0029椅子
「朝か」
カーテンの洩れる朝日が夜の闇に覆われていた両目の闇を払い。
一日の始まりを告げる。
布団を覗くと豊穣はすでにいない。
無言で制服に着替えた。
豊穣は朝飯の準備中なのだろう。
昨日の一件の高揚感のせいか、一階からの香りが漂ってくるのがよくわかる。
この香ばし臭い味噌汁だな。
そんなことを考えているうちに着替えは終わり、階段を降りてリビングへ。
そこから台所で料理中の制服エプロン姿の豊穣の背中が見える。
「豊穣おはよう」
「糞虫! ちょうどよかったわ! これで出来上がりだから!」
そうくるんと回転する。
そのピンクと白のエプロンはフリルがついた、いかにも女の子が好きそうな可愛らしいエプロンだが……。
「一応聞くが何で絵柄がYES/NO枕なんだ?」
「違うわよ! 糞虫! これはYES/YES枕よ!」
「論点そこじゃねーよ! 何だよYES/YES枕って!」
「知らないの糞虫! これは女性が、男性の全てを支配して、女性が全てYESしくははいと言えせる事しか相手に言わせない。征服の印よ!」
『そんなの浅井君の要求なんだから全ての答えは一択だよ!』
絶対豊穣の表の声で言ってることは違う気がする。
多分、妻なら夫の要求への返答はYESのみとかそう奴だろう。
「さいですか、お前の未来の旦那は苦労しそうだな……」
「ゲロ!」
『そうかな? 浅井君とならいつまでも仲良くいられそうなんだけどな……』
未来の旦那俺で確定かよ……分かってたけどさ。
悪い気はしないけどさ。
まあ確かに俺なら豊穣となんだかんだでずっと仲良くいる気がする。
当然木下でも屏風でも同じ気がする。
結局のところ誰を選んだら正解なんだろうな。
「まあいいわ! 糞虫朝食よ!」
そうしてお盆に料理を乗せテーブルに置いた。
メニューは塩鮭と味噌汁、炊き立ての白米とレタスとトマトのサラダ。
普通に旨そうだ。
頂きますと手を合わせ箸で塩鮭を摘まもうとするとある事に気が付いた。
「豊穣どうした? 今日はやけに上機嫌だな」
両手の肘をテーブルに立て両手に自分の顎を乗せて俺を見ている豊穣がそう見えたからだ。
「なんでもないわよ! ただ面白い夢が見れただけよ!」
『昨日の夢最高だったな。浅井君に大好きって言われて、そのまま挙式をうふふふ』
豊穣はあの時夢現で聞いていたらしい。
これが狸寝入りだったらめんどくさい事になっていたかもしれないな。
そんな幸せムード全開の心の声を飛ばしてきてはいるが、安定の無表情である。
だが、よく見れば口角がいつもより上がっている気がする。
「そういや、弁当の話はどうなったんだ?」
「ゲロ! もちろんすでに用意済みよ! ほらここに!」
弁当を誇らしげにみせるが包む布が……
「なんで、ハートマークなんだよ……」
「違うわよ! これは異世界に存在するという設定のハート型の果実よ! ハートじゃないわ!」
なんそりゃ無理ありすぎるだろ。
『だって浅井君への大好きって想いをたっぷり入れて作ったんだもん! だったらこの柄しかないよ!』
「あえて、ツッコまんがとりあえずありがとう期待してるぜ」
本心が分かってもツッコミどころの多い言い訳だが、せっかくの豊穣の好意だ。
細かい事をとやかく言うのも野暮ってもんだろう。
木下と屏風が騒ぎそうだが、ありがたくいただくとしよう。
そうして豊穣が見守る中旨い朝食に舌鼓を打った。
なんか着々と豊穣に胃袋を掴まれている気がする。
それから『新婚さん気分~』などと上機嫌な心の声を飛ばしてくる豊穣を引き連れ家を出た。
豊穣の制服エプロン姿をもう少し見たかったなと呟きそうになったのは秘密だ。
家を出て少し歩くと木下と屏風の奴らとばったりあって。
いつもの通学路、俺は家を出る時間はほぼ同じ時刻にしているので、木下と屏風はそれに合わせているのだろう。
すると不協和音を乗せた黒の高級車が一台近づいてきた。
車の後部座席に窓が下がる。
「おはようございます! 皆さん金緑さん!」
そう九条院さんである。
「「「…………」」」思う所があるのか無言の三人。
そのままドアを開け九条院さんが車から降りた。
そして。
「えい!」
俺に突然抱き付いてきた。
「どうしたの九条院さんいきなり抱き付てきて……」
「これは私の愛読書のおまじないです! こうして私の匂いと体温を金緑さんにマーキングしているのです!」
この流れ……展開よめたな。
三人を見ると。
「あっそれ私もやる! 九条院さんに負けないんだから!」
「私……も……参戦……しま……す」
『九条院! ずるいぞ! 俺だってしたい!』
「糞虫の甲殻は私のテリトリーよ!」
『私だってもっと浅井君の体温感じたい!』
そうして四人が抱き付いてきた。
鼻孔をくすぐる女性特有の甘い香りは四人分ともなれば、強烈俺の男の部分を刺激して思わず夢心地に浸ってしまいそうだ。
だがそんなことが道端でできるわけもなく平静を装う。
「お前ら動きにくから引っ付くな!」
「ほら三人とも金緑が動きづらいじゃない! 手を離しなさいよ!」
「それはこっちのセリフよ! 雌ブタ二号!」
「こっち……の……セリフ……です……皆さん……手……を……離して……くだ……さい」
「皆さん何を言っているのですか? ここは運命に導かれた正室である私に譲るべきです!」
なにを! なによ! と一触即発のようようを呈し始める四人。
このままだとめんどくさくなるな。
いろんな意味で。
「お前らここは痛み分けで全員諦めるってのは――」
「だめよ!」
「だめ……で……す!」
『ダメ決まってるだろ! せっかくの修羅場だぜ! いちゃこらのついでに取材だ!』
「ゲロ!」
『駄目だよ! これは負けられないよ! 私が一番浅井君を好きなんだもん!』
「これは譲れません!」
どうしたものか、周りの知らない人たちは不思議そうに見てるし、クラスの顔なじみはまたかという表現がぴったりな顔をしてとうり過ぎていく。
目の端に青井が凄い顔でこっち見ているのは気のせいだなと思う事にした。
そういえばあいつ九条院さんに本心を暴露されてから元気がないが、まあ今はどうでもいい事だ。
まだ四人はにらみ合っているので、ある提案をした。
「じゃあお前ら俺の腕に抱き付けよ、5分交代でどうだ?」
「ゲロ! いいわよ!」
「分か……り……まし……た」
「わかったわよ!」
「できれば一人占めが良かったですがしかたないですね……」
そうして話し合いの結果。
最初は九条院さんが右腕、木下が左腕に抱き付くことになったが、九条院さんが。
「金緑さん! 今日は密着デーです! すでに先生方への根回しはすんでいます! 期待してくださいね!」
「密着ってすでに密着しているけど……」
「ふふふ、それはお楽しみです!」
「九条院さん私の金緑に変な事はやめてよ?」
「変な事ですか? 皆さん金緑さんと一線は超えていないんですよね? 金緑さんとのキスは私だって済ませていますし早い者勝ちでは?」
「あんたねえ! まあ一理あるわね……金緑超奥手だから最後の方にならないと私たちに手をだなそう……信じているからね金緑」
「確か……に……そう……で……す」
『それがいいんだが奥手てのも考え物だな、こっちはいつでもエロエロルートはバッチこいだぜ!』
「ゲロ……糞虫だからね……」
『昨日勝負下着だったんだけどな……浅井君の体温が凄い気持ちよくてすぐ寝ちゃった……』
「豊穣さんそれどうゆういう事です? 金緑さんと一緒のお布団で寝たのですか?」
「ゲロ! そうよ!」
「豊穣それ羨まし過ぎよ! 次私だからね金緑!」
「私……も……したい……です」
「まあいいでしょう! 独身時代の火遊びはおおめに見ます! 金緑さんといずれおはようからお休みに至るまでずっと一緒にいるのですから!」
「九条院さんはこいつらと関係を火遊び扱いは止めてくれ、俺は真剣にこいつらとの仲を考えてるんだ」
「なぜです? 私は金緑さん以外いないのに……」
「それは――」
言いかけた言葉を飲み込んだ。
これは今言うべき言葉じゃない。
「まぁいろいろあるのさ」
「よくわかりませんが、今日こそ貴方を落とします! 覚悟してください!」
そうして注目はされど。
毎度のことだ気にしてない! そして俺たちのクラスにたどり着いた。
それから四人と雑談をしたが当然の如く三人は九条院さんを警戒している。
今までだれも割り込んでこなかった俺たちの中に九条院さんがぐいぐい割り込もうとしているからな。
別に九条院さんは嫌いではないが、ちょっとがっつきすぎている気がする。
そりゃ何年も探し俺じゃないとダメだってのはわかるけど。
「そろそろ頃合いですね! よいしょと!」
俺膝に暖かいモノが乗る。って!?
「なにやってんの?」
「何って金緑さんのお膝の上に座っているんですよ!」
「いやだから何で座ってんの?」
「先ほど言ったじゃないですか! 今日は密着デー! ほとんどの時間はこれで過ごします!」
「授業中も?」
「当然です! そのための教師たちへの根回しは済んでいます! たっぷり私の体温と香りをマーキングします!」
「メット野郎! 何ふざけたこと言っているのよ!」
そういいつつ俺を一瞥する豊穣。
『そ……そんな手があったなんて! ああ浅井君に膝暖かそうだな……羨ましい……』
「豊穣さん羨ましいなら羨ましいとはっきり言ったらどうです? 普段から毒を浴びせされている金緑さんがかわいいそうですよ?」
「うるさい! 羨ましくなんてないわよ!」
また豊穣は俺を一瞥した。
『ああなんで、本当のこと言えないんだろ? この場で浅井君に抱き付いて過ごしたいほど好きなのに……』
「豊穣さん貴方……ライバルには塩はおくりません。それが言えないのならば貴方の想いはその程度の事なのですよ?」
「うるさい! うるさい!」
耳を塞ぎ頭を振り回す豊穣。
それを屏風がなだめた。
「ちょっと豊穣落ちつきなさいって! 金緑はきっと絶対待ってくれるから! 気長にいけばいいのわかった?」
「そう……です……浅井……君……は……性格……も……男前……です」
「ゲロ……」
再び俺を一瞥。
その目元には光るものがにじみ出ていまにも零れ落ちそうだった。
『信じていいのかな? 浅井君……』
当然だ豊穣。
その程度待てないなら豊穣とここまで親密な関係は築けていない。
「豊穣何か俺に伝えたいならいつまでも待ってやるからそんな顔をするな。可愛い顔が台無しだぞ?」
「ゲロ! 何の事かしら糞虫!」
零れそうな涙をぬぐう豊穣。
全く困った奴だ。
『ありがとう浅井君大好き』
「ハイハイ! そこの四人! 美人教師満開花ちゃんが到着したから、砂糖タイムは終了よ! 屏風ちゃんもすぐ戻らないとまた怒られるよ?」
「ほんとだわ! じゃあ戻るわ。言っておくけど金緑は私の物だからね!」
「私……の……物……です!」
「糞虫! の虫籠は私の物よ!」
「違います! 正室は運命に導かれた私です!」
そういって豊穣は駆け出していった。
普通なら廊下を走るなというべきだろうが、花さんはそんな野暮な事は言わない。
「そんなわけだから降りて九条院さん」
「だめです! 先生方にはすでに許可を得ています!」
「本当なんですか、花さん」
「おいおい学校では僕は満開先生だゾ! それが本当の話でね! 金緑君キミは今日九条院さんの椅子として頑張りたまえ! でも僕の本心を知っている君だったら僕が言いたいこと分かっているよね?」
分かってますよ。
そう簡単に落ちませんよ。
「やはり金緑さんは魅力的な方ですね。私を含め五人の女性に好意を持たれるとは、正室として鼻が高いです!」
「そんなわけで授業を開始するよ! 教科書123ページを開いて!」




