下人が笑う-3
5-4
無機質な部屋。気持ちの悪いところ。微動だにしない死んだカーテン。音は繰り返し繰り返し少年を叩きつけた。そうして下人は喜んだ。音を絶え間なく、やめることなく水滴のように使い叩きつける。音のひとつひとつがまるで脳みそを直接汚物に塗れた靴で小人が蹴りつけているようだった。ベッドの上に肉の固まりとその肉体の牢獄の中に幽閉されている魂がひとつ。
この壁は少年に対してほほえみかけたりはしない。生命の輝きなどない。ただ、少年の死を待っている 。下人が待っているのは魂の死だった。下人は死神ではない。死神の望みは肉体の死だ。だが、少年の望みは死神のそれとまったく同じことだった。だからある意味では死神とは友達。下人は敵。下人は少年が諦めることが無常の喜びとなるのだった。だから下人は舌なめずりをし、よくこんな手まで使うものだと関心してしまうくらい残酷な手を使って少年の魂を殺そうとする。少年の魂から生を奪おうとする。
この部屋に看護師が入ってきた。どこか余裕のないその足取り、アクセサリは最新のブランド物のをつけていたし、化粧も電車の中で彼女のまわりの世界で下に見られない程度にはやってきた。しかし、表情はのっぺりとして、機械のように一定の変化しか出来なかった。化粧の下の顔色も土気色だった。
「死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ!あの糞ババア!死ね!あぁ~?なーにが結婚適齢期だよ。死ねや糞ババア!」
少年の体が音を振動としてその悪罵をとらえた。 クリップボードでがんがんと少年を叩く。
疲れた看護師は何も答えることもできない俺にたびたびこう言う。何も言うことができないから。抵抗をしないから。
悪意はつぶしてもつぶしてもどこからか湧いてくるゴキブリのように人の心に湧いてくる。看護師にとっては少年はただのストレス発散の人形でしかなかった。人でなく、生きてない。物。
看護師が出ていく。
それから長い時間が経ちのっそりとした歩きで部屋に医者の男が入ってきた。若い男だが研修医ではない。相当成績優秀な医者で、何の苦労もなく順風満帆に生きてきて医者になった。金を持っているので、この男には多くの人間が群がって、むちゃくちゃな生活を送っている。若いのに目の下にある隈は連日の酒池肉林の生活がたたってのものだ。ただそれ以外は女受けのいい誠実そうな笑顔を必要に応じて浮かべることができる、コミュニケーションという方面でも優秀な男だった。十人がこの男と会えば十人が好印象を持つことだろう。
「ちっ……どうせ脳挫傷なら即死ならよかったんだが……うちに来んなよ。ベッドの空いてる大病院行けや。まぁこのご時世どこも空いてねえだろうけど」
医者や看護師がこの部屋に入るのに少年の許可は必要ない。ここは少年の部屋ではないのだから。いや、うまれてから今まで少年に自分の部屋というものはなかった。自分が安心することができる。自分がいてもいい部屋は。
医者は俺の姿を見る度にこうした舌打ちをする。
正確には少年の姿を見ているわけではない。少年を見てもいない。少年にそれが分かるのは少年の体が少年の音を拾わないからだ。規則正しく動くカウントダウンのような心電図の方を見ながら言っているらしい。
何故医者が舌打ちをするのか二年くらい解らなかったが、最近分かった。どうやら少年は不良債権らしい。不良債権。お金を回収できない無駄なお荷物。
もちろんこんな状態の少年に支払い能力はない。だけど、家族は少年の病院代を払わなかった。
「(まぁ・・・・ムリもないさ)」
もともとあの人たちがそんなことをするとは思っていなかったのだから。
十四歳までは国から補助金この病院に入っていたが、二年前に十四歳になってからはそれがなくなってしまった。
少年は十六歳になった。この日まで少年は病院のみんなに迷惑をかけ、周りのみんなに迷惑をかけている。
淡々と医者は必要なことだけをした。喉の呼吸器からちゃんと空気が送り込まれているか。この部屋の温度などの項目をだるそうにクリップボードに書き込んでいる。
ドアが空いた。渉はその音を真昼の暗闇の中で耳で聞いた。
昼間の病室に来るのは三種類の人間しかいない。医者か、看護師か、病室を間違えた患者か。
この時入ってきたのは看護師だった。
看護師は億劫そうに機材をチェックした。
そして病室から出ていった。
これだけが、渉を取り巻く世界のほとんどだった。
「(父さんと母さんも最初の方は俺の病院代を払っていたんだった。それも世間体を気にしてからだったけど。もう回復しないとわかるとあっさり何もしなくなった。)」
少年の名前は渉。性は浦賀。浦賀渉。これが彼の名前だった。
唯一の渉ができることは瞑想すること。違う人生を想像してこの何もない極度の闇のような毎日を過ごした。
人との触れ合いも全くない。そもそもこの身体はまったく動かず、誰にも触れることはできない。誰の顔も見ることはできない。
十三歳でこの状態になってから最初の一年間は溢れる感情で発狂しそうだった。
だがそれから波が引いたように収まった。心の中で折り合いをつけるしかなかった。それでも年に何回かは心に感情が溢れてしまうことがあった。
太ももや腰のあたりに准層が出来ている。体の向きを変えないと血が鬱血し、真っ赤になる。
「(昔は・・・・やってくれていたのに)」
体の向きを変えるのは看護師の仕事だったはずだ。
たまに同じ病室になった患者は体が少し不自由でちゃんと話すことが出来た。その患者は看護師に体の向きを変えてもらってちゃんとお礼を言っていた。体の向きが変えられていなかったら文句を言ってもいた。
文句を言う権利があるというのはその時渉にとってはけっこう衝撃的なことだった。
その患者と看護師がよく笑って会話しているのを渉は聞いていた。ただ、横たわって誰にも意識を向けられることなく聞いていた。
「(俺にも喋ることができたら・・・・・でもできやしないんだ!俺にはなに一つ!周りの人が普通にできることが!何にも!・・・・・・・・・・・ただ、普通に話をしたいだけなのに。少しだけでいいんだ・・・・・・俺にも、その笑顔を分けて欲しいだけなのに。)」
渉は世間話すらできない。
お礼を言うことも、文句を言うことも。渉の体には准層で真っ赤になり、ずきずきと四六時中痛んだ。その痛みは辛かった。
丁丁丁丁丁
丁丁丁丁丁
叩きつけられてゐる 丁
叩きつけられてゐる 丁
藻でまっくらな 丁 丁 丁
塩の海 丁 丁 丁 丁 丁
熱 丁 丁 丁 丁 丁
熱 熱 丁 丁 丁
(尊 々 殺 々 殺 殺 々 尊 々 々尊 々 殺 々 殺殺 々 尊 々 尊)




