ズルい男
予選の試合をあっさりと済ませたリュートは、まったく疲れを見せることもなく舞台から引き上げてきた。そして観客席への通路に向かうと、今後の敵情視察を兼ねて予選の試合を観戦するため、闘技場の入り口とは反対側となる北側エリアの観客席へと向かった。
そしてリュートは周囲を見渡し、比較的空いている三階の座席に腰掛ける。すると、近くの席に座っていた数少ない学生は、リュートの存在に気づき、そそくさと席を立った。しかしリュートはそんな周囲の動きを気に留める様子もなく、予選会に視線を合わせる。
総合部門での試合は、バトルロイヤルということもあり、リュートの出場した第一予選を除いて、魔法士の一方的な勝利とはならなかったが、結局は第八予選を除いて、すべての試合で魔法士が決勝トーナメントへと足を進めていた。もちろん、ここまで唯一の例外である第八予選の勝者は、言わずもがなアレックスである。彼はほとんどの参加者に、剣や魔法を使う隙も与えず、全員を一撃のもとに叩き伏せ、悠々と予選突破を決めていた。
魔法科所属のリュートにとっては、予選を突破した面子は、大体予想されたメンバーであったため、予選が進むにつれ、しだいに試合内容から興味を失い始めていた。しかし予選の最後となるある試合が始まった途端、彼は急に試合会場へ視線をひきつけられると、そこで繰り広げられる光景に、思わず表情をひきつらせる。そして試合が進行し、段々と脱落者が生まれ始めると、今にも怒りだしそうな表情を浮かべ出し、その全身に不機嫌なオーラを纏い始めた。
そんな苛立ちを周囲に発散するリュートのもとに、先ほど悠々と予選を勝ち上がったアレックスが、のんびりとした足取りで歩み寄って来ると、笑みを浮かべながら声をかけた。
「リュート、他の予選はどうだい? そろそろイスターツ君の試合が始まっている頃だと思うけど」
「……あれを見ろ」
リュートは僅かに怒りをにじませながら、試合上である舞台を指さす。そのリュートの口調に、アレックスはやや怪訝そうな表情を浮かべると、指示された舞台に視線を移す。その舞台上で現在試合を行なっている予選最終組は、まさにバトルロイアルと呼ぶにふさわしい、激しい乱戦模様であり、舞台内を所狭しと、学生たちが武勇を誇りあっていた。
「おお、激戦だね。で、なんでリュートは不機嫌なんだい?」
「試合全体はどうでもいい。ここからヤツだけをよく見てみろ」
いよいよ怒りを隠さなくなってきたリュートの声に、アレックスは首を傾げながら、舞台の上にいるユイを探す。するとユイは、その舞台上をせわしなく走り回っていた。いや、より正確に言うならば、常に周囲の対戦相手の死角に入るように、できるかぎり存在を消しながら戦闘を行なっていた。彼は必要時は細かく動きまわり、また時には他人の視線を外すために立ち止まって、決して戦闘を行うこと無く、舞台上を駆け巡る。
「ははは、すごいね。あの乱戦の中を、誰の標的にもならないように、器用に立ちまわっているじゃないか」
「ふざけるな、あいつは試合が始まってから、まだ一度も剣を交わせていないんだぞ。他の連中が真剣にやっているのに、そんな卑怯なことが許されていいと思うのか」
リュートは、もはや観る価値もないとばかりに、両腕を組むと、その場で目をつぶってしまう。一方のアレックスは、ユイの立ち振舞いに、一層興味を刺激されると、彼の視線は舞台に釘付けとなった。
予選最終組の試合が始まって、しばらく過ぎた頃には、舞台上の選手は一人抜け、二人抜けと次第に脱落していった。そして、気がつけば舞台上に残ったのは激戦の痛みと疲労で、足元がおぼつかない陸軍科の槍使いの生徒と、まったく無傷のユイが残るという状況が出来上がる。
ユイは周りを見渡して、残りが二人であることを再確認すると、残った陸軍科の生徒に対して一気に間合いを縮めた。それまで存在すら気づいていなかったユイの突進に、槍使いの学生は慌てて牽制の突きを放つ。すると、ユイは槍の右手側に体を滑りこませ、その一撃をやり過ごす。そして陸軍科の学生が槍を引くタイミングに合わせて、ユイがもう一歩踏み込むと、お互いの距離がわずか半歩等というまさに至近距離で相対することになった。
そのユイの予想外の接近に、槍使いの学生はほんのわずかに戸惑いを覚える。その一瞬の隙をユイは見逃さず、更に右足を前に突き出すと、そのままの勢いで身体を半回転させ、半分背中を見せる姿勢となる。そして学生の視野から消えるように一瞬沈み込むと、そのまま背中から相手を突き上げるように体当たりを行った。
強烈な一撃を受けた学生は、その衝撃に耐えることができず、吹き飛ばされるように後ろ向きに倒れこむ。その瞬間、最終組の予選通過者が確定した。
予想もしない幕切れと、その予選通過者の戦い方に、観客は目を白黒させ、ここまで盛り上がってきたことが嘘のように、会場は静まり返った。そして主に陸軍科が集団で陣取る観客席の一帯からは、アレックス以外の数少ない決勝進出者の望みが絶たれ、誰が言うとも無く卑怯者とかアンフェアだとかいう野次が、ポツポツと飛ばされた。ユイはその野次を耳にしながら、困ったように頭を掻くと、誰にも聞こえないようにぼそっと呟く。
「はぁ、楽をしようと思って、逃げまわったんだけどなぁ。結局、働いた量を考えると、普通に戦ったほうが合理的だったか。反省、反省と」
ユイはため息を一つ吐くと、肩を落とす。そして、数少ない拍手を背に受けながら、ゆっくりと舞台を後にした。
観客席で、その試合の経過を見ていたアレックスは、勝者であるユイに向けて拍手を送ると、隣のリュートに話しかけた。
「ふふふ、やはり彼は面白い。しかし、結果としてはリュートと同じく、彼も一撃で決めたね」
「アレックス、あんな汚い勝ち方と、俺の戦いを一緒にするな!」
リュートは、アレックスの物言いに手振りを交えながら強く否定する。しかしアレックスは、リュートの怒りを涼し気な様子で受け流すと、あっさりと話題を切り替えた。
「ごめん、ごめん。まあでも、これで決勝トーナメントだよ。予選も終わっちゃったから、すぐに抽選会が行われるし、僕たちもそろそろ向かわないかい」
「ちっ、お前に言いたいことはあるが、いいだろう。時間に遅れて不戦敗は馬鹿馬鹿しいしな。それでは向かうとするか」
そう言って二人は立ち上がると、観客席を後にし、抽選会場へと足を進めた。