2-08. 欲張りな長男は妖精の秘薬を知る
進行方向の右側にある琵琶湖から気持ちのいい湖風が吹いてくる。
お昼まで時間がまだあるというのに気温が上がってきて、すぐにでもエアコンを付けたくなる。だが運転しているのは九条さんが壊れてもいいと、大津ギルドの車庫の奥から引っ張り出してきた初期型の装甲魔動車なので、そんな気が利いたものはついてなかった。
引き受けた依頼は昨日と同じの巡邏クエスト。
ただ、こちらのほうは冒険者向けのクエストで、旧時代の湖西線鉄道跡を沿って、北にある旧高島市へ目指して車を走らせている。
琵琶湖西側の地形は山間部で、そこに強力な魔物や動物と植物が数多く棲んでおり、その種族も様々で九条さんの見解では手に負えない強いらしい。
現在のところ、堅田地区までは探索協会がなんとか維持できるように頑張っていると、出発前にギルドの副会長から情報を提供してもらった。
ここ一帯は昔に近江の国であったと歴史の授業で見たことがある。本来ならここに近江地域の探索協会を作る予定だったが、安土城迷宮・観音寺城迷宮・彦根城迷宮・佐和山城迷宮・小谷城迷宮、この五つの城型迷宮は人間が近江地域での領土復旧を阻んでる。
これらのラビリンスはいずれも未討伐で政府と共存協定を結ぶこともなく、かーちゃんたちが粘り強く交渉した結果、辛うじて相互不干渉協定だけは同意してくれた。
非公式だが、畿内の冒険者たちはこの五つの迷宮を城塞魔宮と呼んでいる。
政府の第一次国土復旧計画案により、東海道地方尾張地域への幹線道路は着工する直前までルートの選定で激論となり、最後は旧時代の東海道新幹線の路線に沿い、米原からは旧東海道本線のルートを使用することで決着がついた。
決め手となったのは尾張地域にある長島地区が川に囲まれて、陸地部分には討伐が困難な両生モンスターであるヒュドラの群れが発見されたため、河川を横過する橋梁を工事する際に多大な犠牲がともなうと予測されたからだ。
道路工事の期間中は城塞魔宮が氾濫を起こすこともなく、工事そのものが順調だったので、政府の中で城塞魔宮が人類を害することはないだろうと予測が立てられた。旧名古屋市までの道路が完成すると、政府の募集により、第1次近江開拓団が旧草津市から旧近江八幡市の一帯まで派遣された。
しかし城塞魔宮は人が道を作り、往来することを許しても、自分たちの近くで人が住むことを許さなかった。第1次近江開拓団が土地の区画整理に着手したとき、近江地域迷宮氾濫が迷宮群によって引き起こされた。
開拓団の護衛に当たった自衛軍の1個連隊が壊滅し、冒険者は千人を超す死者を出し、民間人では1万近くの死傷者を数えた。
政府のほうで即時の報復攻撃が計画されたものの、畿内地方探索協会側は多数の冒険者を失ったことで、現時点では対応できる戦力がないことを報告し、政府への協力を拒んだ。
人的資源を多く失った結果、近江地域の全体復旧は見送られた。現在は旧米原市に道路の安全管理と維持のため、東山道地方近江地域探索協会米原臨時支部が置かれ、10個のAランクパーティを初め、800人の冒険者が米原本部に常時駐在している。
城塞魔宮自体は魔力を取り込むために冒険者の来訪を受け入れているものの、ラビリンスへ侵入可能なのは三の丸までであり、それ以上になると強力な迷宮魔物が現れるらしい。
なぜ俺がそれらの事情を知ってるかというと、政府からかーちゃんたちに迷宮討伐の打診が来たと、俺が高校生の時にムスビおばちゃんが事の顛末を教えてくれたからだ。
最終的にかーちゃんたちはたとえ城塞魔宮の迷宮群を討伐しても、当時の政府と民間の力では近江地域を維持することができないと結論を出したので、丁重に討伐の打診を断った。
今から見れば、山城地域ですら現況が大変なのにとてもじゃないけど、近江地域を維持できるだけの国力があるとは思えない。
近江地域の現況を九条さんに聞かれた俺は知ってる情報を簡潔に伝えた。おおむね満足した彼女は未達成の巡邏クエスト、山間部が多い北小松と鵜川の両地区を調べてきてほしいと、クエストに関する資料集を手渡された。
「道が荒れてるな」
『なに?』
『いや、今日の調査はこの先なんだけど、車が通れないじゃなかなって』
『そだね。よくわかんないけど』
リリアンは呑気そうな顔で足元で咲いてる花へ近付き、匂いを嗅いだりして、彼女の知らない花に興味を持った。
南小松地区は巡邏の重点ポイントなので、大津ギルトでは定期的に討伐クエストが出されている。パっと見では魔物の集落こそ存在してないのだけど、所々に動物らしきの骨を見かけるため、山の中に魔物の群れが潜んでるかもしれない。
それにしても草が生えすぎて、見通しが非常に悪い。
スマホで巡邏クエストの内容をチェックすると、メインミッションAは可能な限り北小松地区と鵜川地区の調査、それに南小松地区にある監視設備の魔石交換だ。サブミッションBは調査する地区一帯において敵対個体の討伐または報告。サブミッションCは可能なら勝野地区より先の現況調査となっている。
内容的には昨日の巡邏クエストの上位バージョンみたいなもの。もし九条さんは今日のことを見込んで、昨日のクエストを用意したのなら、きっと俺は今生、あの人には勝てないのだろうな……
——考えすぎ考えすぎ、早くクエストのミッションAを終わらせよう。
分厚そうな鉄板で厳重に監視設備は保護されてる。鋼鉄製の錠前をギルドから預かった鍵で開錠して、すぐに魔石を交換した。交換済みの魔石はギルドへ証拠品で提出しなければならない。
『あ、ティコアの花だあ。この世界にもこの花があるのね』
リリアンの声がするほうへ目を向けると、彼女は地面から生えてる花の前で立っている。花の高さはリリアンの2倍ほどで、見るからに気持ち悪そうな紫色やら茶色やらが混ざってる花びらが満開だ。
『なんだ? その気持ち悪い花』
『えー、タロットはティコアの花が知らないんだ』
『うん。見たことがないな』
『これはね、マンティコアが怪我したときによく食べる貴重なお花さんだよ。マンティコアのお薬を作る時に必要な素材でもあるの』
リリアンはティコアの花という気持ち悪そうな花びらを触ったり、ちぎってから食べたりしてる。
異世界の植物がこちらの世界で自生する例はいくらでも発見されてる。その代表が薬草だ。
異世界から転移してきた人たちから創薬の仕方を聞いて、調合でポーションを作れることはすでに知識として広く知られている。ラビリンスグループの製薬会社でも商品として、ポーションの製造と販売を行っている。
ただしポーションに限らず、同じものでもなぜかラビリンスでドロップしたもののほうが効果は高い。万病に効き目がある万能薬や身体の欠損を治すエリクサーなどは迷宮にしか存在しない。
だが、たとえ家族と仲の良いチワワマスターや居候をさせてもらってるポメラニアンでも、そういう貴重性のある品々を簡単には渡してくれない。
どうもそれらはラビリンスマスターが倒されるときだけ、ランダムで出てくるご褒美であるらしく、欲しくば戦いに勝って奪い取れだとさ。
チワワマスターとポメラニアンを倒すつもりはないので、そういった貴重品はいつか運が良ければお目にかかりたいものだ。
もちろん、迷宮主人の討伐なんて危ないマネはするつもりはない。
『へえー、それは珍しい花だな……って、マンティコアのお薬ってなんなんだ?』
『そんなことも知らないの? 妖精とエルフならだれでも知ってることなのに?』
『いや、俺は妖精じゃないしエルフでもない。お前らの言い方でいくと人族だよ』
『人族でも知ってるよ。エルフたちがね、人がいっぱいのお金を出してでも買いたいだって。でもリリアンたちしか作り方を知らないから数がないの』
どうやらマンティコアのお薬というのはとても手に入りにくいお薬であるらしい。しかもこの妖精だけが作成方法を知っているみたい。こういう極秘の物になぜか心がくすぐられる。
『な、なあ、リリアン。リリアンはマンティコアのお薬を作れるかな?』
『うん? リリアンはマンティコアのお薬を作れないよ』
さっそくだが俺だけでマンティコアのお薬を独占する野望がいきなり断たれました。ちくせう、使えない妖精め。
『でもリリアンはマンティコアのお薬の必要な素材と調合方法を知ってるよ』
『作れるじゃないか!』
よーし、太郎の野望再びだ。
『だってね、王女様がね、リリアンは危なっかしいから工房に入っちゃダメだって……グッスン』
『なあ、リリアン。よく聞いてほしいんだ』
涙を流している妖精をぼくはできるだけ優しい手付きで包み込んで、二人の目が合わせられるように、自分の目の前まで手のひらで抱き寄せた。
『ここには邪魔な王女様がいないし、ぼくならリリアンのしたいことをなーんでも応援してあげたいんだ。だから一緒に作ろうよ、マンティコアのお薬』
『タロット……いい人だったんだね。うん! リリアン、まだ成功したことないけど、マンティコアのお薬を作ってみるね!』
お人よし妖精だ、まんまと引っかかってくれたわ。あーははははっ!
まっ、冗談はいいとして、リリアンはマジックドールとしてじゃなくて、普通に見ても意外と可愛いことに気付いた。そう言えばまともにお話をしてなかったよな。今後は長い付き合いになりそうだし、仲良くなれるようにお話する時間をつくりましょうか。
『でもね、ティコアの花だけじゃなくて、フルフルトの実とワイヤーク草もいるし、迷宮にしか生えないイストの木からとれる樹液が必要なの……ウェーン』
『ど、どしたの?』
急に泣き出すリリアンにびっくりしてしまった。
『リリアンはね、みんなの役に立とうと思って、イストの樹液を取りに迷宮に入ったの……グスン……そうしたらね、この世界に来ちゃったの。みんなに会いたいよお……ウェーン』
『そ、そうか。リリアンは優しいんだね』
『ううん。役立たずのリリアンってみんながイジメるから、イストの樹液を取って、リリアンはすごいんだぞって威張りたかったの……グスン』
『そ、そうですか』
優しさじゃなかったらしい。
うーん、この妖精からポンコツ臭がプンプンしてきそうだけど、今後の付き合いを考えるとここは時間をかけて、ちゃんと見極めてやるか。
『……グスン。あとね、とても難しい素材がいるの』
『ほう、それはなんだね』
マンティコアのお薬はティコアの花をリリアンが見つけた流れで作ってみたいと思っただけで、無理してまで作りたいものでもない。だけどその入手が困難な素材とやらを聞いてあげようじゃないか。手に入らないの物であれば、マンティコアのお薬の作成はその時点で計画終了だ。
『最後にミノタウロスジェネラルの血を一滴だけ垂らさないといけないの。里にね、ミノタウロスジェネラルのお爺さんが住んでるから作れたけど、ミノタウロスジェネラルは強いからリリアンじゃ勝てないなの』
『任せろ、リリアン! それは俺がなんとかするから、マンティコアのお薬を作ろう』
『う、うん……』
「はーはははは」
妖精が手の中で若干引いてるみたいだが気にしない。
ミノタウロスジェネラルなら1体どころか、生きのいいやつが4体もいる。スモーレスラーだっけ、いや? バニーガールだった気もするけどそんなのはどうでもいいや。
迷宮にしか生えないイストの木。これを採取するのはチワワマスターの迷宮でもなく、ポメラニアンの迷宮でもない。お友達になれたピエーロさんにお願いすべきだ。そこならマンティコアのお薬を秘匿することができるので、これで俺だけの資金源が生み出せるはず。
フルフルトの実とワイヤーク草は宛てがなくもない。うちにいる食っちゃ寝のダメエルフよりも、この前に知り合ったアリシアさんが適任者。彼女なら冒険者として畿内を渡り歩いてるから頼りになれそうだ。
こうして人々と出会いつつ、俺の世界が広がっていく気がする。
人と人がこうして繋がっていくのは素晴らしいね! あとでアリシアさんに連絡しよっと、マンティコアのお薬で俺の懐がウハウハになれたらいいな。




