武術大会
学生たちが待ちわびた武術大会、それは雲ひとつない快晴の中、開かれようとしていた。
大会の当日、ユイは長蛇の列に並び、あからさまに憂鬱そうな表情でエントリーを済ませると、会場の下見を行うため、校内の中央に位置する闘技場に足を運んでいた。
士官学校には、戦闘訓練用の施設が大きく分けて三つ存在する。魔法訓練用の魔法武闘場、剣技や槍術など近接格闘術訓練用の剣術場、そして学園の中央に位置し、今回のような大規模な催しに使われる巨大な闘技場である。
闘技場は、中央の土と砂によって作られた円形の舞台を中心に、周囲をぐるりと三階建ての観客席で取り囲んだ形状をしていた。その作りは、剣術訓練だけでなく、魔法訓練にもある程度耐えられるように設計され、集団での行軍訓練にも使用されるなど、学園における軍事訓練の中心的な建築物であった。
ユイは闘技場の入り口から、階段を登って三階の観客席に向かうと、空いていた席に腰掛ける。そして、一呼吸した後に会場全体を見回すと、まもなく予選が始まるためか、中央の舞台が急いで整地されていた。ユイが何気なくその光景を見つめていると、突然左方から声がかけられた。
「イスターツ君、隣はいいかな?」
ユイは最近耳にしたことがある声に、慌てて左方を見ると、そこには試合用の木剣を片手に携えたアレックスが立っていた。
「ああ、アレックス君だったかな? どうぞ」
ユイの言葉に、アレックスは隣の座席に座ると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんね、無理やりこんな行事に引っ張り出してしまって。正直なことを言うと、僕がリュートにけしかけたんだ」
「……まぁ、約束は守ってくれているようだからね。そのことについては何も言わないよ。でも、どうして僕をこの舞台に立たせようと思ったんだい? 初等部にして、学内最強の剣士であるアレックス君」
アレックスは、先日までユイが自分たちのことを知らなかったことから、そのユイの物言いに、一瞬驚きを見せたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ直した。
「そっか、僕たちのことを少しは興味持ってくれたんだね」
「まぁ、先日までは殆ど知らなかったけど、どうも君たちは凄まじく有名人みたいだからね。リュート君に教室で絡まれて、君たちにお店で出会ったあの次の日、僕が無事学校に登校したことを、周りが凄く喜んでくれたよ」
ユイが苦笑い混じりにそう話すと、アレックスは両手を左右に広げ、頭を振ると、やや照れたように答えた。
「はは、まぁ入学当初、リュートと一緒に少し派手な事件を起こしちゃったからね。しかも話が大きくなってしまって、ちょっと偏見を持たれちゃっているのがね……まぁ、それはいいよ。とにかく、僕たちの事より、君のことだ。なぜ君を引っ張りだそうと思ったかだけど、君の実力を知りたいと思ったからっていうのが、率直な答えかな」
「僕の実力かい?」
ユイが思わず聞き返すと、アレックスは大きく頷いた。
「うん、君の実力がどれほどのものか、ちょっと興味があってね。もっとも最近まではみんなと同じように、君のことをただの勉強のできる秀才だと思い込んでいてね、そんなに気にはしていなかったんだ。ただ君と違って、名前ぐらいは知っていたけどね」
「ははは、それは申し訳ない」
先日までリュートやアレックスの名前を知らなかったユイは、思わず恥ずかしそうに頭を掻くと、アレックスは首を左右に三度振り、口を開いた。
「いやいや、気にしなくていいよ。いくら名前を知っていたとしても、その本質をつかめていないと意味が無いからね。ともかく、そんなある日、戦略科と陸軍科との合同実習で、偶然君を見かけてね」
「ああ、体術の合同訓練の時か」
アレックスの話から、二十日ほど前に行われた戦略科と陸軍科の新人による合同訓練を言っているのだと、ユイは考えた。
「そうそう、それ。魔法科や戦略科とは違って、うちの科は女子が少ないからね。うちの科の男子が、女子が実習に参加すると聞いて、いつになくはしゃいでいてね。そんな中の一人が、戦略科のひ弱そうな女生徒に絡みに行ってしまったわけだ。そしてその女子生徒に拒絶されたあと、逆上して掴みかかろうとしたところを、君が見たこともない技であしらっただろ。あれ以来、君に興味が湧いてね」
「ああ、セシルに絡んでたやつか。少し、勢いをつけて突っかかってきたから、彼の力をちょっと使わせてもらっただけだよ」
アレックスの話から、先日の授業の際に、ユイはセシルの肩を掴もうとする男子生徒を、小手返しの要領で投げた出来事を思い出す。そしてその記憶は、その時守ったつもりのセシルが、その時に何が起こったのかを理解できず、自分に近寄ってきた男子生徒が、ひとりでに転んだと考えていたことを思い出す。その時の不思議そうなセシルの顔が脳裏によぎると、ユイは思わず思い出し笑いをしてしまった。
そんなユイの笑いの意味をどう受け取ったのか、アレックスも笑みを浮かべ直すと、口を開いた。
「ふふ、相手の力を使うか。僕たちも相手の姿勢を崩すために、多少敵の力を利用することはあるけど、あんなものは初めて見させてもらったよ。差し支えなければ、どこで教わったものか、教えてくれないかい?」
「ああ、あれはうちの母親に教わった技だよ」
アレックスの問いかけに、ユイは思わず二度頭を掻くと、やや逡巡の後にそう説明した。
「へぇ、お母様かい。ふふ、面白いね。お母様は、何か武術を教えられているのかい?」
「いや、そういうことはないんだけどね。というより昨年、父親とともに他界してしまってね……」
ユイの発言を聞くなり、アレックスはユイに対して深々と頭を下げて謝った。
「……失礼なことを聞いてしまった。申し訳ない」
「いいさ、別に隠さなければいけない話でもないしね」
アレックスの誠実な反応に、ユイは苦笑いを浮かべながら、アレックスに気にしないでいいと告げる。
「イスターツ君。君が学校を抜けだしてまでバイトをしているのも、もしかして……」
「ああ、多分想像のとおりだよ。ちょっと生活が苦しくてね。もちろん校則のことは知っていたんだけど、あのお店は賃金が良くてね。それにまかないも出るから、こっそり働かせてもらっているんだ」
ユイは二週間前の開店時から、店員として働かせてもらっている店の話を、アレックス以外に聞こえないような小声で説明した。
「そうか……僕たちは君に対して、かなり失礼なことをしてしまったようだ。この借りはいつか返すよ」
「いいさ、校則違反は事実だしね。それにみんなに説明して回れる類のものでもないんだから、仕方ないさ」
「ありがとう。そう言ってくれると助かる」
アレックスはユイの気遣いに、申し訳無さそうな表情から、いつもの笑みを浮かべ直すと、ユイに微笑んだ。
「では、その話はここまでにしようか。まもなく予選が始まりそうだ。僕は最終組だからいいけど、アレックス君は何組目なんだい?」
ユイは自分に関する話はここまでとばかりに、武術大会の話へと話題を変えた。
「僕は八組目さ。確かリュートのやつが一組だったから、まもなく出てくるはずだよ」
アレックスがそう説明すると、ユイは安堵の溜息を吐く。別に絶対に優勝したいというわけではなかったが、渋々でも出る限りは、少しは善戦してみたいという気持ちもあった。その理由が、『知識おたく』という不本意な呼び名の返上にあることは、当人だけの秘密であったが。
「おっ、出てきたね。リュートの組は全員で十六人といったところか」
「あれ、みんな露骨にリュート君を囲んでないかい?」
「彼は優勝候補の筆頭だからね。こんなバトルロイヤル形式なら、集団で一番強いものを狙うのが定石さ」
校内武術大会の予選は、十数名のバトルロイヤルで行われることが常であった。これは戦場での乱戦状態に対する模擬演習を兼ねものだということが、教師側からの公式な説明であった。しかし内実は、参加人数の多さのあまり、個人戦でトーナメントを行えば、一日や二日では大会が終わらないということが、本当の理由であった。
バトルロイヤルのルールは簡潔であり、戦闘時に姿勢を崩して手を地面につけることや、転倒すること、中央の円形舞台を取り囲む周囲の壁に触れること、そして降伏を申し込むことが敗北のルールであり、各組の一名のみが決勝のトーナメントへ勝ち進むことができる。
そのようなルールのため、予選一組の中で、明らかに最強と目されるリュートは、試合が始まる前から、周囲を上級生たちに取り囲まれていた。
「しかし、周りを取り囲まれているにしては、あまり慌てた様子がないね」
「所詮あの程度の面子ならね。まぁ、見ていたらいいよ」
アレックスが自信ありげに、ユイにそう告げたとき、ちょうど試合開始のドラが鳴らされた。
リュートの周りを取り囲んだ学生たちは、その合図が鳴った瞬間、躍りかかるように彼に飛びかかる。しかしながら、リュートはそのような状況にも表情を変える事無く、魔法式を編みあげると一気に解き放った。
「タイフーン!」
その呪文を唱えた瞬間、リュートの周りに風の渦が生まれる。そして一斉に襲いかかろうとした選手たちは、その風により全員が一気に吹き飛ばされると、バランスを崩してあるものは地面に手をつき、またあるものは尻餅をついてしまった。まさに電光石火の決着劇に、会場は驚きのため一瞬静まりかえると、僅かな空白の後に、割れんばかりの歓声がリュートに送られた。
「これはすごいね、驚いたよ。彼はもしかすると、既にうちの先生たちよりも、素晴らしい魔法士なんじゃないかい?」
「そうかもしれないね。でも本人に言わせれば、魔法制御がまだまだ甘いらしいよ。もっと研鑽をつまないといけないっていうのが、最近の口癖だね」
それはまたあの男らしいと、ユイは思わず頭を掻いて苦笑する。そして、わずかに思考を働かせると、先ほどの試合で気になった点をアレックスに尋ねた。
「それはまた……しかし、今のは風の魔法だよね。彼は風魔法が得意なのかい?」
「リュートの使った魔法かい? そうだね、魔法の中でも最初に覚えたのが風魔法らしくてね。もちろん他の系統も使えるみたいだけど、得意なのは風みたいだよ」
ユイはその回答を聞いて、一つ頷くと、意味ありげな目で舞台から退場していくリュートを視線で追いかける。そしてニヤッとした笑みを浮かべると、アレックスにも聞こえない声でそっと呟いた。
「なるほど、風魔法ね……」