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八十六話 游峯の旅 その五

 メリクル王子の青い目が、揺れる。

 その刹那、游峯は気付く。彼は、二十歳を超えた青年ではないと。

 大人だったらとっくに割り切れているはずの、迷いや焦燥の色が瞳に滲んでいた。

 年若い閹官には、こういう目をする者が多くいたのだ。


「父は、私を殺すだけでは飽き足らず……この国を物にしようとしているとは」

「ここに、戦争の知らせは来ていないのか?」

「先日、都から使者がきたと、噂されていた。当主殿は、ご存じだろう」

「そうか」


 村人達は戦争が起ころうとしていることすら知らない、平和な暮らしをしている。


「領民には、不要な情報だと判断したのだろう」

「そうだよな」


 現状、戦争があると言われても、徴兵などが行われているわけではないし、食料を強制的に納めるように命じられているわけでもない。 

 そのため、領民を混乱させないように、情報は隠されているのだろう。


「ただ、都の混乱は出稼ぎ労働者の口から伝わっている。あまりにも酷い状態なので、皇帝の崩御も予想している者がいた」


 急がねばと、メリクル王子は独り言のように呟く。

 どうやら、心はすでに固まっていたようだった。


「ってことは、あんた、俺と一緒に来てくれるのか?」

「無論だ。しばし、ここで待っていてくれ。当主殿と話をしてくる」

「わかった」


 メリクル王子がいなくなったあと、温かい茶と菓子が運ばれる。

 蒸篭せいろの中の菓子は、蒸したてのあんまんであった。游峯はふかふかの生地を二つに割って食べる。

 甘いものは久々だった。疲れた体が癒されるような甘さである。茶も、名前などはわからなかったが、さっぱりしていて美味しい。

 游峯は景家のもてなしを、存分に味わった。


 それから一時間後、メリクル王子が戻って来る。


「景家の許可が下りた。明日の早朝の船で都に戻る。当主が、一晩泊まっていくといいと言っていた」

「それは助かる」


 そんなわけで、游峯は景家の屋敷に一泊することになった。

 夜、游峯は景家の当主に食事をしないかと誘われる。

 案内された大広間には、先ほど見かけた日に焼けた腕の太い中年当主と、その妻、そして、二十代から三十代くらいの息子が五名に、妻や子と思われる者達がズラリと座っていた。

 大変な大家族である。

 游峯は注目を浴び、気まずい思いをしていた。

 大豪族であれば、夕食はさぞかし素晴らしい食事が出てくるのだろうと決めつけていたが――膳の上に置かれた食事は粥に焼いた鰯、梅の漬け物と、非常に質素なものであった。

 ガッカリしている游峯を見て、景家の当主はガハハと豪快に笑う。


「すまんな! うちの食事は昔から、こんな感じでな!」


 魚があるだけ贅沢なのか。游峯は鰯を頭から齧りながら思う。


「景家の美徳は、慎ましく堅実に、だ。贅沢を知ったら、元には戻れなくなる。それに、領民の努力で栄えるこの島の繁栄を考えたら、自分達だけ美味しい物を食べ続けるなど、とてもできない」

「それ、都の役人達に聞かせてやりたい……」


 食後、当主は游峯を私室に招き、とっておきの酒で歓迎してくれる。

 游峯は都の現状を語って聞かせた。景家の者達は、真剣に話を聞いてくれた。


「都の様子は聞いていたが、報告以上の酷さだ。こういう状態であれば、他国に攻め入られてもなんら不思議ではない」

「もしかしたら、前線の兵士はすでに、戦っているかもしれない。僕も、どういう状況かわからなくて……」

「とにかく、急いだほうがいい」


 メリクル王子は、焦っていた。我を失っているようには見えないが、余裕は欠片もなかった。


「景家の当主よ。世話になった上に、祖国の者が無礼を働き、なんと謝罪していいものか」

「ああ、頭を下げるのは、やめてくれ。国が万全であれば、攻め入られることもなかっただろうから」

「しかし」

「俺が助けた日、お前は国を捨てたと言った。関係ない国のために、頭を下げることはない」


 ここで、景家の当主は一言物申す。


「そもそもだ。お前を裏切った国のために、ここを出ていくこともないのでは?」

「それは――」


 一度切って捨てたつもりでも、生まれ育った国を見ない振りはできないのだろう。珊瑚同様、メリクル王子は馬鹿真面目な奴だと游峯は思う。


「それでも、私にできることもあるかもしれない。だから、この島を出る」

「そうか」

「世話になった」

「こちらこそ、だ」


 メリクル王子がやって来たおかげで、村も活気づいていたらしい。


「今度は、あんたと珊瑚と一緒に、遊びに来ればいいじゃん」

「珊瑚?」

「もう一人、都に異国人がいるんだ。やたら女にモテる、誑しで――まあ、おまけに汪紘宇もついてくるかもしれないけれどね」


 紘宇の名前を出した途端、メリクル王子の眉間に皺が寄った。

 二人は珊瑚を巡って、殴り合いの喧嘩をしたのだ。

 その様子は、閹官の間でも熱い戦いだったと噂になっていた。


「あの男は、まだ珊瑚と共にいるのか?」

「いや、汪紘宇は……戦場にいる」


 紘宇も、珊瑚も、星貴妃も、皆、戦っている。

 游峯には何ができるのか。


 考えながら夜を過ごした。


 翌朝、游峯とメリクル王子は港から都を目指す。

 広大な海を眺めながら、游峯は気付いた。


 星貴妃の愛人になる件を、話していなかったと。


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