終わりは始まり
昨日行われた大会は、リュートの竜巻魔法が観客席や大会運営本部に直撃するという事態となり、闘技場の一部は破壊され、伝統ある大会は、その歴史で初の中止という結果になった。ただ、中止という結果になりながらも、魔法科の教師たちが慌てて作り上げた魔法障壁のお陰で、けが人を出すことがなかったのは、まさに不幸中の幸いであった。
事件は表向きには、リュートが大魔法を唱えるもコントロールしきれなかった事にされている。それについては、ユイの約束を守ったリュートが、一切の言い訳をしなかったため、すんなりとそう扱われる事となった。
その試合のもう一方の当事者であるユイは、竜巻の魔法に飲み込まれたが幸運にも助かった事に、公式記録としては扱われていた。それ故、翌日に突然アーマッド教授の部下から、放課後にアーマッドの元へ来るように連絡を受けると、彼は意外そうな表情を浮かべる。
放課後までの間、彼は色々呼び出しの理由を考えていたが、試合中のアレを見られたとは考えづらく、授業に全く集中することができず、あっという間に放課後がやってきた。ユイはアーマッドからの呼び出しに、いささか憂鬱な気分を排せず、重い足取りでアーマッド教室へと向かう。そしてちょうど教室前にたどり着いた所で、教室内からやや疲れた様子のリュートが姿を表した。
「お前も呼ばれていたのか……」
「リュートは何の用だったんだい?」
ユイがアーマッド教室への訪問理由を尋ねると、リュートはわずかに苦虫を噛み潰した表情を浮かべ、口を開いた。
「昨日の顛末の確認と罰則の通知だ。さすがにあれだけの事件を起こしたんだ、二週間の奉仕活動と、闘技場の修理の手伝いをしろとさ」
「……ごめん」
「何を謝っているんだ? 貴様は何もしていない。俺が未熟だったから、あの魔法のコントロールを失ったんだ。その原因が何であろうとな。いいかイスターツ、俺は約束は守るし、貴様のことは口外せん。だから、いつか俺ともう一度試合しろ。それまでに貴様を倒せるぐらいには鍛え直しておく」
やや自嘲気味にリュートはそう告げると、ユイは困ったような表情を浮かべ、頭を一度掻く。
「……後ろ向きに検討しておくよ。正直な事を言うと、もう君とはやりたくないんだよね。あれを君に見せちゃったから、僕の手の内はバレているしね」
「ふふ、しばらくはいいさ。貴様に勝てると確信するまではな……では、次戦う時を楽しみにしている」
そう話した後、リュートはユイを一睨みした上で、その場から歩み去る。その場に残されたユイは、やや弱った表情を浮かべながら、深いため息を吐いた。そして一呼吸置いた後に、気持ちを切り替えると、アーマッド教室のドアをノックする。
「すいません、戦略科一年のユイ・イスターツです。お呼びと伺いましたが」
「ああ、待っていたよ。中に入りたまえ」
ドアの内側から、やや低めの落ち着いた声が帰ってくると、ユイはやや緊張した面持ちで、ドアを開ける。中に入ると、教授席に腰掛けていたアーマッドは、にこやかな笑みを浮かべながら、ユイに向かいの席へ座るようにと促した。
ユイは勧められた木の椅子に腰掛け、綺麗に整頓されたその部屋をぐるっと見渡す。その珍しい物を見るかのような動きに、アーマッドは笑みを浮かべながら声をかけた。
「君はまだ一年生だから、ゼミ室に入るのは初めてかな。うちのゼミは人もそんなに多くないから、物も多くないし汚くはないだろ。君にはぜひ将来うちのゼミに来て貰いたいんだけどね。おっと、本題から脱線するところだった。イスターツ君、今日はなぜ呼ばれたのかわかるかい?」
微笑みながら問いかけてくるアーマッドに対して、ユイはわずかな逡巡の後に、一般的と思われる回答をした。
「昨日の試合の件でしょうか?」
「まぁ、全く無関係ではないが、ちょっと違うんだ。実は君にお願いがあって、こうやって呼んだんだ」
「お願い……ですか?」
ユイはアーマッドの呼び出しの理由が、完全に予期せぬものであることを感じ、わずかに体を固くする。そのユイの緊張が伝わったのか、警戒しなくてもいいとばかりに、アーマッドは笑みを浮かべたまま彼にお願いの内容を告げた。
「ああ、実は私の親戚にちょっと困った子供がいてね。家庭教師を探しているんだが、それを君にお願いしたいと思ってね」
予想もしなかった話の展開に、ユイは目を丸くし、しばらく返答ができなかった。そして、ようやくアーマッドの言葉の意味が脳に染み渡ると、ユイは何かの間違いではないかと考え、その人選理由を疑問に思った。
「家庭教師ですか……どうして私に」
「君が適任だと思ったからだよ」
アーマッドは簡潔にそう述べるも、ユイはまだ理解できてないため、自分を指さして、もう一度確認する。
「私がですか。教授と私はまだ二回しかお会いしたことがないと思うのですが……どうして私が適任だと?」
「理由はいくつかあるんだが、先方の希望は文武両道に秀でて、人格的に問題の無い者ってのが、先方の第一条件でね」
アーマッドのその答えを聞いて、ユイは思わず首を傾げる。
学業に関しては奨学金を取らなければいけない事情もあり、ペーパーテストに関しては学年首位の座を取っていた事から、その点で評価されるのは理解できた。
しかし求められているのがそれだけではない事は明らかであり、率直な疑問をアーマッドにぶつける。
「しかし文武と言いましても、私は魔法を使うことはできませんが?」
「あの魔法科の麒麟児相手に、全く遅れを取らない戦いをしたんだ。魔法に関する知識はあるんだろ? もっとも君のこれまでのレポートや、成績はすべて調べさせてもらって、君が魔法に詳しいことは確信しているんだけどね」
先日の試合の組み合わせがアーマッドによって仕組まれたものである事はユイも確信していたため、それに関してはあまり驚かなかった。ただ、アーマッドが成績以外にレポートと口にしたことに、ユイは引っかかった。
「……レポートですか」
「ああ、君が先日書き上げた魔法構造学のレポートは目を通したよ。あんなもの、うちのゼミにいる君より上級生の子たちでも、とても書けないさ。今すぐうちのゼミに来て欲しいぐらいだよ」
先日、課題として提出した魔法構造学に関するレポートが、アーマッドの手元に渡っていることに、ユイは初めて目の前の人物に対して警戒の必要性を感じた。しかし、できる限りそれを見せないように努力しながら、ユイは表面上、相手に合わせて話を続ける。
「魔法の実技では、点数が取れませんからね。僕の場合、ペーパーテストで稼ぎませんと」
「ふふ、それはまあいいさ。魔法学自体の知識は十分あるみたいだし、ここの入学試験はペーパーがほとんどだから、教えるには十分だよ」
アーマッドのその答えに、教える相手がここの受験を考えていることを知った。しかし未だ、自分を選択する理由がやや釈然とせず、ユイはもう一つ疑問に感じていた点を、彼に問いただした。
「それはわかりました。でも私が言うのも何ですが、人格面はどうなんですか? 先ほどもお話したとおり、私は教授とほとんどお会いしたことがありません。それなのに、私で問題ないとどうやって判断されたんですか?」
ユイの問いかけに、アーマッドはやや苦笑いを浮かべると、その口から予想しない人物名が飛び出した。
「ああ、それなんだけどね。ロダックのやつに、君のことは聞いていてね」
ロダックという名前を聞いて、ユイは脳内の人名リストを隅々まで見直す。そして僅かな間の後に、先月から働き始めたグリーン亭のマスターの名前が引っ掛かり、彼にしては珍しく動揺した。
「……なぜマスターが?」
「あいつとは実は古いつきあいでね。昔は一緒に軍で働いたこともあるんだよ。その繋がりで、あいつから君のことは色々聞いてね」
全く軍人の匂いを感じさせない細身の店長の姿を思い出して、ユイは思わず黙りこむ。そして、覚悟を決めて、アーマッドに先を促した。
「……それで?」
「あいつのところには、君の代わりに僕の知り合いをバイトとして紹介しておいたから心配する必要はない。そして君が今までバイトを行なっていたことは、僕のあずかり知らぬこととするから、君は後顧の憂い無く家庭教師に専念して貰えたら幸いだね」
「それは脅迫にしか聞こえませんが?」
既に代わりの人材を紹介したということは、ユイのグリーン亭でのバイトの道は実質閉ざされたことを意味する。ユイはその時点で、校則の面だけでなく、金銭的な面でもアーマッドに追い詰められたことを理解した。
「そんなつもりは無いよ。万が一君が断っても、僕から生徒指導部に報告したりはしないさ。ただ私の紹介する仕事は、正直言って好待遇だし、何より危ない橋を渡らなくていい」
「……既に選択の余地は無さそうですね。そんなに私を紹介したかったんですか?」
「ああ、ちょっと大事な親戚だから、それなりの人選は必要でね。そう思って、いろいろ探しては見たんだが、それに見合う人材は君以外に見当たらなかった」
ユイはなぜ自分が、アーマッドにその存在を知られたかが気にはなったが、今更尋ねることに意味を見出せず、諦めの心境で、彼の話を受け入れることにした。
「……分かりました。それで、僕は誰を教えたらいいんですか?」
「それなんだが、先ほど言ったように僕の親戚の子でね。ちょっと格式高い家の子なんだが、よろしく頼むよ。名前はエインスって言うんだ」
「エインス?」
初めて聞く名前だったので、ユイは思わず問い返した。
するとアーマッドは笑みを浮かべたまま、予想だにしないことを口にした。
「ああ、エインス・フォン・ライン。ライン大公家の長男さ」