八十八話 星貴妃の企み
星貴妃はまず、後宮に出入りする商人に探りを入れる。
まず、初めて見る顔に警戒されないように、たぬきを連れて行った。
狙いは当たり、女性の商人は小首を傾げるたぬきに相好を崩している。
「申し訳ありませんが、本日は欠品もございまして――」
女性の商人が、布の上に商品を並べていく。それを、一品一品検品していくのだ。
女官に扮した星貴妃は、白粉を手に取って厳しい目を向ける。
「あら、この化粧品、質が落ちているのではなくって?」
星貴妃の指摘に、商人は苦笑を浮かべる。
「やはり、お気づきになられましたか。申し訳ありません。最近は市場も荒れておりまして」
「荒れている?」
「はい。役人の介入で中抜きや意味のわからない税金がかけられるようになりまして。用意された予算では、今までと同じ品を用意することが難しい現状で……」
「まあ! それは、いったいどなたの仕業ですの?」
「ここだけの話ですが――」
数名の役人の名が上げられる。それは、商人には見えない場所に控えていた麗美が巻物に書き写す。
その中に、前回武芸会にやって来ていた礼部侍朗、燦秀吏の名もあった。
「大変なことになっていますのね」
「ええ……。情勢は悪くなる一方で。商人達も、役人の味方をして取り入ろうと思っている者も多数で、余計に」
「あなたも、大変ですのね」
手のひらに金を含み、星貴妃は商人の手をそっと握る。
「後宮は毎日平和で退屈だから、また何か面白い話があったら聞かせてくださる?」
「ええ、もちろん」
商人は思いがけない収入を手にしたまま、笑顔で帰って行った。
◇◇◇
ここ一週間ほどで星貴妃が集めた情報が膨大なものであった。
普通だったら、見慣れぬ女官に警戒を抱きそうだが、たぬきが一緒だったからか、ペラペラと情報を喋ってくれるのだ。
もちろん、彼女一人の力だけではない。
密偵の成果もあるし、紺々の実家である翼家の力も借りていた。
「翼紺々、お前の実家は優秀だ」
「も、もったいないお言葉でございます」
珊瑚は届いた巻物を開き、麗美がそれを一つ一つ読み上げる。
星貴妃は顎に手を当て、じっと報告書を眺めていた。
「なるほどな」
暗躍している役人は少数ではなかった。
権力を持つ者が、今以上の力を得るために猛威をふるっているのだ。
「意外だったのは、汪家の当主が加担していなかったことか」
「こーうのお兄さんは、こーうに賭けていたのでしょうか?」
「そうだな。お前にも、期待を寄せていたのかもしれぬ」
紘宇の兄、永訣は珊瑚の国の者と手を組んで、よからぬ企みを計画した。
しかしそれは、国を思ってのことだったのだ。
それが失敗したあとは、紘宇に思いを託していたらしい。
「こーうのお兄さんは、このままでは国が滅びると言っていましたね」
「ああ。ヤツも、何か情報を握っているはずだ。話を聞き出そうぞ」
汪永訣を後宮ではなく、牡丹宮にある閹官の宿舎に呼び出すことになった。
使者を送った翌日。
星貴妃に珊瑚、麗美、紺々まで、皆一様に男装をして閹官の宿舎へと向かう。
永訣は実に迷惑そうな顔で、閹官宿舎の客間にいた。
「この忙しい時に呼び出してから……」
「すまんな」
星貴妃はまったく悪びれない様子で謝った。
「して、なんの用件だ?」
その問いかけに対し、星貴妃は短く簡潔な言葉を返した。
「悪い役人をこらしめたい」
星貴妃の一言に、永訣は目を見張った。
「これは私が個人的に調べ上げた、悪い奴らの一覧だ」
珊瑚は巻物の紐を解き、はらりと卓子の上に広げる。
「汪永訣、お前の名前はないぞ。よかったな」
「……」
星貴妃の挑発するような言葉にも、反応は示さない。
それに永訣は、役人の名と書き連ねてある悪事の数々に、驚いた様子はなかった。
「ここにあることに、間違いはないようだな」
沈黙は肯定を示す。
「星貴妃よ。この役人を、どうするのだ?」
「捕まえて牢屋送りにしたい」
ここ最近の中央政治機関は機能しているようで、していない。
だったら、手っ取り早く悪を排除したほうがいいのではと、星貴妃は提案する。
「だが、代わりの役人はどうする?」
「とりあえず、星家と汪家、それから、景家、翠家、悠家の者もだ。我らが四夫人は、同盟を結んでいる」
武力も多少はある。星家と悠家率いる同盟軍だ。
「騒ぎを起こしたら邪魔するであろう、兵部が戦争に行っている、今しか機はない」
「簡単に、決められることではない。それに、四夫人のうち、景家、翠家、悠家とは、連携は取れていない」
「そこが、お前の腕の見せ所だ」
「しかし、もしも負けた場合はどうする?」
「まあ、仲良く皆で獄中暮らしをするしかない。危険のない賭けごとなど、ないのは知っているだろう?」
星貴妃は扇を扇ぎながら、返事を急かす。
「時間がない。決めるならば、今だ」
永訣は顔を歪ませる。他人に急かされて物事を即決することをよく思っていないことは、ありありとわかった。
しかし、じっくり検討する時間はない。
それに熟考などしたら、この作戦の粗にも気付かれてしまう。
だからあえて、この混乱の中に乗じて提案をしたのだ。
「汪家は新しい時代に、陰で生きる者となるのか?」
永訣は実に悔しそうな表情となる。しかし――。
「…………わかった」
汪永訣は、今この瞬間に、星貴妃の企みに加担する覚悟を決めたようだ。
「十日間、時間をくれ。役人の罪状をまとめた書類を作る」
「七日だ。七日で仕上げろ」
「無理を言う」
星貴妃と永訣は、七日後、ここで再び会う約束をした。