八十七話 血に濡れた星貴妃
游峯が旅立った日。牡丹宮の星貴妃に、変化が訪れる。
――牡丹宮、とある寝室にて。
「妃嬪様~~!」
「おいたわしい!」
「ううっ……!」
傍付きの女官達が、床に伏せる星貴妃を囲んで嘆いている。
ここは星貴妃の寝屋ではなく、空いている寝室だ。
星貴妃の寝屋は、血に塗れて使える状態ではない。
その血は、星貴妃自身のものであった。
ゴホン、ゴホンと、星貴妃は咳き込む。その度に、女官達は涙をポロポロ流した。
「ああ、嘆かわしい……!」
「苦しいでしょうに……!」
「ああ、わたくし共は、無力……!」
星貴妃を診察するのは、後宮の侍医である真小香。
阿鼻叫喚の寝室で、一人冷静だった。患者である星貴妃を見る、小香の目は厳しい。
「それで、朝、寝屋に行ったら、血を吐いて倒れていたと?」
「はい」
神妙な面持ちで返事をするのは、星貴妃の傍付き護衛を務める珊瑚だった。
珊瑚はその時の状況を説明する。
「妃嬪様は、毎朝散歩に出かけられます。しかし、女官が今日は寝屋から出ていないと聞き、不審に思ったのです」
女官の一人――麗美が余計にわんわん泣きだす。昨晩、星貴妃の傍に侍る役目は彼女が務めていたのだ。
「お声をかけましたが、反応もなく……失礼を承知で寝屋の中に入ると、布団と枕を血で濡らした妃嬪様の姿がありました」
話が終わると、珊瑚は唇を噛みしめて俯く。
女官の一人が、布団の敷布に付着した血を小香へと差し出した。
「これは……喀血か!?」
一言に血を吐くといっても、出血している場所は複数ある。
肺や気管支など、呼吸に関連するところから出血するものを喀血と呼び、食道や胃など、消化管から出血するものを吐血という。
喀血の色は鮮やかな赤で、吐血は黒ずんだ血色をしている。
女官が持って来た血の色は、鮮やかだった。よって、小香は喀血と診断し、肺か気管を
患っていると診た。
苦しそうに咳き込む星貴妃を見て、小香はハッとなる。
「あんた達、早くここから出ていくんだ! 星貴妃は、肺結核の可能性がある!」
肺結核――その病名を聞いた珊瑚は表情を曇らせる。それは、不治の病と言われているものであった。
一方、華烈の者達はピンと来ていない。
「これは、空気感染する病気だよ。あんた達も、こうなりたくなかったら、一刻も早く出な!」
その言葉に、女官の一人が逆らう。
「いいえ、いいえ。わたくしは、星貴妃様のもとを離れません!」
「死にたいのか!?」
「この身は星貴妃様に捧げたもの! 死は、怖くありません!」
その女官につられるように、他の女官達も星貴妃のもとを離れようとしない。
「たいした忠誠心だが、感染者が増えたら困るのはあたしなんだよ。珠珊瑚、この女官達を外へ連れていけ!」
「は、はい」
珊瑚は言葉で説得するのも難しいと思い、女官の一人一人を抱きあげて寝屋の外へと連れて行く。
それから、病に伏してしまったら星貴妃が悲しむという旨を伝えた。
とりあえず、看病は小香に任せ、皆は星貴妃の寝屋の後始末に向かうように命じる。
珊瑚は深い溜息を吐き、寝室へと戻った。
部屋の中は星貴妃に縋る女官一人と小香、珊瑚と、横たわる星貴妃の四名のみとなった。
今まで泣き叫んでいた女官は急に真顔になり、サッと起き上がる。
「ふむ、上手くいったな」
「大した演技力だ」
先ほどとは違い、ヒソヒソと低い声で喋る。
「おい、翼紺々よ、もう、起きても良いぞ」
「は、はい……」
布団から起き上がったのは紺々であった。
傍に侍っていたのは、女官の恰好をした星貴妃である。
一人、珊瑚は明後日の方向を向いていた。
小香は溜息を吐きながらぼやく。
「まったく、あたしに演技しろなんて言ってくるのは、星貴妃くらいだよ」
「迫真の演技であったぞ」
「まったく……」
この一連の騒ぎは、星貴妃が画策したものである。
星貴妃は結核で不治の病気であるとわかれば、暗殺の対象とならないのではという狙いがあった。
他の三つの後宮の妃達も同様に、結核にかかったことになる予定だ。
先日の武芸会の会場で、空気感染してしまったという設定である。
牡丹宮では、星貴妃は女官に扮して行動する。ここに出入りするのも、彼女である。
「これから、私のことは本名である紅華と名乗るわけにはいかぬから――読み方を変えて、紅を紅と呼ぶようにしよう。どうれ、珊瑚、呼んでみよ」
「え、そんな、妃嬪様の名を呼ぶなど、恐れ多い……」
そう言った途端、珊瑚は星貴妃にジロリと睨まれる。
「あ、いえ……ベニさん」
「発音が怪しいな」
「名の発音は、難しい、です」
「まあよい」
紺々や小香にも、同様に呼ぶように命じていた。
最後に、作戦を実行するにあたって、小香より注意を受ける。
「街中で結核患者が増えているのは事実だから、あんたらも気をつけなよ?」
「わかっておる」
結核が流行の兆しを見せているらしい。体力のない子どもや老人が、バタバタと倒れているのだとか。
「早いうちに問題を解決せねば、国が滅びてしまう……!」
星貴妃はぐっと、拳を握る。
大捕り物が、始まろうとしていた。
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皆様の応援あっての書籍化です。本当に、ありがとうございました。