九十八話 メリクル王子の宝剣
再び、珊瑚は絋宇のもとへと戻る。
ちらりと姿が視界に入ってしまい、嗚咽が零れた。
ふらふらとした不確かな足取りで向かったのは、石の床に伏して嘆く星貴妃のもとである。
丸める背中を摩りながら、声をかけた。
「妃嬪様……」
「す、すまぬ、珊瑚……私が、戦場へ向かう汪絋宇を、と、止めていたら……」
珊瑚は首を横に振る。
「すべては、こーうが決めて選んだ道です。妃嬪様は、悪くない」
そう、ここにいる者達に、罪はない。
皆が皆、それぞれ迷った中で判断を下したのだ。
「一点、報告が」
「なんだ?」
「こーうが今、握っている剣なのですが、あれは、メリクル王子の宝剣、でして……」
珊瑚が汪永訣に取り上げられていた品であった。
以降、言葉が続かなくなる。
息を吸い込んで、吐いた。
言わなければ。
そう決意し、真実を口にする。
「私が欲していたので、こーうが牡丹宮に送るよう、陳情していたのです」
それを永訣は絋宇が欲しがっていると判断し、戦場に送った。
「宝剣を使ったこーうは、暗殺対象になっていた、メリクル王子と間違われた可能性も、あるのです……」
「そ、それは!?」
「すみません、まだ、こーうのお兄さんには言っていないのですが」
あまりにも強く握っているので、手から離れないらしい。
鞘はもう片方の手に握っていたのだろう。こちらも手から外すことができなかったからか、腕ごと切断したようだ。
「しかしなぜ、剣ではなく、鞘を奪ったのだ?」
「鞘に、王家の紋章が彫られていたのです。だからでしょう」
「そうか」
あまりにも残酷で、悲しい運命だった。
幾つもの偶然が重なった結果である。
絋宇はこのまま埋葬されるらしい。
「剣は、どうする?」
「こーうが守り、遺してくれたものですので」
珊瑚の手元に置いておきたいと思う。
「ただ、死後硬直をしていて、手から剣は外れなかったのだろうな」
「ええ……」
珊瑚は意を決し、立ち上がる。
絋宇の最期を見届けなければと思ったのだ。
視界に、首と四肢が欠けた姿が映り込む。
目の前がぐにゃりと歪み、呼吸ができなくなる。
「珊瑚!」
倒れそうになったが、星貴妃が肩を支えてくれた。
「しっかりしろ」
「す、すみません……」
しっかりと、見なければ。どんな姿になっても、ここにいるのは珊瑚の愛した絋宇に違いないのだから。
もう一度、絋宇を見る。
確かに、メリクル王子の宝剣を握っていた。だが――。
「え!?」
珊瑚は瞠目する。
「どうしたのだ?」
「こ、これ……」
珊瑚は剣の柄を握る手を指さした。すると、星貴妃もハッとなる。
「おかしいな」
「はい」
二人が違和感を覚えたのは、剣の握り方だ。
通常、剣は小指から人差し指までしっかり締め、親指はまっすぐ。これが、華烈風の持ち方である。
しかし、宝剣を持つ手は拳を丸め、ただぎゅっと握りしめただけといえばいいのか。まったく、武人の握り方には見えなかったのだ。
珊瑚は指先にも注視する。
牡丹宮に来てから執務漬けだった絋宇の手は、剣だこと筆だこの両方あるのだ。
死後硬直している指先を、剣の柄から剥がしていく。
「……くっ、本当に、硬い」
「折るなよ?」
「はい」
なんとか手を、広げた状態にする。
手のひらに顔を近づけ、ジッと観察した。
その手は剣だこも筆だこもない、綺麗な手だ。絋宇の手は、もっとごつごつしていて大きい。
それでなくとも、この手の持ち主は戦う者の手には見えなかった。
それらのことを考えると、この遺体はおそらく――絋宇のものではない。
「ひ、妃嬪様!」
「ああ!」
星貴妃も珊瑚同様に、武人の手でないとわかったようだ。
「ということは、ここにいる彼は?」
「戦場荒らしか」
戦争の混乱に紛れて、兵士に扮し盗みを行う者がいるらしい。
おそらく、この体の持ち主もそうだろうと星貴妃は予測する。
しかし、相手が死している以上、事情を問うことはできない。
盗みを働いたという証拠はないので、珊瑚と星貴妃は、しばし黙禱する。
そして――永訣に事情を話すことになった。
◇◇◇
ここにあるのは絋宇の遺体ではない旨を話すと、永訣は激しく動転した。
無理もない。絋宇と思っていた遺体が、別人かもしれないからだ。
珊瑚と星貴妃で体を支え、先ほどの客間へと移動する。
「--なるほど。そういうことだったのか」
「はい」
「首も片腕も、両足もない状態では、判別がつかない」
「ええ、それが普通です」
「絋宇と恋仲であるお前だからこそ、気づいたのだろう。感謝する」
しかしだからと言って、騎士達に捕らわれた絋宇が生きているとは言えない。
「許されるのであれば、今すぐにでも、探しに行きたいのですが――」
珊瑚には役目がある。これから一時間後にも、それを果たさなければならない。
「行けばいいではないか」
あっけらかんと言い放ったのは、星貴妃だ。
「珊瑚、お主だったら、上手く潜入もできるかもしれぬ」
「妃嬪様、しかし、私には狸仮面の剣士をする役目が」
「今、狸仮面の剣士をしているのは、お主だけではない。だから、気にするな」
「しかし」
本当にいいものか。
目を伏せる珊瑚に、永訣が頭を下げた。
「珠珊瑚よ、私からも、頼む。どうか、弟を探しに行ってくれないだろうか?」
「汪絋宇を捜せるのは、珊瑚、お主しかおらぬのだ」
その言葉が、後押しとなる。
珊瑚はまっすぐな目を向け、頷いた。
◇お知らせ◇
3/15に発売予定だった双葉文庫『彗星乙女後宮伝』ですが、諸事情により発売延期となりました。
新しい発売日が決定しましたら、再度告知させていただきます。
楽しみにしてくださっていた読者様には大変ご迷惑をおかけし、心よりおわび申し上げます。