3.07 へっぽこ長男は妖精の先生
コボルド村からストゥーンを連れて出立する前にハヤトさんの了解を得て、昨日に仕留めたイノシシを村に食糧として渡した。その大きさにコボルドたちは全員がはしゃぐほど大喜びした。
長老とストゥーンは昨夜、小屋に来る前に村の幹部と話し合って人間と交渉することに決めたという。このままでは村が衰退して、比叡山で勢力を拡大するオーガ族に滅ぼされると幹部たちは認識しているとのことだ。
冒険者である俺とヤマシロノホシの二人ができることは、交渉する意欲を持つ山城地域探索協会の副会長と会談できるように、ストゥーンを送り届けること。この追加ミッションの報酬は300万円、あまりの高額に俺ら三人はスマホを握る手が硬直してしまった。
『北白川地区に装甲バスを派遣する予定、事前に到着時刻を知らせよ』
『護衛対象が無傷で到達できるように冒険者側は最大の努力せよ』
ミッションの条件を見たハヤトさんは俺とアリシアさんを呼び、真剣な表情でこの後の行動を指示する。
「見た通りだ。高い報酬だがコボルドくんを傷一つ無しでギルドまで連れて行かないといかんな」
「そうね。たとえワタシたちになにがあってもね」
二人の顔を見ながら俺は口を出さないで指示を仰ぐことにする。
「来た時になにもなかったからといって、戻る時になにもないとは限らん。そこでだ、前衛はアリシアと太郎、ケツはおれが持つ。多少の山火事は気にするな、範囲魔法以外ならどんどんぶっ放してやれ。それでなんかあった場合はヒナ姉さんを困らせてやろうぜ」
「わかったわ」
「はい」
「よーし、いい子たちだ。飯は携帯食、休憩は無し、一気に目的地まで駆け抜ける。見敵必殺、死体はどんな貴重なもんでも置いて行け。危ないときはおれ、あねさん、最後が太郎の順で囮役だ。太郎が囮となった場合、リリアンにコボルドくんの案内をさせろ。わかったな?」
「ええ、異論はない」
「……」
少し迷った顔をしたが、それをハヤトさんは見逃さなかった。俺の肩に力を込めた右手で叩いてくる。
「いいか、これは護衛依頼に必要な方針だ。守るべき対象は護衛されるお方でおれたち冒険者じゃない。クエストはしくじったら信用をなくす。特にこういう高報酬のクエストで失敗するといい仕事が回ってこなくなる。冒険者でおマンマを食っていきたかったら、やらねばならん時は覚悟を決めておけ」
「……」
「ん? どうした。怖くて降りたいのなら、今すぐクエストの辞退をスマホで申し出ろ。お前が抜けても、おれとあねさんはやる」
「……いいえ、やります。すみませんでした」
神妙な態度であやまるとハヤトさんは太い右腕で俺の首に巻きつく。
「そんな顔すんなって。別にお前を責めてるわけじゃない。ただやるからには覚悟してもらわんと、途中でやらかされたらお互いが困るだけだ」
「はい」
「いいか? これはめったにない美味しいクエストだ。さっさと完了させて、ユタカさんとふゆこに嫉ませてやろうぜ」
「はいっ!」
ハヤトさんたちのクエストに同行するときはいつもギリギリの緊張感に包まれる。その中で自分ができることを考えさせられる。こういうのは、嫌いじゃない。
「お客様が用意できたら洛東ギルドまでご案内する。今日は昨日と違って、ごちゃごちゃした細かい指示はしない。目的地まで一直線でとにかく突進だ」
「もう、こういう仕事はいつも元気なんだから」
「そうなんですか、アリシアさん」
バスタードソードを空へ向けて掲げたハヤトさんははつらつとした笑顔、クエスト中に調査しているときはどこかイラつくような雰囲気を見せていた。そんなハヤトさんをアリシアさんは呆れ顔で軽く非難するところを見ると、それがハヤトさん本来の性格みたいだ。
ただ、山の中を駆け抜けただけ。
装甲バスが待つ北白川地区まで走り抜いた俺らをストゥーンが目を大きくしてびっくりしてた。途中でイノシシやワイルドドッグの群れとエンカウントしたけど、アリシアさんの魔法で殲滅した。俺がしたことは走りながらアリシアさんに魔力を譲渡しただけ。
ここにゴブリンがいない理由をストゥーンが教えてくれた。
多くのコボルドとほとんどのゴブリンは比叡山に巣食らうオーガに殺されたという。ラミア族やアラクネ族、ホビット族などは早い時期から北上して難を逃れた。旧京都市と旧大津市の間にある山間部は、ほぼオーガしかいないとストゥーンが辛そうに呟いた。
「——ヒナ姉さん、良いクエストをありがとうさん」
「そうね。わたくしとしてもこんな素晴らしいクエストができたことに感謝するわ」
二人とも欲に塗れた顔で卑しい笑いを隠そうとしない。
『どこの人族でも欲が絡んだときに一番輝くね』
『そうよ、リリアンさま。本当にあっちでもこっちでも人は人ってことよ』
おーい、九条さんにハヤトさん。妖精とそのお供のエルフから人間へのダメ出しですよー。恥ずかしくないですかー。
「今日、ありがとうです。コボルド族、ストゥーンです。よろしくです」
「ようこそ、いらっしゃい。ギルドの九条です。よろしくです」
実は俺とハヤトさん、アリシアさんもびっくり仰天だったけど、簡単な日ノ本語ならストゥーンは理解しているし、話すこともできる。
この後の予定は洛東ギルドで用意される双方の交渉が始まるのだが、九条さんはすでに通訳を段取りを済ませたとのことで、俺らはギルドで完成した報告書にサインをすればクエスの完了だそうで、交渉の立会いは不要とのご命令だった。
「太郎ちゃん、ごめんなさいね。十日ほど用事が出来ましたので、クエストの案内はできませんの。専属受付嬢として申し訳ありませんわ」
「いいえ、とんでもないです。くじ……ひなのさんはご自分の仕事に勤しんでくださいな」
このまま専属受付嬢と専任冒険者の関係を解消してもええんやで……なんてことをいいたいのだけど、口が裂いても言えないのが人生の辛さ。
車の中でハヤトさんとアリシアさんから口頭の報告を受けた九条さんは、よほど嬉しかったのか、しきりに俺の頭を撫でてくる。短い付き合いだけど、彼女はモンスター族と接触して、交渉ができたことに満足していると思う。正重の表現を借りるなら、敵の敵と手を取ることができたってところなんだろう。
お役御免の俺らが洛東ギルドを出ると、アリシアさんから夕食のお誘いがきた。
「ごめんね、アリシアさん。今日はリリアンと日ノ本語の勉強がしたいんです。晩ご飯はどうぞお二人でゆっくりしてきてください」
アリシアさんの顔が真っ赤になった。
「頑張ってね、ハヤトさん。今夜くらいは勇者になってくださいな」
ハヤトさんの顔も真っ赤になった。
二人をおいて、宿泊先のアドベンチャラーホテルまで市内バスで帰ろうとする俺の背中に、小さいだが決意に満ちた声が届いた。
「ありがとう、太郎」
燃えあがる二人は勢いで大人になるだろう。俺もまだだというのに……ちくせう。
「あ、い、う、え、お」
「あい、うえ、おー」
リリアンは一生懸命に覚えようとしてくれるのだが、ちょっと違う。愛の上におーってなんやねん。
『リリアン、ゆっくりでいいから、一文字ずつで発音しましょう』
「あい、うえ、おー」
「……」
うん、こういう場合は焦っても仕方がない。変な癖で言葉を覚えたほうが大変だから、俺がどっしりと構えなくちゃ。まずは俺がもう一度丁寧に一文字ずつ……
「あ、い、う、え、お」
「か、き、く、け、こ」
できてんじゃねえかコノヤロー、しかもか行にいってやがる。
「あ、か、さ、た、な」
「え、なんでそれができるわけ? いつ勉強したの?」
「は、ま、や、ら、わ」
あ、そうか。勉強はしてるけど会話はまだできないんだ。
『いつ勉強したの?』
『アリシアがね、教えてくれるの』
楽しそうにリリアンは初級教科書のページをめくり、目につくひらがなを読み上げる。
「こんにちは。これはペンです。リリアンはぺんです」
いやいや、リリアンは妖精であってペンという生き物じゃない。そもそも、ペンは生き物じゃない。
「あれはやまださんです。やまださんはペンです」
違うぞ、断じて山田さんはペンじゃありません。そんなペンな山田さんが居れば、日ノ本中が俺の親戚だらけになる。
「せんせい、おはよう。おやすみなさい。ありがとう」
いやな生徒さんだな、会うなりもう寝る気か。ほんで先生は生徒が眠ることを許す気だ。これはあれか、旧時代のゆとり教育ってやつだな。
「ここはどこですか。ここはやまださんです」
ちゃうわい! 山田さんは人であって場所じゃない。そういう時はさん付けはしなくていい。
確かに滅茶苦茶な言葉だけど、リリアンは楽しそうに勉強してるからそれでいいじゃないか。横で聞いてたらこっちまで楽しくなってきた。いいぞ、もっとやれ。
「きのうはタロットをしてましたか。きのうはやまださんをたべました」
いやあー、スプラッター! 俺をして俺を食べる、意味不明にもほどがある!
田村さんと冬子さんがくるまで、ハヤトさんたちはそっとしておくつもり。九条さんは忙しいそうだし、適当に日帰りのクエストを受けるか、リリアンとこうしてだらけた時間を過ごすのも悪くない。




