朱の過ごし方
文化祭を前にして、慌ただしい空気が流れる士官学校の放課後。
そんな校舎付近の喧噪から少し離れ、敷地外れに設営された植物園内の小さなベンチに、キツネ眼をした赤髪の男が腰を掛けていた。
彼は書籍を片手に、のんびりと秋風を楽しむ。
ほとんど閉じられたかのようなその瞳ゆえに、外から彼を観察したならば一見眠っているかのようにも思われただろうが、ある黒髪の男がゆっくりと歩いてくると、彼は鋭敏にその気配を感じて視線を上げた。
「やあ、ユイじゃないか」
「ああ、アレックス。君もサボりかい?」
声を掛けられたユイは、サボり仲間を見つけたとばかりに、わずかに微笑む。
他方、声をかけた側のアレックスは、ユイの言葉の意味がわからず首を傾げた。
「サボり?」
「ほら、文化祭の出し物を各クラス決めている頃だろ。陸軍科もそうじゃないのかい?」
ユイが意外そうな表情でそう告げると、ようやく合点がいったのか、アレックスは右の口角を吊り上げた。
「ああ、そういえばそんな話もしていたね。なるほど、確かにそう言えなくもないか」
「僕がいうのも何だけど、どう考えてもサボりというやつさ、それはね」
「まあ実際のところ、僕がいるとみんなが気を使うからさ、そんな時は席を外すようにしているんだよ。ともあれ、次からは君の助言を参考に、サボっていると言うことにするよ」
キツネ目を一層細めながら、アレックスはユイに向かって笑いかけた。
一方、ユイはそんな彼の発言の中に含まれていた言葉に苦笑する。
「気を使う……ねぇ。まあ、わからなくもないけど、そうなのかい?」
「ああ。こうやって僕に対して全く気を使わずに話してくるのは、君とリュートくらいなものだよ」
アレックスのその言葉を耳にして、ユイは他の生徒の気持ちに思いを馳せる。
入学当初にアレックスとリュートによって引き起こされた上級生返り討ち事件。それに端を発する一連の騒動を経て、リュートとアレックスが他の生徒から奇異の目で見られていたことを、彼らと出会った後にユイは知った。
そしてその事自体、二人の技量が抜きん出ていることから、さもありなんとユイも思う。ただ真っ直ぐな性格でクラスを率いる様になったリュートと違い、現在彼の眼の前にいる男はある種の捉えづらい性格をしていることが現在の状況を生み出していた。
「君は目立つからね。有名税というやつさ」
「なんか君に言われると釈然としないものを感じるけど……まあ、いいや。それより、ユイ。サボってきたということは、今は暇なのかい?」
「ん? まあ、暇といえば暇だけど、それがどうかしたのかな?」
わざわざ言葉に出して問いかけてきたアレックスに対し、見ればわかるじゃないかと思いながらユイは首を傾げた。
すると、アレックスはニコリとした笑みを浮かべ、とある頼みを口にする。
「なに、せっかく暇同士なんだ。剣の手合わせでも、君に頼もうと思ってね」
「おいおい、冗談……だよね」
思ってもみないことを言い出したアレックスを前にして、ユイは頭を掻きながら困惑した表情を浮かべる。
一方、キツネ目の青年の視線はユイの顔に固定されたまま、微動だにしなかった。
「いや、僕は至って本気さ。ほら、前の武術会の時も、大会が中止になって君と戦うことができなかったじゃないか。本来なら、決勝で君と剣を交えることができるはずだったのにね」
彼のキツネ眼は一見笑っているように見える。しかしその奥に秘められた意思は、明らかに笑み以外の成分を多量に含んでいた、
「……まあ、また機会はあるさ。もっと暇な時にでも、また誘ってよ」
「暇な時……ね。ん? 誰かもう一人お客さんかな」
拒否される形となったアレックスは残念そうな表情を浮かべつつ、そう口にするなりユイから視線をはずす。
「もう一人?」
「うん、足音が一つここに近づいている。この感じは女性かな」
なんでもないことのようにアレックスはそう述べると、ユイに向かって微笑みかけた。
最初は冗談だと思ったものの、目の前の男が冗談を好む性格だとも思えず、ユイは困惑した表情を浮かべる。
すると、それからまもなくユイのよく知る女性が彼らの方向に向かって歩み寄って来るのがその視界に入った。
「セシル……か」
ユイが歩み寄ってくる亜麻色の髪を有した美人に気がつくと、アレックスの能力に驚きながら、彼女の名を口にした。
「知り合いかい?」
「うん。ほら、先日君が僕の存在に初めて気づいたと言っていたときに、陸軍科の学生に絡まれていた子だよ」
「ああ、そう言えば彼女だったか。なるほどね」
アレックスは意味ありげな視線をユイへと向けると、薄く笑う。
その笑みから、何か良くないものを感じたユイは、すぐに抗議の声を挙げようとした。しかし、彼が言葉を口から発するより早く、側まで近寄ってきたセシルが彼に声を掛ける。
「まったくお腹痛いっていってどこへ行ったのかと思ったら、こんなところにいたの? ユイくん、ダメでしょ。文化祭の出し物決めるっていったのに、サボって抜けだしたら」
「えっと……ああ、ごめん」
「まあ、嘘だってわかっていて、何もいわなかった私も私なんだけどね」
セシルはチラリと舌を出して、そう口にすると、ユイに向かって苦笑する。
「はは。それはともかく、そこまでわかっていて君がここにやってきたということは、何かまずいことでもあったのかな?」
「うん、ちょっとね。ほら、例の出し物の件」
ここ数日間もめ続けている案件をセシルが口にすると、やっぱりそれかとばかりにユイは二度頭を掻く。
「メイド喫茶の件か……ティレックがあの服にこだわらなければ、もしくは女子が妥協すればすぐに決まるだろうに」
「ええ。でもあの服は私も着たくない……かな」
「そうなんだ? もし君だったら、すごく似合うと僕は思うけどね」
セシルの言葉を聞いて、思わずユイはボソリと本音をこぼす。
そのユイの言葉の内容を一部耳にして、セシルはわずかに驚いた反応を示す。
「えっ?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ。それよりも、他に代案は出なかったのかい?」
「う、うん。そう、他の案がでないのよ。このままじゃうちのクラスだけ、何も出店無しになるわ」
少しだけ顔を赤らめながら、セシルが取り繕うようにそう述べると、ユイは顎に手を当てて考え込む。
「そうだね……でもさ、ほら、必ず出し物を出さなきゃいけないわけじゃないだろ。別にうちのクラスは出店無しにして、当日はのんびり過ごすっていうのもいいんじゃないかな?」
「ユイくん、あのね――」
いつものようなやる気のないユイの返答を耳にして、セシルは彼をたしなめるように口を開きかける。
しかしそんな彼女の言葉を遮ったのは、ベンチに腰掛けたまま二人の会話を耳にしていたアレックスの声であった。
「ユイ。もしかしたら、今度の文化祭の日は暇ということかな?」
「え?」
予期せぬ方向から飛んできた声に、ユイは虚を突かれた表情を浮かべると、視線を赤髪の男へと向ける。
「ほら、もし君たちが出店しないなら、君は一日フリーだということだよね」
「フリー……いや、そう言う意味で僕は言ったのじゃなくて……」
「でも、今よりは暇なのは間違いないよね。だとしたら、その日に僕と手合わ――」
アレックスの発言を耳に仕掛けたユイは、背中に一筋の冷たい汗が流れると、慌てて彼の発言を遮るように自分の言葉をかぶせる。
「セシル。やっぱり学生たるもの、全力で文化祭に励むべきだよね。うん、迎えに来てくれてありがとう。お腹の痛みも自然に治ったみたいだし、今から当日の計画を練るためにすぐに教室に戻ることにしようか。早く出し物を決めなければいけないからね」




