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八話 桃仙女の湯

 じっと、芸術品を見るような気持ちで紘宇こううを眺めていた珊瑚であったが、カタンという物音が聞こえ、我に返る。


「さ、珊瑚様、翼紺々よく・こんこんでございます」


 寝室から居間へと顔を出せば、服を抱きしめた紺々の姿があった。

 そっと寝室の扉を閉める。


「どうしましタ?」

「え、えっと、僭越せんえつながら、お風呂場に、ご案内しようと、お、思いまして」


 牡丹宮には風呂場が三カ所ある。

 星貴妃専用の『桃の湯』。

 内官、宮官専用の『梅の湯』。

 内侍省専用の『蓮の湯』。


「その、汪内官は、時間を決めずに入浴しているようなので、よかったら、私の時間と一緒に入ったほうがいいのかな、って」

「こんこんと、お風呂?」

「はい、そうです」


 紺々の実家は金持ちで、女官の中でも優遇されていると、説明していた。

 普通の女官は、皆いっせいに風呂に入るようになっている。けれど、紺々は特別に一人で入浴する時間があるのだ。


 何度か聞き返して、やっと意味を理解することができた。

 感謝をするべく、心からのお礼を言い、紺々の手を取って指先に口付けをした。


「ひゃあっ、そそ、そんなっ、あかぎれだらけの汚い手に口付けなんて!」

「ン?」

「き、汚いんです! 最近、水仕事ばかりで!」

「そんなこと、ぜんぜん、ナイデス」


 珊瑚は実家の乳母を思い出す。

 幼い頃、兄達とやんちゃをして服を泥だらけにしていたことを。そんな時、侍女などに見つかったら怒られるので、乳母がこっそり綺麗にしてくれたのだ。

 そんな彼女の手は、荒れてあかぎれだらけであった。

 悪いと思って珊瑚が謝ると、子どもは元気よく遊ぶのが一番だと、乳母は優しく手を握ってくれた。


「珊瑚さん?」

「ア、ごめんなさイ」 


 珊瑚は改めて、紺々にお礼を言う。


「こんこん、ありがとうデス」

「いえ……。後宮への多額の寄付は、お父様が勝手にしたことで、結構妬まれたりすることもあるんですが、こうして珊瑚様の力になれて、嬉しい、です」


 にっこりと微笑み合う二人。


 時間がないので、さっそく、風呂に入るために浴場に移動する。

 珊瑚は分厚い外套みたいなものを着用した。頭からも、布を被る。女湯に入っているところを目撃されたら大変なので、紺々が用意していたのだ。


 誰にも見つからないように、素早く廊下を歩いていく。

 しかし、今は他の女官は食事中なので、見つかることはないだろうと紺々は言う。


 内侍省専用の大入浴場『蓮の湯』。

 女官達が大人数で使う目的があるので、広く設計されていた。

 脱衣所で服を脱ぎながら、紺々が話しかける。


「ここは温泉が引かれているのですよ。桃仙女の湯と呼ばれています」

「おんせん?」

「はい」


 珊瑚の国にはない物なので、頭の上に疑問符を浮かべている。

 温泉が伝わらなかった紺々は、慌てて補足説明をした。


「え、ええっと、温泉……地中から、湯、どばー、デス!」


 温泉の効能は、肩こり、冷え性、疲労回復、うちみなど。


「温泉のお湯が肌の角質を溶かして、すべすべになるんです。美人になれるんですよ!」

「だから、こんこん肌綺麗」

「いえいえ、とんでもないです!!」


 紺々は服を脱ぎ、裸体を晒さぬように体にタオルを巻き付ける。


「さ、珊瑚様のほうが、綺麗で……」


 言いかけて、息を呑んだ。

 急に大人しくなった紺々を不思議に思い、珊瑚は振り返る。


「こんこん?」

「こ、珊瑚様、その、背中……!!」

「背中――ああ、これは」


 一拍間を置いて、紺々が驚いていた理由に気付く。

 珊瑚の背中には肩から背にかけて、庚申薔薇ロサ・キネンシスという花と葉、蔓が彫られている。これは、第二王子メリクルを象徴する花で、仕える騎士達の誉れであった。

 花が贈られたのは、近衛騎士に選ばれた十八歳のころ。

 なんと、珊瑚の母親は把握しておらず、のちほど問題になる。

 元々、女性である珊瑚が騎士として身を立てることを良く思っていなかった母親は、それが騎士の誉れだと知らず、背中にある薔薇を見て傷物になったと悲鳴を上げ、三日間寝込んだ。


「母は、お嬢様、育チ。騎士の決まり、知らない、デシタ」


 父親も同じく騎士で、王族に仕えていたが敏感肌だったので、刺青を入れることができず、祭典の時のみ、顔料で花を描いていた。なので、珊瑚の母親は騎士の刺青を、娘の体を見て初めて知ったのだ。

 

 薔薇の刺青のこともあったので女性としての役割を果たすことに、消極的になってしまった。

 なので、珊瑚の生きがいは仕事のみ、ということになる。


 薔薇の花を彫ってから数年経ち、珊瑚もすっかり刺青ことは気にしないようにしていた。鮮やかな赤い薔薇の花が痛む日もあったが、慣れていたのだ。


 そんな感じなので、刺青についてはすっかり忘却の彼方だった。


「こんこん、ごめんなサイ。ビクリ、した?」

「あ、いえ、とても、綺麗だと思いました」

「キレイ?」

「はい。これは、この国では縁起の良い花でして――」

「ン? こんこん、もう一度くっしゅん!」

「あ、すみません、私ったら!」


 寒いので浴室に入ろうと誘われる。竹の戸を抜けて、中へと足を踏み入れた。


「わ、すごい……!」


 もくもくと湯けむりが立ち上る中、白濁色のかけ流し温泉があった。

 大理石の浴槽に、磨かれた黒い石が床に敷き詰められている。

 大人数用なので、かなり広い。


「白いお湯、なぜ、デス?」

「空気に触れると酸化して、このような色合いになるのですよ~」


 通常、乳白色の湯は硫黄の匂いが強い。だが、ここの温泉はほんのりと甘い匂いがするばかりであった。


「微かな桃の香りがするので、湯に桃の名が付いているのです」

「へえ……」


 桃仙女の湯は牡丹宮の範囲でしか湧いていない。他の後宮に務める女官から羨ましがられることもあると言う。


「では、湯をかけますね」

「あ、こんこん、自分で――」

「いいえ、お世話をさせていただきます」


 ザバリと、紺々は珊瑚に湯をかける。ふわりと、甘い香りが立ち込めた。


「ちなみに、汪内官はこの香りが苦手だと言うので、他から普通の温泉を引いているのです」

「もったいない、ですネ」

「ええ、まったくです」


 粉上の石鹸を手の平で泡立て、柔らかい手巾に含ませる。

 紺々は珊瑚の体を、手巾でこすった。


「少し、恥ずかしい……デスね」

「す、すみません」


 体を洗ってもらうのは幼少期以来であった。

 一方の紺々も、実を言えば恥ずかしいと白状した。


「傍付きを許された者が、貴妃様のお風呂の世話をするので、女官はさまざまなことを練習するのですが――」


 新しくきた女官は、尚儀部の者の体を洗って練習をするのだ。


「実は、合格をいただけなくて……」


 紺々はおどおどしながら行動するので、適正なしの烙印を押されてしまった。


「なので、すみません、あまり上手ではないのですが……」

「大丈夫、とっても、上手」

「あ、ありがとうございます。もったいない、お言葉です」


 体を洗い終え、湯で泡を流す。

 今度は頭から湯をかけ、違う粉末を手に取って手の平で泡立てていた。

 頭を揉みこむように洗い、湯で流す。仕上げに薄めた精油を垂らし、手櫛で広げていく。

 もう一度、湯で体を流し、浴槽に浸かるよう勧めた。


「ありがとう、こんこん」

「痛み入ります」


 珊瑚は浴槽に指先を浸し、温度を確かめる。結構熱めだった。

 騎士隊に所属していた時は、夜遅くに帰宅することが多く、湯を浴びるだけで済ませていた。なので、久々に湯に浸かれると思い、自然と心が躍る。


 足から浸かり、ゆっくりと入って行く。

 湯の熱さで体がジンジンとしていたが、しだいに気持ちよくなる。

 湯を手の平に掬ってみれば、とろりとしていた。

 とてもいい香りで、ホッとする。


 華烈に来て、初めて心が静まった瞬間であった――が。

 ドンドンと、風呂場の更衣室の扉が叩かれる。珊瑚と紺々は顔を見合わせ、浴室を出た。


 誰かが来ているようで、外から叫んでいた。


「紺々、こののろま!! いつまで優雅にお風呂に入っているの!?」


 いったい何事か。珊瑚は紺々の顔を見る。


「あ、あの、このあと、掃除の時間なんです。で、でも、あと二時間くらいあとですし、どうして……」 


 紺々は動揺しているのか、早口で捲し立てる。

 理由はよくわからないが、困った状況のようだ。

 珊瑚はタオルを掴み、ガシガシと乱暴に体を拭く。寝間着用にと準備されていた前合わせの服を適当に羽織って腰部分を結び、更衣室の出入り口を僅かに開ける。


「紺々、やっと出て来たわ……え!?」


 珊瑚は顔だけを覗かせて、にっこりと微笑む。

 突然、金髪碧眼の男にしか見えない者が出て来たので、女官は目を白黒させていた。

 扉の前にいたのは、ひょろりと背の高い猫のように吊り上がった目をした、お団子頭の女官。年頃は、紺々よりも下に見える。珊瑚を前に言葉を失い、口をパクパクとさせていた。


「ごめんネ?」


 あと少し、借りていてもいいかと、拙い言葉で話しかけると、コクリと女官は頷いた。

 もう一つ。これは二人だけの秘密だと言ったら、「わかりました」と消え入りそうな声で返してくれた。


「じゃ、マタ」

「あ、あの!」


 女官はガッと、閉めようとしていた戸を掴む。結構な力強さだった。


「ン?」

「お名前を、お聞かせいただけますか?」


 名前とだけ聞き取れたので、自らを名乗る。


「私は、珠珊瑚」

「珊瑚、様……」


 じゃあ、またと言うと、もう一度、ガッと扉を掴まれる。


「アノ?」

「私は、伯麗美はく・れいみと申します」

「れいみ」

「はい! 何が困ったことがございましたら、この麗美に!」


 あまり理解できなかったが、とりあえずお礼を言っておく。


「うん? アリガト」


 ここで、やっとのことで女官――麗美とお別れとなる。


 これで、大丈夫。振り返ったら、紺々は表情を青くしていた。


「こんこん、どうシタの?」

「い、今の、麗美さんですよね?」


 そうだと頷くと、紺々は頭を抱えた。

 彼女は、星貴妃に仕える女官らしい。


「さ、さ、珊瑚様のことがバレたりしたら……!」


 やはり、風呂は一緒に入ったらダメだったのか。

 申し訳なく思う。


「こんこん、ダイジョブ。れいみ、喋らない、言った」

「うう、ですが」

「ダイジョブ」

「す、すみません、私が、あまり好かれていないから、珊瑚様まで、こんな目に……」

「平気、気にシナイデ」


 どうやら、紺々と麗美の仲はあまり良くないようだ。拾えた言葉から、珊瑚は察する。

 

 紺々が反感を買わないためにも、今度からは内官と宮官専用の風呂に入らなければならない。

 紘宇と時間が合わないようにしなければ。あとで話をしようと思う。


 大変な事態になってしまったが、紺々のように親切にしてくれる人もいる。ホッとできる温泉もある。

 再度、なんとか頑張ろうと、決意を固めたのだった。

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