六十五話 珊瑚、女装までの道のり
星貴妃の身代わりをすることになった。珊瑚は一人で頭を抱える。
物心ついたころからスカートではなくズボンを穿き、庭を駆けまわっていた。
兄達同様に剣を振り出した時から、誰も珊瑚に女性らしくするようにと言わなくなった。
おかげさまで、ドレスやワンピースを着た記憶はない。
そんな珊瑚の告白を聞いた星貴妃は背中を優しく摩る。大丈夫と、耳元で囁きながら。
星貴妃は秘密裏に命じる。
「尚服部の者に、とっておきの服を用意させよう。後宮一の美妃にしてやるぞ」
「そ、そんな。もったいないです」
「お主は背が高いから、私の服は合わないだろうが。それに、各後宮の実力を示す武芸会で、安物の服なんかで行ったりしたら、他の妃から馬鹿にされるぞ」
星貴妃の言葉に、ドクン! と胸が嫌な感じに高鳴る。
珊瑚の一挙一動が、星貴妃の評判に繋がるのだ。
「わ、わたし、やっぱり無理です! 優雅なふるまいなんて、できませんし!」
「挑戦する前に、無理だと言うな」
そのとおりだと思った。しかし貴人らしい優雅な物腰でいることなど、紘宇を倒すことよりも難しい。珊瑚はボソボソと小声で呟く。
「まさか、女装をすることになるなんて――」
思わず、紘宇のほうを見てしまった。目が合うと、サッと逸らされてしまう。
やはり、紘宇は女性の姿をした珊瑚に興味がないのだ。余計に、泣きたくなった。
じわりと、瞼が熱くなっていく。
しかし、命じられたからにはやらなければならない。
礼儀作法は麗美が担当してくれることになった。とりあえず、身のこなしは習えることがわかったのでホッとする。
「よし。今日は解散とする。珠珊瑚と翼紺々、たぬき、煉游峯のみ、私の寝屋へ来るがよい」
「待って。なんで僕はたぬきよりあとに呼ばれるんだ?」
「知らなかったのか? お主の序列はたぬきの下だ」
「なんだって!?」
游峯はまさかの事実に衝撃を受ける。
「たぬきは私の『名誉愛玩動物』だ。ほれ、ありがたく崇めるがよい」
星貴妃はたぬきを愛おしげに抱き上げ、頬ずりしたあと游峯に差し出したが――サッと後退した。そして、叫ぶ。
「たぬきのほうが偉いなんて信じない!!」
游峯はジロリとたぬきを睨んだ。事態を理解していないたぬきは、首を傾げるばかりである。
「とにかく、解散だ」
星貴妃がパンパンと手を叩くと、女官と紘宇は去って行く。
珊瑚は紘宇の背中を切なげに眺めていた。
◇◇◇
寝屋に呼び出したのは、服の寸法を測るためだった。
紺々は尚服部にいたこともあったので、採寸もお手の物だったのだ。
「翼紺々の職歴を記憶していてな。評価も、採寸だけは上手いとあったから」
「き、恐縮です」
ちなみに、紺々は大変不器用で、手先を針で刺しまくり、傷だらけにしてしまったらしい。
真っ赤に染まった布は、今でも尚服部の伝説になっている。
衝立の外に游峯を追い出して、採寸を行う。
「これ、僕は来る必要はなかったんじゃ……?」
「お主の仕事は見張りだ。役目を果たせ」
「わかったよ」
星貴妃はどっかりと床に座り、団扇で珊瑚を差しながら指示を出す。
「きちんと測らねばならぬから、服は全部脱げ」
「……はい」
風呂や着替えの世話で素肌を晒すことに慣れている貴族令嬢ならば恥ずかしくなかっただろうが、珊瑚は物心ついたことからなんでも自分でしていた。よって、脱げと言われて盛大に照れてしまう。
男装姿では、きちんと採寸できない。腹を括らないといけなかった。
帯を取って一枚、一枚と脱いでいく様子を、星貴妃は良い見世物として楽しんでいるように見えた。
胸には包帯を巻いている。
「それは、苦しくないのか?」
「はい。慣れました」
「そうか」
包帯も、ハラハラと解いていった。
一糸乱れぬ姿になると、星貴妃は目を見張る。
「陶器のような美しい肌だな。羨ましい」
「あ……はい。ありがとう、ございます」
露出している部分は日焼けがあり、体のあちらこちらに傷が残っている体だが、星貴妃には美しく映ったようだった。
ここで背中の刺青を思い出し、自らの体を抱きしめながら後ずさる。
「ん、どうした?」
「い、いえ、なんでもありません」
「何か隠すような動きだったぞ」
背中の刺青を隠すための行動であったが、却って不審に映ったようだ。
事情を知る紺々は苦笑していた。女官である彼女は自分から星貴妃に話しかけるわけにはいかないので、黙っているようだ。
星貴妃は立ち上がり、珊瑚に詰め寄って来る。
「どれ、隠しているものを見せてみろ」
「いいえ、何もございません」
「いや、何かある!」
衝立から出ると游峯に裸を見られてしまう。よって、逃げることはできない。ズンズンと大股で接近する星貴妃から逃げられずに、珊瑚は捕まってしまった。
背けた瞬間に、珊瑚が隠している物は背中に刺された庚申薔薇を見られてしまった。
「なんだ、これは?」
「我が国の、武人の誉れです」
シンと、部屋の中が静まり返る。
母親に傷物扱いされるきっかけになった刺青を、見られたくなかったのだ。
星貴妃の顔を見ることができずにぎゅっと目を閉じたが、反応は想定外のものであった。
「――美しい。なんだ、こんな物を持っていたなんて、何故今まで黙っていた?」
「え!?」
「これは、とても珍しく、さらに縁起のよい花で、貴婦人は皆愛している花だ」
「そう、なのですか?」
「ああ」
華烈には体に絵を彫るという技術はないらしい。珊瑚の花を羨ましがっていた。
「しかし、とても痛くて……オススメはしません」
「ふむ。そうなのか」
どうなっているか気になっていたのか、つと指先で触れる。
「ひゃあ!」
「質感を確認しているだけだ。変な声を出すな」
「す、すみません」
その後も、星貴妃は刺青の薔薇を熱心に観察していたが、珊瑚がくしゃみをしたので中断となった。
「今度、ゆっくり見せてくれ」
肌を晒すのは大変恥ずかしいことであったが、星貴妃の言うことは絶対である。
珊瑚には「はい、妃嬪様」と返事をすることしか許されていなかった。