六十七話 珊瑚、女装までの道のり その三
星貴妃の身代わりを務めるにあたって、一つ懸念があった。珊瑚は紺々に打ち明ける。
「あの、こんこん。思ったのですけれど、私と妃嬪様はけっこう身長差がありますよね?」
「はい、ございますね」
星貴妃は華烈の女性の中でもスラリとしていて身長が高い方であったが、それでも珊瑚の頭一つ分ほど小さい。
「それが、いかがしましたか?」
「いえ、その、立ち姿で、身代わりを立てているとバレてしまうのではと、思いまして」
華烈には、珊瑚ほど背の高い女性は皆無だ。男性でさえ、小柄だった。
姿形で偽物だとわかってしまうのではと、心配だったのだ。
「大丈夫ですよ、珊瑚様」
「大丈夫、とは?」
紺々は立ち上がり、棚を開く。
相当奥に押し込んでいたのか、苦労しつつやっとのことで木箱を取り出した。
「正式な場に参列する貴婦人は、こちらの靴を履くのですが――」
紺々の開いた木箱を、珊瑚は覗き込んだ。
「こ、これは……!」
「花盆底靴といいます」
紺々が木箱から取り出したそれは、厚底の靴であった。
靴の底に陶器で作られた高い踵が付いており、身分の高い女性にしか履くことが許されない品である。
「父がふざけて送ってきたんですよ。皇后になった時に、履けばいいと」
もちろん、とんでもないことなので、紺々は誰にも見られないよう棚の奥にしまっていると言う。
「後宮の妃嬪様方は、必ず花盆底靴を履いていらっしゃるでしょう」
踵は十五センチほどある。これを履いたら、身長は珊瑚と同じくらいになる。その上、足元は裾に覆われていて見えない。よって、履いているか否はか、見た目ではわからないのだ。
「……ということは、私はそのまま行っても問題ないと?」
「ええ。ご安心ください」
身長でバレることはないとわかり、ホッとする。
「誰よりも先に行って、場所取りをして座っていなければならないと思っていました」
「最初に、ご説明をしていたらよかったですね」
星貴妃は花盆底靴のことを知っており、珊瑚に頼んでも違和感は生じないだろうと考えていたのだろう。
紺々のおかげで、一つ憂い事がなくなった。
◇◇◇
誰の目にも触れないよう、頭から布を被って星貴妃の寝屋へと移動する。
最近、星貴妃はすっかり寝屋を活動の拠点としていた。
距離の遠い女官達は、具合が悪いのではないかと噂する者がいる。
逆に、距離の近い女官達は、もしかしたら懐妊をしているのではと期待を寄せていた。
このところ、珊瑚は女装を極めるために星貴妃のもとへと通っている。そこで、振る舞いについて学んでいるのだ。
とは言っても、酒を飲む星貴妃の観察をひたすらするだけだが。
夜が更けると、一緒に眠るように提案され、そのまま朝を迎えることも珍しくなかった。
それを、周囲はご寵愛を受けていると勘違いしているのだ。
当然ながら、星貴妃と夜を過ごすことに対し、紘宇は面白くないと言う。
しかし、游峯も一緒で、何も疚しいことはしていない。ただ、一緒に眠っているだけだと説明すると、渋々許してくれた。
「というわけで、珊瑚様が星貴妃様のもとに通っていると、噂になっているみたいで」
「どうして、こうなったのか……」
ヒソヒソ話をしながら、星貴妃の寝屋を目指す。
星貴妃の懐妊かと噂されその相手が珊瑚だという、思わず前かがみになりそうな話であったが。珊瑚は頭を振って美しく歩くことを心掛け、背筋を伸ばして前を進む。
正体不明の姫君の訪問であったが話が通っていたのか、女官に止められることなく寝屋の中に入れた。
星貴妃は膝にたぬきを乗せ、寝椅子に腰かけ寛いだ姿でいた。
「珠珊瑚、ただいま参上いたしました」
「ようやく来たか」
今日も星貴妃は美しい。
青の布地に銀糸で百合が刺された華服を纏い、左右の髪を三つ編み結い、冠のように頭部に巻き付けている。翡翠玉の簪を挿し、端は流蘇と呼ばれる金の花に房が垂れている髪飾りを挿していた。
眩いばかりの美妃を前に、女装を晒すことはおこがましい。珊瑚は絶望すら感じながら思ってしまう。
「どうした?」
「い、いえ」
「どれ、姿を見せてみよ」
「う……はい」
その前に、紺々と游峯は下がるように命じられる。御簾の向こう側へと、下がって行った。
星貴妃と二人きりとなった状態で、珊瑚は頭から被っていた布を取り去る。
「――ほう」
星貴妃は目を細め、口元には弧を浮かべる。
表情だけでは、何を思っているのか感じ取れない。果たして、合格点はもらえるのか、珊瑚は気が気ではなかった。
武芸会は明日である。
今日まで女性的な身のこなしを叩き込まれ、裾の長い華服を纏った状態での戦闘訓練を積んできた。
正直、見た目に関して自信はない。
贅をつくした華服や紺々の施してくれた化粧は完璧であるが、素材である珊瑚は女性的な美しさからほど遠い。
じっと、星貴妃は珊瑚を見ている。緊張から、ドッと汗が噴き出ていた。
沈黙に耐えきれず、評価を急かすように話しかけた。
「ひ、妃嬪様……い、いかがでしょうか?」
「美しい。実に、美しいぞ」
立ち姿に、華服を纏った姿は完璧だと評される。珊瑚はホッとひと息ついたが、即座に星貴妃より厳しい目が向けられていることに気付いた。
「一つ、お主に足りぬものがある」
「えっと、それは?」
団扇で口元を隠しながら、星貴妃ははっきりと言う。
「自信だ。お主には、自分がこの世で一番美しいという自信がない」
妃に選ばれる者は、皆自信がある。
それがなければ、付け込まれる隙となるのだ。そう、星貴妃は指摘する。
それは、自覚していることであった。痛いところを的確にグサリと突かれる。
「私は、どうすれば、いいのか……」
「なあに、簡単なことよ」
「そ、それは?」
珊瑚は星貴妃に藁にも縋るように質問する。
どうすれば自信が持てるのか。
星貴妃は目を細め、嫣然と微笑みながら述べた。
「汪紘宇を誘惑するのだ」