八十九話 絶望の都
税金が増え、市場が崩壊し、路頭に迷う者は飢えて死ぬ。
美しかった華烈の都は、瞬く間に衰退している。
今日も、皇帝の名を騙った役人が、市民に税金の徴収にやってくる。
皇帝を表す龍ののぼりに、大きな銅鑼を鳴らしてやって来るのだ。
徴収する税金は、『都滞在費』、『空気使用権』、『生存確認費』などなど、わけのわからないものばかり。
支払う金がなければ、家にある品物を押収した。
しだいに、銅鑼の音が鳴ると、民達は身を隠すようになった。
しかし、税金逃れは死罪である。
大きな柳葉刀を持った首切り役人が、逃亡者の息の根を止めるのだ。
皇帝亡き都は、悲惨な状態となっている。
まともな思考の役人は、次々と牢屋送りになっているからだ。
だが、役人達に横暴なふるまいに、大人しく従う民ばかりではなかった。
十人、二十人と大挙を成して役人に反抗したが、首切り役人は武芸の達人で、ほとんどの者は囚われ、殺されてしまった。
ここは地獄だと、路地裏の壁に背を集める老人が一人呟く。
貧しい者達は、家に火を熾す金もない。
食べ物も高騰し、人々は空腹から荒んでいく。
仲良くしていた隣人同士で、争うようになった。
下町のほうでは、不治の病が猛威をふるっている。
こんな現世では、死ぬのも怖くない。
常世――死後の世界のほうが、幸せかもしれない。
もう、終わりだ。そう言って、老人は静かに息を引き取った。
今日も、街中に銅鑼が鳴る。
先頭を役人が歩き、そのあとに首切り役人が続く。
役人は毛皮をたっぷり使った外套に、絹の服を纏っていた。贅沢三昧な暮らしをしていることは、明らかである。
食糧難でやせ細る市民とは違い、ふっくらしていて、顔にも照りがあった。
一方、首切り役人は――真っ赤に塗られた仮面に、鬼の形相が描かれているものを被り、身に纏う外套はボロボロだった。ひょろりとしていて、足元はおぼつかない。手には、抜き身の柳葉刀を持っている。それは血色に錆びていて、不気味としか言いようがない。
首には縄が巻かれ、あとから続く役人が三人がかりで持っていた。
その様子は、見世物小屋の猛獣遣いの如く。
荷車を牽いていた中年男は役人のお渡りに腰を抜かし、運んでいた水を零してしまった。
首切り役人を見た子どもは恐怖で泣きわめき、小便を漏らす。
「クソガキが、汚ねえな……」
役人は子どもに汚物を見るような目向けたあと、左手を上げる。
それは首切り役人に、処刑を命じる合図だった。
首切り役人の自由を封じていた縄は手放され、自由の身となる。
泣きわめく子どもは、足が竦んでいるようで逃げることすらできない。
通りに並ぶ家は、閉じた貝のように開こうとしなかった。
首切り役人は、柳葉刀を振り上げる。
刃の切っ先が太陽と重なって、ギラリと怪しく煌めいた。
柳葉刀は振り下ろされる。
その刃は、子どもの柔肌を裂いて、命を奪うものだと、誰もが思っていた。
しかし――。
ガキン! という鋭い音が、首切り役人の刃を受け止める。
それは、三日月のような美しい刃だった。
「はあっ!」
凛としたかけ声と共に、首切り役人の刃は弾き返される。
想定外の反撃に、首切り役人は二、三歩とからあしを踏んだ。
子どもの前に現れたのは――狸の仮面を被った剣士である。
青い外套を纏うその姿は、血で穢れきった街に流れる爽やかな風のようだった。
「なんだ、お前は!?」
役人が叫ぶ。その問いに、言葉は返さない。
代わりに、剣を揮う。
一歩、二歩と踏み込んで、首切り役人に切ってかかった。
素早く猛烈な攻撃に、首切り役人のほうが圧されている。
民を恐怖に陥れた血濡れた柳葉刀は、狸仮面の剣士にはまったく届かない。
そして――。
「ギャアアア!!」
首切り役人は断末魔の叫びをあげる。
狸仮面の剣士が、剣を握る腕を斬り落としたのだ。
そして、血吹雪を浴びた剣を、役人にも向ける。
「あ……、あ……、ば、化け物……!」
「化け物は、お前だ!!」
どこからか、叫び声が聞こえた。
その声は重なり、次第に大きくなっていく。
「そうだ、そうだ!」
「ここから、出ていけ!」
「出ていけ!」
隠れていた者達が出てきて、次々と役人に石が投げられた。
「く、くそ!」
役人は手を振った。それは、撤退の合図である。
銅鑼がボーン、ボーン、ボーンと三回鳴らされたが、飛んできた石が銅鑼に当たってなんとも収まりが悪い感じになる。
役人は逃げるように走って去って行った。
痛みにもがき苦しむ首切り役人は、縄を持っていた役人に運ばれながらいなくなる。
まさかの逆転劇に、ワッと歓声が上がった。
初めての、勝利となる。
狸仮面の剣士は剣を振って血を払い、三日月のような剣を鞘に納めている。
その周囲に、人が集まった。
「ありがとう!」
「ありがとう!」
「ありがとう!」
民達は、颯爽と現れた狸仮面の剣士を称えた。
彼こそが、我らを救う大英雄であると。
狸の仮面を被ったおかしないでたちであるが、その強さは圧倒的である。
絶望しかなかった市井の者達に、一抹の希望が差し込んだ。