約束
「そんなに怒るなよ、リュート。彼にも事情があるんだろうし」
「いや、あいつは軍人としての心得がなっていない。何のために士官学校に入ったんだあいつは。勉強がしたければ、王立学院へ行けばいいんだ。わざわざ士官学校に来る必要はないだろう!」
アレックスは学園を出てからも、荒れ続けるリュートを繰り返しなだめ続ける。リュートは、ユイのところを怒りとともに立ち去った後、午後の魔法実習では怒りのせいで、実習用の標的に向けて攻撃魔法を乱射していた。しかし、それでも怒りは収まらずアレックスを捕まえて、街に繰り出していた。
「何か事情があるかもしれないじゃないか。普段、リュートは落ち着いているのに、たまに荒れるから周りも困っているんだよ」
「確かに、俺にも至らないところはあるだろう。しかし、あいつの大会自体を、歯牙にもかけない態度はなんだ。アレックス、お前は許せるのか?」
「もともと魔法科と陸軍科がメインの大会だしね。戦略科は兵士を使う立場になるんだから、大会に出ない人の方が多いし……」
アレックスがリュートにそう告げると、リュートはわずかに肩を落とし、溜息を吐いた。
「そういうものか。確かに奴は戦略科だしな……奴の事情も考えず、すこし強引に迫りすぎたか」
「そうだよ。煽った僕が言うのもなんだけど、もし手合わせしたいなら、別の機会でもいいじゃないか。とりあえず今日は夕食でも食べて、帰ろうよ」
「確かに腹が減った、手近な店にするか。どこがやっているかな」
アレックスの提案に、リュートが同意を示すと、アレックスはいつもの笑みを浮かべ、周りを見渡す。すると、近くの宿の一階が、新しくなっていることに気がついた。
「あ、あそこの宿の一階に新しい店ができているね。せっかくだから、行ってみないかい?」
「グリーン亭って書いてあるな。ふふ、いいだろう、そこにするか」
二人は、行き先を決めると、その新しい店のドアを開き、そのまま中に入る。
「いらっしゃい、開いている席に座りな」
店の店主と思われる、カウンターの中の男が二人に気づいて声をかける。リュートはその声を受けて、店の中を見回すと、彼らに比べ明らかに年齢層の高い客が多く、彼らの手には、泡だった飲み物が握られていることに気がついた。
「おい、アレックス。ここまずいぞ……」
リュートは周囲の状況から、酒をメインとする食事屋であることに気がつき、やや狼狽する。士官学校の校則では、学生は一切の飲酒が禁止されており、このような店に来ていることがバレると、呼び出して指導されることが常であった。
「大丈夫だよ、酒さえ頼まなければいいんだし。結局、バレなきゃ一緒さ」
狼狽するリュートを置き去りに、校則を気にする様子もないアレックスは、空き席に座るため店の奥へとスイスイ歩いて行った。一方、リュートは周囲を見回して、知り合いがいないことをまず確認する。そして、知った顔がいないことに胸を撫で下ろすと、慌ててアレックスの後を追い、向かいの席に座った。
「おい、大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だって、リュートは真面目すぎるんだよ」
リュートの不安げな声に、アレックスはいつもの笑みを浮かべて答える。そうして席に腰掛けてしばらくすると、店の店員が彼らの注文をとるために、席に近くまでやってきた。
「いらっしゃいませ、ご注文は……お決まり……でしょうか」
店員のだんだん小さくなる声に違和感を感じたリュートは、目の前のアレックスから店員に視線を移す。その瞬間、店員は急に横向きになると、手に持ったお盆で慌てて顔を隠した。しかし、顔を隠す前の横顔が、昼にも見た顔であることにリュートは気づくと、その店員に向けて、口を開いた。
「おい、お前イスターツだろ。こんなところで、何をしているんだ?」
「えっと、一体誰のことでしょうか? わ、私の名前はアイン・ゴッチですが」
店員は慌てて否定すると、少しずつ席から遠ざかろうとする。アレックスはその姿に苦笑いを浮かべ、彼に声をかけた。
「へぇ、アイン・ゴッチさんか。じゃあ、アインさん、今日は途中でサボって帰ったの?」
「いや、今日はバイトの時間が遅かったから、最後まで授業には出て……あっ」
「もうバレバレだから、いい加減諦めなよ、イスターツ君」
アレックスの最後通牒とも言えるその言葉に、ユイは観念したように二人の前に顔を表すと、弱ったように頭を二度掻いた。
「イスターツ。学業規定でこの手の店で働いてはいけないことを、お前は知らないのか?」
リュートの詰問に、弱ったようにユイは、下を向きながら答えた。
「……知っているよ、リュート・ハンネブルク君。でも君たちも、こんな店に来ているじゃないか?」
「僕たちは、飲酒せずに食事を摂るだけですからね。万が一バレても、注意ぐらいですよ」
アレックスの一切動じることのない物言いに、ユイはわずかに顔をしかめながら、ため息を吐いた。
「それで、君たちは僕を突き出したいのかい?」
「ふん、別にそんな気はないさ。ただ、ちょっと俺の要望を聞いて貰いたいんだが、どうかな?」
ユイは、昼の騒動から、リュートの要望を予測すると、厄介なことになったと弱り切った表情を浮かべた上で、しぶしぶ同意を示した。
「はぁ、いいよ。だいたいの希望はわかっているから。武術大会に出ろっていう話だろ」
「そうだ、さすが戦略科の秀才君、話が早い。次の武術大会の武術部門で俺と勝負しろ」
その言葉を聞いて、ユイはわずかに考えこむ。そして僅かな間の後に、リュートたちが予想もしていなかった提案を口に出した。
「……総合部門でいいよ。君は魔法士だろ? 総合で戦ってあげるよ」
「何だと! 貴様は魔法が使えないんだろ。なのに魔法士の俺と、魔法ありで戦うっていうのか?」
「いや、言い訳されるのは嫌だし、次は魔法ありで戦いたいなんて言われたら、結局二度手間になるじゃないか。だったら最初から全部ありで戦うことにしたほうが効率がいいだろ」
リュートの問いかけに対して、涼しい顔でユイはそう言い放つ。すると、リュートは席から勢い良く立ち上がると、ユイを睨みつけた。
「貴様、俺のことを知らんわけではないだろう。俺は総合部門なら、このアレックスにも五分以上で戦える男だぞ」
「と言われても、アレックス君のこともあまり知らないしな。正直、何とも言えないや。でも、たぶんアレックス君じゃなく、君とならまだなんとかなると思うんだけど。って、ごめん、これは失言だね」
ユイの発言と同時に、侮辱されたと感じたリュートは激昂しかけるが、隣の席から発せられた笑い声に、思わず毒気を抜かれてしまった。
「ははは、イスターツ君、君って面白いね。そっか、校内でも僕たちを知らない人が、まだ身近にいるんだ」
「そんなに君たちは有名人だったのかい? 僕はそういうのが疎くてさ、ごめんね」
「いいんだ、いいんだ。気にしていないから」
右の手のひらを、顔の前で左右に動かして、アレックスは否定しながらも笑い続けた。それを見て、ユイも愛想笑いを浮かべると、二人に念押しを行った。
「あ、忘れるところだった。確認だけど、僕は他にもバイトをしていたりするんだけど、僕に関する一切の秘密は、他人に公言しないって約束してくれるかい。まだ生計も立たないのに、学校を辞めるわけには行かなくてね」
「いいだろう、大会に出るというのなら、約束してやる。アレックス、お前もいいな」
即答したリュートとは対照的に、アレックスは右手を自らの顎に当てて、わずかに考えた後に、返答した。
「……少し引っかかるけど、まぁいいや。わかったよ、僕も約束しよう」
「よし、ではイスターツ。絶対に貴様に吠え面をかかせてやるからな」
リュートはユイに向かって、挑発的な視線をぶつけると、ユイは頭を掻きながら、話題を切り替えた。
「はぁ、試合することになったら、お手柔らかに頼むよ。じゃあ、そのことは置いておいて、それでお客様、ご注文はどうします?」
「そ、そうだな。ぶどうジュースをとりあえず二人分。あとは店長の気まぐれセットで」
思わぬ問いかけに、リュートは慌てて目に止まったものを注文すると、ユイは一つ頷いて注文の数を確認した。
「御二つでよろしいですね。では、しばしお待ちください」
ユイは、リュートの反応を見て、おそらく根は真面目でいいやつなんだろうと思った。しかし、面倒なことになったという気持ちは隠せず、弱った表情を浮かべながら頭を掻く。
そして諦めのため息を吐きながら、ゆっくりとした足取りで、カウンターにいるマスターのもとへ向かった。




