九十一話 狸仮面の剣士、危機一髪
珊瑚や閹官の活動が功を奏したからか、街の様子はガラリと変わる。
何もかも諦めていた街の者の目にも、光が戻って来ていた。
中抜きする役人を拘束した結果、街に豊富な食材が流通するようになった。物価も戻りつつある。
活気が、戻ってきていた。
牡丹宮は星貴妃が病に伏しているということで、明るくはない。
心配する女官は気の毒だが、今が耐え時なのだと星貴妃は言う。
皆、各々自分のすべきことを頑張っている。
星貴妃は女官の振りをしながら、後宮に出入りする者から情報を集め、紺々は実家と協力して、物流の改善に努める。
麗美は病に伏す星貴妃を、献身的に支える振りをする。
たぬきは、落ち込んでいる女官達を癒して回った。
そして珊瑚は、美しい三日月刀を揮って民達の英雄を演じていた。
一日の終わりに、珊瑚と星貴妃は寝屋で落ち合う。
「ふふ、このように逢瀬をしていると、秘めた恋人同士のようだな」
「そうですね」
珊瑚の反応に、星貴妃は目を細める。
「あの、妃嬪様、何か?」
「いつものお前だったら、恥ずかしがっていた。私は、お前の恥ずかしそうにする顔をみたかったのに」
「すみません」
珊瑚の神経は擦り切れている状態なのだ。
そのため、星貴妃の冗談に反応する余裕もない。
そんな珊瑚を、星貴妃はぎゅっと抱きしめる。そして、耳元で囁いた。
「すまない……。お主にばかり、辛い役目をさせてしまい」
「いいえ。私は、妃嬪様のお役に立てることが、何よりも嬉しいです」
「大した忠誠心だ。私は、お主という存在を誇らしく思う」
「ありがとう、ございます」
――あと少しだ。
星貴妃は珊瑚の背を撫でながら、そんなことを言う。
「あと、少し……」
「ああ、そうだ。今が、耐え時だろう。もうすぐ、時代は、変わる」
「はい」
戦場の状況も少しずつ入ってきている。
華烈軍は、大国の侵攻に耐え、見事な奮闘をしているらしい。
「優秀な指揮官がいるという」
「そ、それって――こーうのこと、ですか?」
「ああ、そうだ」
前線にいる紘宇のことは常に心配していた。だが、星貴妃の密偵の報告により、無事が知らされてホッとする。
「あいつは犬死するような男ではない。だから、安心しろ」
「はい」
珊瑚の張り詰めていた心は、少しだけ和らいだ。
話は変わり、星貴妃が珊瑚に巻物を広げて見せる。
「珊瑚、見てみろ。密偵が街で買ってきた」
「こ、これは……!」
巻物に書かれていたのは、三日月の剣を構える、青い服を纏った色男の姿であった。剣を持つ逆の手に、狸の仮面を持っている。
これは、英雄狸仮面の剣士を描いたものである。
「街で、男女問わず大人気らしい。飛ぶように売れているとか。目元ら辺が、お主に似ていると思わないか?」
「な、なんと答えればいいものか……」
街が活気に溢れることはいいことである。だが、この事態は想定外であった。
「狸仮面は、絶対に外せませんね」
「安心せい。珊瑚はこの姿絵以上の美人だ。皆、逆に信仰心が増すだろう」
「……」
珊瑚は明後日の方向を向き、切なくなる胸を押えた。
◇◇◇
翌日。
今日も珊瑚は狸仮面の剣士の装いで街に繰り出す。
目立ってはいけないので、全身をすっぽりと覆う旅商人の外套を纏っていた。
路地を抜け、人混みを避け、今日も役人のお出ましを屋根の上から待つ。
閹官は民の中に上手く紛れ込んでいた。
痩せている者を採用しボロの服を纏わせたら、武官にはとても見えない。
もしも珊瑚が危機に陥ったら、彼らが助けてくれるのだ。
そして――街中に銅鑼の音が鳴り響く。
ボーン、ボーン、ボーンと、間延びした音は、恐怖を煽るような音だった。
先頭を歩く役人に、首切り役人が続く。
今日の首切り役人は筋肉隆々で、いつもと雰囲気が違った。
通常、首切り役人は殺人を犯した罪人などから選ばれる。
そのため、食事は十分でないのか痩せ細り、剣が重たいのか、前かがみな上に亡霊のような不確かな足取りで歩くという特徴があった。
しかし、今日の首切り役人は、武官のように背筋がピンと張っていて、隙はまったくない。
珊瑚の胸は、ドクドクと嫌な感じに高鳴る。
果たして、勝てるのか?
嫌な予感は、頭を振って打ち消した。
今は、戦う他ない。
何があっても、剣を握り続けないといけない時であった。
一軒目の家に入ろうとしたその時、珊瑚は役人の前に踊り出た。
すると、役人は勝ち誇ったように叫ぶ。
「出たな、狸仮面の剣士! 私は、他の役人とは違う!」
それは、悪いことは何もしていないという弁解ではない。
他の役人と違って、狸仮面の剣士を迎え撃つ準備ができているという意味だ。
「おい、こいつを殺せ!!」
役人は首切り役人に命じる。
首切り役人は鞘からすらりと剣を抜き、珊瑚に切っ先を向けた。
珊瑚も同じように、剣を抜く。
動いたのは、同時だった。
首切り役人は剣を振り上げ、珊瑚に斬りかかる。
珊瑚は剣の腹で受け止め、弾き返した。
その後、二、三歩後方に飛んで距離を取る。
やはり、いつもの首切り役人と違った。
剣が重い。
それに、身のこなしなど、訓練を積んで培ったもののように思える。
もう一度、剣を交えた。
力比べをしてはいけない。そう判断し、剣はすぐに受け流す。
何度か打ち合ったあと、接近を許してしまった。
珊瑚はハッと息を呑む。
しかし、首切り役人は踏み込んでこない。
その代わり、周囲に聞こえないような声で囁いた。
「よお、狸仮面の剣士。初めまして、だ」
「……」
返事をしないでいると、続けて首切り役人は話し続ける。
「剣を交えてわかった。お前――汪紘宇だな?」