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新米吸血鬼

「遥かポンディシェリの波打ち際に」を一人称小説から改稿し、タイトルを改定しました。

 新米吸血鬼、カレン・サヴィニエは地下霊廟に銀鎖で繋がれていた。

 階段の上の扉から微かに葡萄の芽吹く香りが降りてきた。足音が二つ。

 カレンは闇の中から叫んだ。

「南フランスはもう春ね、ドイツはまだ冬だわ。そうでしょ、マリー。腰巾着のジャン=バティストはさっさとワインをよこしてよ!」

 葡萄畑の香りと共に降りてきたのは、黒髪を緩く結ったマリー・デュボアと、マリーの参謀で眼鏡をかけたジャン=バティスト・カンカンポワだ。

「腰巾着よばわりされる覚えはないね、カレンちゃん。

 今日はマルキ・ド・ラ・ムリヌの熟成ワインを持って来た。

 君のマリーがあちこち手を回して手に入れたんだ。繊細な香り、トレビアン!僕が飲んでもいいんだぜ。」

 カレンはワインに向かって突進したが、銀鎖の長さが足りない。

「忌々しい!マリー、いつまで私を閉じ込める気なの。私に罰が必要かしら。ジャンに噛みついてやる」

「君は子供のままかい。僕ら、ブルゴーニュ吸血族の掟を無視し続けてる。ここに来てから五ヶ月。何も学ぼうとしない。癇癪を起してはマリーを傷付け、大切に守ってきた僕らの住まいを破壊する。

 君はバレエダンサーで、伝統の持つ価値を身につけた芸術家だった。君なら霊廟の上の古いブルゴーニュ農家建築の良さが分かると思ったのに。ただの駄々っ子だ」

「馬鹿にしたわね。すべてはマリーのせいだわ」

 マリーの眉がピクリとした。

「カレン、まだ私のせいだと言うの。」

「マリーは病死するはずだった私を吸血鬼にしたのよ。私が人間のまま生を終えると承知していたのに!

 おかげで私は永遠に25歳だわ」

 彼女は優雅に腕を伸ばした。最後に踊った「ジゼル」の腕だった。

「カレン・サヴィニエは伝説の舞台を残してこの世を去ったの。お墓だってバレエ団が建ててしまったわ。

 二度と舞台に立てない、二度と人前で踊れない。

 マリー、あなたを愛しているけど、これは地獄よ。あなたを、自分を、運命を恨むわ……」

「あれは事故だったのよ。鎮痛用モルヒネが効かなくなって、あなたは私に血を取って死なせてと懇願したわよね。私の血があなたに逆流して一族に加わったのは明らかにあなたの体質のせいだわ」

 カレンの眼が暗闇でギラッと光る。

「私のせいにしないで!あなたと10年恋人だった間に体質が変わったなんて!」

「カレン、恨み言は聞き飽きたわ。」

 マリーは駆け上がり、荒々しくドアを閉めた。

 ジャン=バティストはワイングラスを持ったまま動かない。

「カレン、君はマリーに甘え過ぎだ。運命は素直に受け入れると考えるからこそ、君はマリーの正体を知っても恋人であり続けたし、人として死ぬ道を選んだ。そうだろ?」

「今更なによ、ジャン。鎖を外して。いくら闇の中で眼が効いても太陽の下に出たいの。外の風に当たりたい」

 ジャン=バティストは眼鏡をくいっと持ち上げた。

「ダメだ。僕はマリーの信頼を裏切られないんだ。

 そうだ、僕の話を聞くかい。300年前、僕がマリーと出会ったいきさつを。お行儀が良ければワインをあげよう」

 うなだれていたカレンの淡い金髪がふと揺れた。

「……そういえばあなたの過去を聞いたことがないわ。いい暇つぶしだわ、1分毎にひと口ちょうだい」

「暇つぶしというなら、5分でひと口だ。」

「2分にして。」

「3分で手を打とう。」

 カレンは渋々うなずき、ジャン=バティストは一歩離れたところに腰を下ろした。

「ルイ15世陛下の御代、僕はパリの外れに生まれた。

 父は証券取引市場前に店を構えたが、息子に商才はなかった。僕は星空に魅入られた少年で、数学が得意だった。パリ天文台に就職したのは14歳さ。

 おお、煌めきの毎日よ。一番張り切った仕事は何だと思う」

「ちょっと。ワイン飲ませてよ」

「まだ1分と少しだ。

 天体の軌道計算だよ。特にハレー彗星の出現予測再計算はやりがいがあったね。ラランドさんとルポート夫人が計算し直して半年かかったよ。僕はルポート夫人に検算を任された。

 凄かった、あの根気ときたら。ラランドさんは面倒見の良い変人で、ルポート夫人はとっても美人で、天文台のアイドル……いや、女神だったな。

 その女神をこよなく尊敬していたのが、ル・ジャンティ殿さ。大貴族ド・ラ・ガレジエールは博識で気取らなくて何でも出来て。

 僕は、あ、3分?」

ジャン=バティストはグラスを差し出した。カレンは首を伸ばし、口をつけた。

「ああ、生きかえるわ。もっと飲ませて」

「カレン、僕が何を話したか覚えてる?」

「あなたが天文台に勤めていたなんてね。あと、女神」

「ああ、もう!僕はル・ジャンティ殿と長い旅に出た。忘れがたい船旅、喜びと苦しみ、そして哀しみの旅だった。

 あの頃、欧州は欲望と理性の狭間で揺れていた。欲望は7年戦争を引き起こし、理性は世界初の多国家によるヴィーナス・トランジット観測を実現させたんだ。分かる?」

「ノン!太陽面金星通過ヴィーナス・トランジットって何?」

 ジャン=バティストは頭を掻きむしった。

「訊いた僕がバカだった!」

「それなら説明すべきよね。」

「その前に君の頭の中の太陽系を教えてくれ。」

「太陽から近い順に、金星、火星、地球、木星、海王星だっけ」

「は、話にならない。水星はどこ?なんで火星が地球より太陽に近い?土星は消滅した?それなのに海王星が入っている」

「海王星は私の支配星だもの。」

「くそ!君の脳みそも魚並みか!これだから双魚宮って!」

「いいから観測の目的はなに。ひとことで言って」

「太陽と地球の間の距離を計算するためさ!」

「……ふーん。」

「ああ、やっぱり。君は三角測量も知らないんだろ?」

 困惑する男の姿を見て、久しぶりにカレンは笑った。

「訊いたあなたが悪いのよ」

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