全てが終わってしまう前に-3
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気づけば崖の上に立っていた。
「…………………」
飛び降りる前の様子。雲の切れ目から覗く太陽。渉は思わず顔を歪めた。しかし本当に顔を歪めるのは次の瞬間だった。渉が振り返ると久尊寺博士が腰を下ろし、頭を垂れていた。久尊寺博士はぜいぜいと息をしていた。何も説明されないでも分かった。世界改編の反動がやってきたのだ。
「久尊寺博士!」
渉が近づく。
「大きすぎる力にはリスクが伴う…………体力は何の…………私は世紀の大科学者久尊寺義光だぞ。問題ない」
顔を苦痛でこわばらせる久尊寺博士。
「説明がまだだったな………世界改編を行使できるようになるには、精霊術の分野を最低1つ極めなければならん」
「俺の場合は、地の精霊術ってことか」
「1番早いと思われるのがな。渉くんが極められる精霊術はそれだけではない」
久尊寺博士が断定する。
「ごめんなさい………俺が、俺のせいで」
渉が言う。
しかし、久尊寺博士は疲れた体で、しかしきっぱりと首を横に振った。
「今はそんな事を気にしている場合ではない。この地の修行の段階をレベルで言うとレベル10の試練だ。君が行っていた畑作業は地の基礎修行にあたる」
なぜ、そのことをと渉は頭によぎる。
「すまない。大人達はそうする必要があったのだ。かならず説明する。分かってもらえるまで説明する。だから今は何も聞かず地の修行を続けてもらえないだろうか」
血の気の失せた顔で久尊寺博士が言う。
「よく分からないけど……俺は跳ぶよ」
スッと立ち上がり、崖の方を向く。今さらながら、自分だけのことではないということが分かってきた。ただ、今はそのことは忘れることにした。それを考え始めたら、跳ぶことができなくなるから。
ザッザッと渉は砂利と共に、崖際までゆく。その渉の周りを黄色のオーラが立ち上る。
「(いいぞ…………さすが。渉くんだ)」
苦痛の中、それでもニィと笑みを浮かべる久尊寺博士。
渉の極限まで高まった決意と集中力。もう、一連の修行を行うことしか考えていない。
崖の際で渉は深呼吸をして、それから脱力した。行ける───────その確信があった。地の精霊達が周囲に集まり、渉の脳を通して周囲と循環しているのが分かる。
その時突如砲弾のように恐ろしい速度で飛来した黒色の槍が渉を貫いた。
お腹のあたりに一度も経験したことのない痛みが訪れた。落下した時は1瞬で何も分からなくなったのに対し、この痛みは渉から全ての感覚を奪い、そして恐ろしい痛みだけを与えた。たちまち膝から崩れ落ちる。そのまま崖から落ちて、また、世界が暗転した。
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視界が急に広がる。2回目の景色。2回目の雲の切れ目から太陽が覗く空。ぶわ、と悪寒が走り、咄嗟に横に跳ぶ。渉がさっきまで立っていた位置に必死の槍が飛ぶ。その槍は勢い飛び、反対側の木をなぎ倒して、斜面に深々と刺さった。
殺されかけた。いや、一回殺された。そのことで頭に血が登る。
振り返るとそこには黒い何かが立っていた。同時に見えたのは地面に倒れている久尊寺博士。尋常ではない状況だった。
黒い何かは黒色の甲冑を身にまとった騎士のようだった。全身黒色の甲冑を装備したそれは、しかし兜の下は空っぽだった。兜だけではない、鎧の隙間にはあるべきはずの肉体がなかった。
咲夜の声が蘇った。
「あれはキーマじゃないんですか?」
あの時の、あの、あれだ。こいつが、今、何故!?
「久尊寺博士!!」
渉が叫ぶ。
しかし、この男は弱々しい、掠れ声でこう言った。地面に張ったまま、大粒の汗を垂らしながら。
「………………………………来るな。やるべきことがあるだろう………………?」
その言葉に、姿に渉はまたも意識が覚める。
「(俺がやるべき事。それはこの修行をクリアしなくちゃいけないんじゃないか!!)」
がしゃがしゃと音をたて、どこからきたのか分からないそれが渉に近づく。人間らしい挙動で動かないそれは、ガントレットが持ったサーベルを振って近づいてくる。
「(おそらく…………次に久尊寺博士に時空改変をさせたら久尊寺博士は死んでしまう!!)」
それくらい彼の体力の消耗は激しかった。そんな中で彼は声を振り絞ったのだ。久尊寺博士は今回渉が失敗してもまた、時空改変を行うつもりだ。そんなことを、させるわけには行かない。
渉は飛び降りた。
地面が迫る。ありったけの精霊術を使って念じる。脳が精霊を循環し、目標の地面の形態を変化させていく。
「(駄目だ…………!駄目だ…………ッ!!)」
時間が足りなかった。あと1歩のところまで術式は完成したが、軟化という最後のプロセスに至るまで時間が足りず、またも崖下でどちゃっと言う鈍い音がしただけだった。
崖の上で浅く息をする久尊寺博士。
「(失敗か…………それでいい。何度でも試せ。何度でも)」
もはやその身体はほとんど動かず、僅かな呼吸を繰り返すのみだ。
目に光を失いつつも掠れかけた小さな音が口元から紡がれる。
「明けない夜はない…………潮汐力の関係で地球の自転が完全に静止してしまうまで、まだ時間はある」
久尊寺博士の目の失いかけた最後の灯火が燃えた。
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雲の切れ目から太陽が覗く。風が吹く。
渉の足ががくがくと震える。抗いがたい力によって渉は振り向いた。そこにはいつもの飄々としたアルカイックスマイルを浮かべる青年はいなかった。
ぴくりとも動かず、地面に横たわる久尊寺義光という男の姿があった。
そこにはあるべきはずもない光景が広がっていた。
久尊寺義光の骸が。
渉は足から崩れ落ちそうになった。自分の愚かさに、自分の無力さに。
最後のチャンス。チカラを得る為のシレン。とにかく、とにかく、力が欲しい。力を手に入れて、あいつをめちゃくちゃにしたい…………
渉はもう一度飛び降りた。いろいろな感情が一気に溢れ出てきて、心がはち切れそうだった。
「頼むよ!!!俺は俺の事なんか信じられねぇよ!!俺のことを信じさせてくれよ!!!!」
地面に到達するその瞬間、組み上げた演算が終了し、地面へと降り立つ。柔らかい、ふかふかのクッションのようになった土が渉の五体を受け止める。
「ようやく出来た……………!」
「喜びより、正直やっとできてくれたかって感じだよ…………!」
「次は……………」
イメージする。頭の中で叫ぶ。強く、激しく。そう。行けるはず!やれるはず!できるはず!俺なら!
戻れ!戻りやがれ!!戻りやがれ!!
描くのは久尊寺博士の体。彼の体を。
キイイイイイイイイイイイイイイイイイイと高周波の音のようなものが渉の周りに展開される。
風が吹き荒れる。落ちた葉が舞う。全て渉を中心に展開されていた。空間そのものが動いているかのような。
上妻家からでも分かる者には分かった。神威が顔を上げて呟く。
「なんて強力な時空振動だ………………」
アリーシャが東の空を見て微笑んだように見えたかもしれないが、それは光の錯覚かもしれない。
「(戻れ!戻れ!戻れ!戻れ!)」
だんだんその言葉が頭の中で大きくなるような気さえする。繰り返すこと。思考が祈りになり、その祈りが確かさになる。その確かさこそが世界改編に必要な事だった。
「俺の無力を!!愚かさを!!全部贖わさせろ!!!」
目を瞑り祈り続ける。奥歯と奥歯がくっつきそうなほど、歯を食いしばった。
そして、
ぐにゃり。
という音と共に、世界が改編された。
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