出会い
六月、それは爽やかな初夏の季節。
このクラリスに生きる普通の者にとっては、暑い夏が来る前に衣替えを行う程度の意味合いしか持たない月である。しかし、クラリスの王立士官学校では、大きな意味合いを持つ月であった。
というのも、士官学校では毎年六月に、校内最大のイベントである校内武術大会が行われるのである。この熱狂を引き起こすイベントを前に、既に校内では誰が勝つのかの噂話が蔓延し、そして教師に見つからないように賭け事が到るところで行われていた。
そんな慌ただしい空気の中、一年生ながら今大会の本命といわれる赤髪の男は、校内の外れにあるいつものベンチに座り、のんびりと初夏の風の香りを楽しんでいた。そして大本命と言われる銀髪の男が、このイベントを前に、赤髪の男と話すために、そのベンチへ向かって足を進める。
赤髪の男は、銀髪の男が自分に向かって近づいてくるのに気づき、思わず笑みを浮かべる。それに気づいた銀髪の男は、普段からの仏頂面をやや険しくすると、ベンチに腰掛ける男に声をかけた。
「アレックス。やはりここにいたのか」
「ああ、リュート。わざわざここまでやってくるなんて、一体どうしたんだい?」
ベンチに腰掛けていたアレックスは、珍しい客の来訪に、わずかに疑問をにじませながら、ここに訪れた理由を尋ねた。
「いや、お前がどの部門に出るか聞きたくてな」
「ああ、校内武術大会のことかい。僕は総合部門に出るよ。さすがに陸軍科の教師に、剣術部門は他の者の訓練にならないからやめろって言われちゃってね」
士官学校の校内武術大会は剣術や槍術、弓術等の魔法以外を競う武術部門と魔法を競う魔法部門、そして全ての戦闘術が認められる総合部門の三部門があった。ただ、基本的に武術部門と魔法部門は、まだ戦闘訓練が不十分な新入生にのみ、参加が許される部門であり、二年生以上が参加できるのは、総合部門のみとされていた。
アレックスは新入生であるが、その剣技は上級生どころか、教師をも圧倒しており、新入生の訓練のための武術部門へ参加されては、他の新入生に可哀想であったため、総合部門への参加を余儀なくされていた。
「ほう、総合部門に出るのか」
リュートは、アレックスの返答に満足そうにニヤリと笑う。
「うん。元々あまり出たくなかったんだけど、陸軍科は全員参加らしくてね。まぁ、僕としても、陸軍科には練習相手がいないし、総合部門も悪く無いかなって」
「そうか、ならば俺とお前で決勝だな」
「と言うことは、リュートも総合部門に出るんだね。でも、決勝はどうだろう?」
アレックスのその物言いに、リュートは訝しげな表情を浮かべる。
「ん、たしかに総合部門には上級生も出るが、俺達の相手になるような奴はいないと思うが……まさか手抜きして、途中でわざと負ける気じゃないだろうな」
「そんなことはしないよ。ただ彼が出てきたら、どうなるかわからないと思ってね」
「彼? お前が気にするようなやつが、この学校にいるのか?」
リュートは脳内に、校内で強いとされる人物を何人かリストアップしたが、すぐに敵ではないと考え、疑問を呈した。
「ああ、彼はあまり武術自体は好きじゃないみたいだから、君は多分手合わせしたことがないとと思うよ。普段の実践授業も、ほとんど姿を見せないし」
「おいおい、一体誰の話をしているんだ。気になるだろ?」
アレックスの話す人物に興味を覚えたリュートは、アレックスの顔を直視した。
「本当にわからないのかい。入学の成績順で君の上にいた彼だよ」
「まさか、青瓢箪のイスターツのことを言っているんじゃないだろうな?」
リュートはわずかに苛立ちと驚きを込めた声で、アレックスに聞き返した。
「そう、イスターツ君。なんだ、やっぱり知っているじゃないか」
「アレックス、冗談もいいかげんにしろ。あんなガリ勉に、剣なんか振れるものか」
リュートは首を左右に振って、アレックスの発言を否定すると、アレックスはそのリュートの行動に苦笑を浮かべた。
「ふぅん、君は彼が嫌いだと思っていたけど、案の定ってわけか」
「当たり前だろ。ここは士官学校だ。戦いは軍人の本分だろうに、あいつは紙の成績だけで、あの順位にいる。おかしいだろ」
普段、なんだかんだと理由をつけて、合同実習をサボりまくっていることで有名な男に対して、リュートは本人に会ったことはなかったが嫌悪感を抱いていた。
「へぇ、君から見ても、そういった評価になるんだ」
「ああ、あんな奴、名前だけ主席のムルティナとそう変わらんだろ」
リュートは、彼の最も嫌悪する貴族の次男坊の名前を上げて、ユイを同列の評価としていた。それに対して、アレックスはわずかに呆れを含んだ目で、リュートを見やると、彼に尋ねた。
「そうは言うけどね、実際に君のいう青瓢箪と話したことや、彼を見たことはあるのかい?」
「それは……ないが。でも、噂で聞いた限りでは、勉強以外はだらしないやつだと聞いている」
リュートは入学試験はペーパーテストだけであったため、それが優秀であったことは知っていたが、彼に関する噂話は、実習をしばしばサボること程度しか聞いたことがなかった。
「ふぅん、君が噂を信じるなんてね。一度ちゃんと、本人を見てみたほうがいいと思うよ」
「なに? どういうことだ」
「あれがただのガリ勉か、それともガリ勉の皮をかぶった何かかを、一度見極めた方がいいってことさ。僕はおそらく後者なんじゃないかって、勝手に思っているんだけどね」
アレックスのユイに対する人物評に対して、リュートはやや疑問を覚えると、わずかに考え込んだ後に笑い出した。
「……はは、いいだろう。お前の口車に乗ってやる。本当はお前がやつを試したいんだろ」
「あら、バレた? 実はそうなんだよね。軍の幼年学校を経ずに、いきなり士官学校から入学して、瞬く間に学年次席になった男だ。ちょっと興味があってね。それにちょうどタイミングよく武術大会も開かれるんだ、これで彼のことが多少なりともわかるだろ」
アレックスがいつもの笑みを浮かべてリュートにそう告げると、リュートは一度頷く。そして踵を返すと、戦略科を目指し校舎へ向かって歩きはじめた。
「イスターツ。ユイ・イスターツはいるか?」
見慣れない魔法科の男が、戦略科初等部の講義室に入ってきたのは、もう少しで昼休みも終わろうかとした所であった。戦略家に所属する新入生たちは、怪訝な表情でその訪問者を見ると、その人物に気づき、次々と驚きの表情を浮かべた。しかし、そんな学生の中で、その男に名前を呼ばれた当人は、周りの空気の変化に気づいて、のんびりと読んでいた本から視線を上げると、リュートに向かって返事をした。
「えっと、僕がイスターツだけど、君は誰かな?」
「リュートだ。魔法科のリュート・ハンネブルクだ」
ユイはその名前を頭のなかで検索したが、彼の人物表には、リュートの名前は見つからなかった。ユイは首を傾げながら、曖昧な笑みを浮かべると、彼に応対した。
「リュート君……ええとリュート君ね。それで、一体僕になんの用かな?」
「貴様、今度の武術大会は登録したのか。していないなら今すぐ登録しろ」
リュートの単刀直入な物言いと、想像さえしていなかった突然の内容に、ユイは思わず戸惑いを見せる。
「えっ? 僕が? いや、武術大会なんかに出るつもりはないんだけど」
「なんだと、貴様も軍人の卵だろ。武術部門でも、魔法部門でも、総合部門でもいい。オレと戦え!」
見ず知らずのリュートの勢いに、ユイは目を白黒させると、彼に落ち着くように右手の手の平を彼に向け、口を開いた。
「ええっと、ちょっと落ち着いてくれるかな。理由はわからないけど、要するに君は僕と戦いたいのかな? でも、君は魔法科って言ってたよね。残念ながら僕は魔法が使えないし……」
「じゃあ、武術部門でもいい。どうだ?」
「どうだって言われても……あのさ、剣とか当たったら痛いじゃん。痛いのは嫌いなんだよね」
ユイにとっては理解できないリュートの要求に、ユイはやや呆れながら、苦笑いを浮かべて返す。すると、リュートはユイを睨みつけると共に、怒鳴った。
「痛いから嫌だと? お前は本当に軍人の卵か!」
「そんなこと言われてもなぁ……そうですとしか、言えないけど」
「くそ、この腰ぬけめ!」
そう言うなりリュートは、ユイの机を両手の平で叩くと、クルッと向き直り、怒気を発散させながら、教室から出て行った。
「イスターツ君、大丈夫?」
わけの分からないリュートの一連の騒ぎに、ユイは呆然とした表情を浮かべると、隣の席に座っている亜麻色の髪をしたセシルが、心配そうに声をかけてきた。
「ああ、別に暴力を振るわれたわけじゃないし」
「彼はあの有名な魔法科の麒麟児よね。なんでイスターツ君に絡みに来たのかしら……」
セシルの呟きを聞いて、ユイは僅かな引っ掛かりを覚えると、彼女に尋ねた。
「魔法科の麒麟児?」
「知らないの? あのリュート・ハンネブルクを?」
セシルが普段から大きな目を、驚きとともに一層大きく開くと、信じられないものを見るかのように、声を出した。
「ええっと……さっき初めて名前を聞いた、かな」
ユイが頭を掻きながらそう答えると、セシルは呆れたようにため息を吐き、ユイに向かって口を開いた。
「彼はね、特別なのよ。今年、士官学校に入った三異能の話は知らない?」
「いや、まったく……」
ユイは常識であるかのように話すセシルに、何故か申し訳なさそうに答えると、セシルは肩を落として、疲れたように話しだした。
「はぁ、当人がこれだからなぁ……ともかく、陸軍科の剣の達人アレックス、魔法科の魔法の麒麟児リュート、そして戦術科の知識おたくユイ・イスターツ」
「えっ、僕? しかも僕だけ、めっちゃ扱い悪くない」
自分の呼び名だけ、侮蔑の意味が込められていることに気づいたユイは、やや悲しげな表情を浮かべると、同情したのか、セシルは柔らかい声で、彼の嘆きに答えた
「そりゃあ、残りの二人は実践派で有名だからね。ユイ君はペーパーテスト専門でしょ。ここは軍人養成機関だし、あまりいい言われ方はしないかもね」
「そっか……」
ユイは頭を二度掻いて溜息を吐くと、セシルはいたたまれない気持ちになり、慌ててユイを慰めた。
「ああ、私は違うよ。私はユイ君を尊敬しているんだから。いつも勉強教えてもらっているし、なんでも知っていてすごく頼りになるし。ユイ君を悪く言う奴らには、好きに言わせておいたらいいんだよ」
「ありがとう、セシル」
ユイはセシルの気持ちに対して、言葉と笑みで返すと、セシルは恥ずかしげにうつむいてしまった。それを確認したユイは、前を向き直り、リュートの要求をもう一度頭のなかで再生する。
「しかしリュート・ハンネブルクか。めんどくさいのに絡まれちゃったなぁ。生活費払うために毎日バイトをしてるのに、万が一怪我なんてしたら生活できないし……申し訳ないけど、相手にせずに無視するしかないかな」
無視をしたらしたで、面倒臭いことになりそうな予感を感じるものの、ユイは拒否することで決意を固め、隣のセシルにも聞こえない声でそう呟いた。