばちゃんが呆れ顔して、手に持つ箒でオヤジを叩いた。
「むすび? いくらウィーでも太郎をイジメるのは許せないわ」
「そうだそうだ。太郎は我が家の大切な長男だ。この子に手をだ――」
「やかましいわっ! そうやってこの子を甘やかしてきたから世間に対する常識がずれてきたでしょうが!」
はい、非常識の太郎がここにいる。
自分でもわかってることだけど、とにかく両親が俺に危険なことをさせまいと家のこと以外はできるだけやらせないようにしている。冒険者稼業だって、ムスビおばちゃんの説得がなければ、たぶん行かせてもらえなかったのでしょう。
子供の頃からこんな露骨な行動をずっとやってきたわけだから、俺にも自覚することができていた。俺の身に俺が知らない何かがあるということを。
「とにかく! 今後はもっと太郎を外に出すべき。これ決定だから」
「横暴よ、むすび。タローちゃんはうちの子よ、親が子を守るのは当たり前なの」
「そうだそうだ。人ん家の教育ほうし――」
「ああっ? なにか言った?」
両親、撃沈される。
こういうときのムスビおばちゃんは無敵。
かーちゃんとオヤジだって、ムスビおばちゃんが俺のことを考えての言動だと知っているから反抗しない。
言っちゃなんだけど、オヤジより男前なムスビおばちゃん、俺ら子供全員がこの人に頭が上がらない。
「そういうわけだから、あんたは今後、非常勤でいいから冒険者で稼いできなさい。このバカたちに子離れの機会を与えてやってちょうだい」
「うん。わかった」
幸永と尚人の件で同行した俺が痛感したことがある。
二人と比べて、圧倒的に世間知らずの自分がいることにかなりショックを受けた。ここはムスビおばちゃんの提案に乗って、外の荒波にもまれてみるのも今後の人生に役立つことなんだろう。
「ダメよ。タローちゃんはおかあさんがまも――」
「そうだそうだ。太郎は山田家のちょうなん――」
「黙らっしゃいっ!」
両親、再び撃沈される。
先代勇者パーティで真の勇者がムスビおばちゃんである説、あながちうわさではないと俺は頷かざるを得ない。




