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九十五話 彗星

 囚われていた兵士達を救出し、四つの後宮の宿所で匿う。

 幸い、大きな怪我をしている者はいなかった。だが、食事を満足に与えられなかったからか、衰弱している者もいる。

 すぐに動ける兵士は全体の半分くらいか。

 悠賢妃の鬼灯宮では、兵士達の訓練が秘密裏に行われている。

 全体の数は百くらいか。

 兵力としては、いささか心もとない。

 都に残る兵士は三千ほど。戦場にいる兵士は千五百。死傷者数は把握していない。

 珊瑚の報告に、星貴妃は顔を顰める。


「ふむ。厳しいな。戦場に向かった兵士くらいの兵力が欲しいが」

「難しいですね」


 戦場の状態は、良くも悪くもなく。

 思っていた以上に善戦しているようだが、いかんせん数が敵勢力より圧倒的に少ない。

 それは、時間が経てば経つほど不利になる。


「こーう、無事だといいのですが」

「珊瑚よ、今は心配している場合ではないぞ」

「はい、すみません」


 狸仮面の剣士は、複数に分かれて活動するようになっていた。

 珊瑚の負担も減り、空き時間を使って兵士達の稽古を付けられるようにもなる。


 暇があれば、執務室にこもって紘宇がしていた事務仕事をこなす。


「くうん、くうん」


 たぬきが珊瑚を心配するように鳴く。


「たぬき、こんこんと遊んでいてくださいね」

「くうん……」


 珊瑚は目配せして、控えていた紺々にたぬきを連れて行くように頼んだ。

 一人になった部屋で、せっせと巻物に目を通していく。


 ◇◇◇


「お主、しばらく休め」

「え?」


 星貴妃が顔を合わせるなり、珊瑚に命じる。


「目の下のクマが酷いぞ。それに、顔色も悪い。あまり、眠っていないのではないのか?」

「いえ、しっかり眠っていますが――」


 しかし、眠りが浅いことは否定できない。夜中に何度も目が覚め、そこから再度眠りに落ちるのに時間がかかるのだ。


「たぬきと昼寝でもしていろ」

「くうん」


 紺々が抱くたぬきが、寂しげな声をあげる。

 抱えている仕事もすべて寄こすように言われていたが、ただでさえ紘宇の仕事の半分以上は星貴妃が代理で行っていたのだ。これ以上、任せるわけにはいかないと主張したが――言うことを聞くように怒られてしまった。


「翼紺々、お主も珊瑚と一緒に眠ってやれ。人の温もりがあったら、よく眠れる」


 紺々も、たぬきと二人で珊瑚を温めるよう、命じられた。


「珊瑚様、行きましょう。星貴妃様の命令は、絶対ですよ」

「ええ……」


 私室に移動し、寝台に腰かける。

 紺々が温めた牛乳に蜂蜜を垂らしたものを作ってくれた。


「これ、珊瑚様が以前おっしゃっていたものです。何日が前からこっそり試作して、美味しく作れるようになったので」

「ありがとうございます」


 蜂蜜入りの温めた牛乳は、子どもの頃眠れない時に乳母がよく作ってくれたのだ。

 一口飲むと、甘くて、優しい味がした。

 懐かしさと安堵感が、同時に押し寄せる。体がじんわりと温かくなり、眦から涙がポロリと零れた。


「珊瑚様?」

「ごめんなさい、こんこん……」


 握っていた器を置き、たぬきを抱える紺々ごと抱きしめた。


「しばらく、このままで」

「はい」


 祖国の者の進撃と、紘宇の不在と、民の不安と期待と。

 さまざまなものを目の当たりにした珊瑚は、心身ともに弱り切っていた。


 紺々の作った懐かしい飲み物が、珊瑚の張り詰めた頃心を解したのだ。


「すみません……もっと、強かったら、よかったのですが。私は無力で、何も、できない……」

「いいえ、珊瑚様は、お強いです! 無力でも、ないです!」


 今まで、自信がなくて言葉尻が萎むことが多かった紺々の、力強い言葉だった。


「珊瑚様は希望も何もなかった牡丹宮にやってきて、沈んだまま暮らしていた私達を、一点の光へと導いてくださいました」


 珊瑚がやって来て、皆変わったと言う。

 何もかも諦めていた紘宇は、自分の意思で戦う決意をした。

 虚ろだった星貴妃は、強い自分らしさを取り戻す。

 女官達は、明るく誠実な珊瑚に、心癒されていた。

 たぬきも、珊瑚に拾われて楽しく暮らしている。


「キラキラと輝く、美しく澄んだ青い瞳に、犬の尻尾のように楽しげに動く金の御髪――私も、珊瑚様の前向きに生きるに姿に、勇気をいただきました」

「こんこん……」


 思いがけない言葉に、励まされた。

 これで話は終わりと思いきや、そうではないようだ。


「あの、ずっと思っていたことを言わせてください」

「なんですか?」


 紺々は珊瑚から離れ、目と目を合わせて言った。

 何やら緊張をしているようで、たぬきを下ろして胸に手を当てて深呼吸している。

 そして、紺々は意を決するように言った。


「珊瑚様。あなたは私の――彗星です」


 彗星は強い強い光を放つ、類稀なる流れ星。曇り空を切り裂き、美しい空を見せてくれた。


「世界は楽しいことばかりで、希望に満ち溢れていて、優しくて、美しい。前向きに生きていたら、そんな奇跡のような光の粒が、おのずと集まってくるのです。それを、珊瑚様と過ごす中で、気付いたんです」


 感謝しても、し尽くせないという。


「これから先も、いろいろあるかもしれません。けれど、珊瑚様は自分らしく、生きていただけたら、嬉しいなと思います」

「こんこん……」


 再度、熱いものがこみ上げ、紺々を抱きしめる。

 珊瑚は自分がどうあるべきであるか、思い出した。


 この世は、思うようにはならない。

 時には下を向いてしまうこともあるが、それでも前を向いて生きなければならないのだ。


 紺々の言う通り、人生はいろいろある。

 けれど、この世は楽しいことばかりで、希望に満ち溢れて、優しくて美しくもある。

 前向きに生きて、奇跡のような光の粒を呼び寄せなければならないのだ。


「こんこん、ありがとうございます。嬉しいです」


 紺々は何も言わず、珊瑚の背中を優しく撫でた。


 ◇◇◇


 しっかり休んで、たぬきとたくさん遊んで、元気を取り戻した珊瑚は牡丹宮の廊下を歩く。

 星貴妃に呼ばれていたのだ。


 こうして、朝から呼ばれることは珍しい。

 いったい何事なのか。


 隠し通路をと通り抜け、星貴妃の寝屋へとたどり着く。


「珊瑚、来たか」


 心なしか、星貴妃の声が固い。


「妃嬪様、珠珊瑚、参上いたしました」

「そこに座れ」

「はっ」


 膝を突いて座ると、目の前に巻物が差し出される。


「これは?」

「汪紘宇から、お前に手紙だ」

「こーうから、ですか!?」


 一瞬喜んだものの、星貴妃の顔は硬い。

 珊瑚はすぐに察する。これは、悪い知らせだと。


 バクン、バクンと、嫌な感じに胸が鼓動する。

 巻物の紐に手を伸ばしたが、指先が震えて掴むことさえできない。


 嫌な推測が脳裏を過り、かぶりを振る。

 絶対に、ありえない。

 自らに言い聞かせる。

 大丈夫だ。心配はいらない。呪文のように言い聞かせながら紐に手を伸ばすが、震えが治まらない。


 そんな珊瑚に、星貴妃が言う。


「汪紘宇は死んだ」


 珊瑚の手の中から、巻物が落ちた。

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