3.06 調理する長男は犬人たちを餌付け
「このクエストが完了したら、おれはちゃんと言うぞ……」
ハヤトさんはなにか心に決めることがあるようで、晴れやかな顔をしている。ただ呟いた一言が余計だと思う。ハヤトさんはしらないかもしれないがあれは旧時代でいうとフラグってやつだ。
日が沈み、辺りがだいぶ暗くなってきた中、今夜の寝床となれる場所を求めて、大ウラルフクロウの鳴き声が森を警戒しつつ前方へ進んでいく。
冒険者からワイルドボアと別名で呼ばれるイノシシの雄叫びが聞こえた。
「なにか攻撃してるみたい。ちょっと見てくる」
アリシアさんが一人で先行した。リリアンは俺の右手に収まり、万が一に備えてフェアリーガンになってもらうつもり。ハヤトさんはバスタードソードを抜き、四方へ目を配って警戒態勢に入った。
「ワイルドボアがなにか大木へ突進をかけてるの、どうする?」
戻ってきたアリシアさんが俺のほうに聞いてきた。
「……様子を見ながら横から抜けましょう。夜の戦闘は危険だと思います」
「おう、了解だ」
ハヤトさんは俺の判断に従うように頷いた。
接触の機会を減らすために回り込んで遠ざかってもよかったが、右手にいるリリアンに目をやり、これは突発イベントかもしれないと咄嗟に思った。
フラグか……
自分の考えに苦笑いしてしまいそう。
何度も何度も、しつこいくらいにイノシシは巨木へ突進し続けた。木の下になにかいると思うけど、このイノシシがでかすぎたためにここは無視してやり過ごしたほうがいい。目で会話するようにハヤトさんへ俺の意思を伝えると、同意したかのようにハヤトさんは首を縦に振った。
少しずつ、この場から離れようと後ろへ下がる時に木の上から果物が投げつけられた。サルどもだ。
「バレたわ!」
イノシシが突進をやめて、ぎらついた目でこっちに向いてくる。
「おれがやる」
片手でバスタードソードを握るハヤトさんが最前列へ出た。
イノシシと対峙したハヤトさんは颯爽とした佇みでバスタードソードを肩に担いだ。イノシシが鼻息を荒げ、体を沈めるとハヤトさんへ向かって駆け出した。ものすごい突進速度にハヤトさんは慌てない。
俺の手に握る汗がにじんで、呼吸が止まりそうなくらい緊張が高まっている。
衝突する直前、ハヤトさんはワンステップだけ横へ体をずらし、その体勢で体を一回転させるとバスタードソードが振り下ろされた。首を斬り落とされたイノシシは僅かの間、前に走り進んだがすぐに脱力して横へ倒れ込んだ。
紙一重で避けながら攻撃するなんて、とてもじゃないけど俺ではできそうにない技だ。
木の上で騒いでたサルどもはアリシアさんが水魔法で乱射し、叫び声を残して逃げ去った。イノシシの死体を検分する二人のところへ寄ろうとしたけど、イノシシがなにを攻撃していたかが気になった俺は傷を付けられた巨木の下へ近寄った。
『ひーっ、ひーっ、おとうちゃん助けて、ひーっ』
『なんかいるよ、タロット』
このパターンはテンプレ。リリアンが鼻を動かして、なにかの匂いを嗅いでるようだ。
『これ、コボルドだよ』
『コボルドか……』
ハヤトさんとアリシアさんがこっちへ向かってくる。木の根にいるコボルドを討伐してもいいのだが、異世界語を喋ってたので対話が可能なら話してみたい気持ちが湧いた。
時間をかけて説得した結果、木の根から出てきたのはコボルドの子供だった。
リリアンには元から期待はしてなかったし、アリシアさんはモンスターに対していい印象がないだそうで、交渉は俺が自分で担当することにした。
コボルドの子供は森の中で食べれる果物を探しているうちに日が暮れたみたいで、急いで帰ろうとしたらイノシシに遭遇したと泣きながら話してくれた。逃げているうちに木の根に空いてる穴を見つけて、慌ててそこへ飛び込んでイノシシの攻撃を凌ごうとした。
どこかでよく似た話を体験した。
リリアンに目を向けたけど、やつになんの反応もなく、俺の視線に首を傾げるだけ。可愛らしい仕草は褒めてあげたいが、回転数の足りない頭がちょっと残念かな。
夜の森は危ないのでコボルドの子供をここに置いてはいけない。コボルドの村が山の中にあるため、俺は送ることを提案した。コボルドの子供はちょっとだけ迷う素振りしたけど、アイテムボックスから骨付きチキンを出したら、嬉しそうに飛びついてきた。異世界のやつらには餌付けが一番の手かも。
かわいい子犬が骨付きチキンを齧ってる間に俺は九条さんに連絡した。通話の中で彼女はなぜか高いテンションの声で、コボルドと接触する追加ミッションを申し付けてきた。
交渉中に可能であれば九条さんもビデオ通話で加わりたいと言ってきたので、状況に応じて頼んでみると答えた。
手が脂でべとべとしてるけど、繋いてきたコボルドの子供を振りほどくつもりはない。旧京都府道30号線から離れ、南の方角へ向かって歩きつつ、森に落ちている枯れ木や小枝で足元がおぼつかない。夜の山登りは流れる汗が止まらなくて、押し寄せる蚊の大軍がとてもウザい。
『――それでカークスを連れて帰ってきてくれたわけかね』
『はい。もう夜になったので、せっかく救助できたのに置いてくるのもどうかなと思って』
『そうか……親切なお方よ、礼を言わせてもらおう。我が族の戦士、クローリーの子カークスを助けてくれてありがとう』
『いいえ、どういたしまして』
会話を交わしているのはコボルドシャーマン、この村の長だ。ハヤトさんとアリシアさんは俺の後ろにいて、対話に係ろうとしない。役立つかどうかわからないけど、敵意がないことを示すために、妖精のリリアンには俺の肩に座ってもらってる。
『すまないが、我らはその要請に困惑してる。この世界にいる人族とは争ってきたため、急に対話したいと言われても正直に受け入れるかどうかの判断がつかん』
『ええ、そうでしょうね。私個人としてはカークスくんを連れて帰ってこれただけでいいと思ってる。ただ、カークスくんから村が食糧で困っていると聞いたので、それなら力になれないかなと』
『うーむ……』
『せっかくお知り合いになれたことですし、いつまでも戦うのはどうだろうと私は思う。だが、そちらにはそちらの都合があるので無理押しをするつもりはありません』
『すまない……』
顔をしかめて可愛く見えるコボルドシャーマンの後ろで武装した2体のコボルドが白い歯を見せて、唸り声をあげて威嚇してくる。俺の後ろで魔力の流れがちょっとずつ高まっているのは、たぶんアリシアさんが魔法を使おうとしているためだ。
こういう緊迫した状況で話を続ければ、どこかで火花が飛ぶかもしれない。思わぬ出会いで対立することもないと考えた俺は、ここで交渉を終わらせることにした。
『長老、夜も更けてきたし、お話はここまでにしましょうか。私たちはどこか休めるところを探しに行くので、ここで失礼しますね』
『それなら村の外にある小屋を使ってくれ。村には入れられんが、村の大事な子を助けた客人を追い出すわけにもいかん』
『それはありがたい。こんな山の中じゃ探すのも大変だから』
『うむ』
2体の武装コボルドは俺らがここから立ち去る意思を読み取ったためか、先ほどの敵意をサッと消した。後ろのほうでも魔力が薄れていき、これで戦いに突入する可能性がなくなった。小屋を貸してくれる善意を示してくれたので、こちらとしては返礼をしておきたいと考えた。
『長老。聞いた話では食糧が足りないそうで、よければ手土産を受け取ってくれないかな』
『いや。我らはなにもお礼できないのに、申し訳ないが受け取るわけには……』
『まあまあ、気持ち程度ですから遠慮はしないでほしい……アイテムボックス』
困った顔ではあるものの、食糧がほしい雰囲気をコボルドシャーマンが見せてるので、収納していた物から食糧となるものを渡すつもりだ。初対面で手土産は社会人の基本礼儀じゃないかな。
『大したものではな――』
みのうタンの残りとビワコ族の干物を出したら、3体の大型犬がハイスピードで尻尾をブンブンと振り回している。開いた口元からよだれが垂れ流され、両目がギラギラと輝いてる。
さて、当たりはどっちだ。
『――魚だあー、お肉だーー!』
『うおー、うおだああ』
『肉じゃ、肉の匂いじゃあ』
コボルドの村から犬の群れが四つん這いで駆け出してきた。どっちも当たりってことか。
「タロウにそんな芸当ができるとは思わなかった。コボルドと話し合うなんて、エルフでもしないのに」
「本当だな。特殊能力があるポーターと思ってたが、まさかモンスターを手懐けてしまうとは恐れ入るぜ」
呆れたようにハヤトさんとアリシアさんが調理する俺の後ろで言葉をかけてくる。木杭で囲んだ村の外にあるあばら家、俺らは軽装に着替えてから熱い夕食を取ることに、全員が異議なしで決定された。
みのうタンもあることだし、手早くどんぶりにするのが一番早い。あれはかーちゃんも絶賛した一品だ。
七輪の中で炭が程よい火力を出し、網の上に分厚く切ったみのうタンを乗せてからたれを塗りつつ裏返しする。せっかくなので、後で干物も焼いておこう。
「な、なあ。まだかな、太郎」
「……」
二人ともご飯が入ったどんぶりを手に持ち、七輪の前で待ち構えている。忙しく両目で俺とみのうタンを交差で見るハヤトさんはいいとして、無言でみのうタンを睨みつけるアリシアさんがちょっと怖い。
最後にたれをたっぷりと塗りつけた焼き立てのみのうタンを二人のどんぶりへ放り込む。
「召し上がってくだされ」
「おおーーっ! うっめええ!」
「……」
幸せそうな顔でご飯とみのうタンを平らげるハヤトさんは腹を空かせた子供みたい。無言でみのうタンとご飯を睨みながら食べるアリシアさんはやっぱり怖い。お肉のお代わりを焼かないと二人が食べる速度に追いつかない。
ギルドの先輩を満腹にさせてから、俺は自分の分を作り始めた時に小屋の扉が開いた。コボルドシャーマンと護衛の二人、それにもう一体の耳が垂れたコボルドは体半分を覗くようにこっちを窺っている。
『食事の時にすまないが、ちっと相談があってのう……』
はい、ウソである。
やつらの視線は七輪の上に焼かれているみのうタンと干物に注視していて、そのしっぽは扇風機がごとくクルクルと回りっ放し。こいつらは匂いに誘われて飯テロにきたはずだ。
……池田駅前迷宮食堂本店の厨房を預かる料理人としての血が騒ぐ。異世界の犬人族にわが社の美味を食わせてやろうじゃないか。
床の上で動けない人間が一人、エルフが一人、コボルドが3体、妖精が1匹。
リリアンの好物にまさかの干物が加わった。家に帰ったら調理した生魚を食べるかどうかを試してみよう。
耳垂れのコボルドはコボルドシャーマンの弟子にして、次期村長候補のストゥーン。
ほかの3体と違って、食事もお話も節度を弁えてる。食事中の会話で彼は村犬の将来を憂いて、話の中で人間と友好な関係を築けないかと匂わせてきた。詳細については教えてくれなかったけど、洛東に面する山の情報を彼は取引の材料にしたいと考えているようだ。
俺は国のお偉い方ではないし、ギルドの重鎮でもない。だが九条さんが山城地域の難しい局面をどうにか打開したい思いは若僧の俺にも伝わっている。それゆえに彼女はコボルドとの接触を追加のクエストとして俺に託した。
その期待に応えるため、俺はストゥーンを連れて小屋から離れた場所で、九条さんと彼を交えてスマホによる会談で通訳として立ち会った。
九条さんから調査クエストの新しい追加ミッションが会談の終わりにスマホへ通告してきた。
『如意ヶ岳に住まうコボルド族の次期村長候補、コボルドシャーマンのストゥーンを山城地域探索協会洛東支部まで護衛せよ』




