九十二話 首切り役人の男
首切り役人の言葉を聞き、珊瑚の胸はバクンと高鳴る。
どうやら首切り役人は、紘宇のことを知っている者のようだ。
背格好が一緒だからだろうか?
そう思っていたが――違った。
「こんなところで、会えるとはな。お前の惚れ惚れするようなその剣遣い、忘れはせんぞ!」
その言葉と同時に、珊瑚は首切り役人を突き飛ばす。
距離を取り、再度剣を打ち合う。
彼は剣筋も身のこなしも、今までの殺人狂――首切り役人とはまるで違っていた。
紘宇の知り合いであることも踏まえて、元武官なのだろうと予測する。
「汪紘宇、そんな恰好をして英雄気取りとは、笑わしてくれる!」
どうやら珊瑚の戦い方を見て、紘宇だと思ったようだ。
それも、無理はない話である。
この、珊瑚の振るう華烈の剣の使い方を教えたのは紘宇だ。
紘宇の指南のもと、珊瑚は星貴妃より賜った三日月刀を使いこなせるようになったのだ。
首切り役人の重たい一撃を、珊瑚は受け止める。
剣を持つ手が痺れたが、歯を食いしばった。
首切り役人は大柄なわりに、動きは珊瑚よりも素早い。続け様に容赦ない攻撃が繰り出されてくる。
刃を受けるだけで精一杯なのに、首切り役人はもう一本剣を抜いた。
彼は、二刀流の遣い手だったようだ。
攻撃は勢いを増す。
素早く繰り出される剣戟に、反撃をする隙など一切ない。
「どうした、汪紘宇? お前は、その程度ではないだろう?」
紘宇の名で、その程度かと言われ珊瑚の心に火が点る。小さな火は、瞬く間に燃え上がって大きくなった。
同時に気付いた。
珊瑚の中に、紘宇がいることを。
紘宇の教えが、志が、戦い方が、珊瑚の中にある。
一人で戦っているわけではなかった。
ずっと、紘宇が一緒だったのだ。
その刹那、珊瑚は何もかも、怖くなくなった。
瞬時に、脳内にあった戦術を新しいものへと切り替える。
騎士であった珊瑚は、ひらすら剣を極めていたが、紘宇が教えてくれたのは剣術だけではない。
戦うとは、剣と剣を交わすことだけではないのだ。
それを、今この瞬間に思い出す。
迫り来る一撃目を剣で受け流し、二撃目はひらりと躱した。
振り返るのと同時に、首切り役人の剣を持つ手を思いっきり蹴り上げた。
「ウッ!」
首切り役人の手から、剣は離れていった。
もう一本。
珊瑚は手にしていた三日月刀を――首切り役人に向かって投げた。
「なっ!?」
当然、想定外の攻撃なので首切り役人は回避するが、隙ができた。
珊瑚は向いにあった民家まで走り、箱を蹴って跳び上がり、出窓に足をかけて屋根まで上る。
そして――屋根から地上へ大飛翔。
首切り役人目がけて、飛び蹴りをくらわせた。
珊瑚の蹴りは首切り役人の腹部へと命中に、巨体は地面に倒れる。
首切り役人は急所へ強烈な一撃を受け、気を失ったようだ。
珊瑚は剣を拾い、今度は役人に向かって剣の切っ先を向ける。
「お……おい! わ、私ではなく、そこの、首切り役人を、殺せ!! そいつが、悪の権化だ!!」
一瞬、静寂となる。だが――。
「違う!!」
誰かが叫んだ。
「諸悪の権化は、お前だ!」
「そうだ、そうだ!」
「出ていけ!」
街の者達は役人に向かって、桶やら靴やら、さまざまなものを投げる。
「ク、クソ! お、覚えてろよ!」
そんなお約束のような捨て台詞を言って、役人は逃げていった。
珊瑚は三日月刀を鞘に納め、周囲の閹官に指示を出す。
気を失った首切り役人を、四名の閹官で担ぐように連れて行った。
◇◇◇
首切り役人は牡丹宮ではなく、閹官の宿舎に運ぶ。
閹官に命じ、汚れていた服を着替えさせ、怪我があれば治療しておくように頼んだ。
一応、念のため、手足を縛っておくことも命じておく。
二時間後、目覚めたという連絡が届いた。
星貴妃と共に、珊瑚は狸仮面の剣士の姿のまま首切り役人のもとへと向かった。
「――よう」
首切り役人の男は手足を縛られた状態であったが、胡坐を組んだ恰好で明るい声で声をかけてきた。
仮面は外され、素顔を晒している。四角い顔に、無精ひげを生やしていた。年頃は三十前後だろう。ひげを剃れば、もっと若いように見えるかもしれない。
「汪紘宇、お前も素顔を見せてくれないか? 兵部イチの美貌を、もう一度見てみたい」
その問いには、女官姿の星貴妃が答えた。
「その前に、あんたの身分をおしえてくれるかい?」
「俺か? 俺は、傳志貴だ」
「ふうん。ただの犯罪者には見えないね」
「犯罪者だよ。謀反を起こしたからな」
「なるほど」
傳志貴と名乗る男は、どうやら悪政に耐え兼ねて反乱を起こしていたようだ。
しかし、謀反は失敗し、囚われしまった。
首切り役人に抜擢されたのはいいものの、連れていた役人は首切りを命じることはなかったらしい。
脅しのために、筋肉隆々な志貴を連れ回していたのだ。
「それであんた、兵部に属していたのだろう?」
「まあな。汪紘宇とは、同期だよ」
「そうかい」
星貴妃が珊瑚の顔を見上げる。
珊瑚は一度頷き、狸の仮面を外した。
「――なっ!」
志貴が驚きの声をあげる。
ずっと、珊瑚のことを紘宇だと思い込んでいたようだ。
「あ、あんた……!」
「見ての通り、この男は汪紘宇ではない」
「そんな。俺は何度も汪紘宇と剣を交えたことがあるが、剣筋を見間違えることなど――」
「ああ、確かに、その目は曇っちゃいないよ。こいつは、汪紘宇の愛弟子なんだ」
「弟子……そう、だったのか」
ここで、星貴妃は志貴に質問をする。
「あんたと同じように、反乱を起こして捕まっている奴らはたくさんいるのかい?」
志貴は一度俯いたのちに、コクリと頷く。
兵部の者達は都ではなく、別の場所に収容されているようだ。
星貴妃は口元に弧を描く。そして、珊瑚にだけ聞こえる声で囁いた。
「いい駒を見つけたぞ」