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六十三話 珊瑚の気持ち

「どうかしたのか?」


 ぼんやりと紘宇を眺めていたら、訝しげな様子で質問される。

 珊瑚は首を横に振って、ある願いを口にした。


「あの、こーう」

「なんだ?」

「お隣に、座ってもいいですか?」


 紘宇の眉間の皺がぎゅっと寄ったあと、好きにするようにと言われる。珊瑚はたぬきを抱いて、喜んで傍に寄った。


「では、お邪魔します」


 出窓の縁はそこまで広くない。しかし、密着して座るのは恥ずかしいので、たぬきを間に置いた。


「何が楽しいのだ?」


 どうやら、無意識のうちに笑みを浮かべていたらしい。紘宇に指摘されて気付く。


「今日は、こーうとあまり一緒にいられなかったので、嬉しくって」


 游峯のことで大変な一日だったが、紘宇を見た瞬間に疲れも吹っ飛んでしまった。珊瑚は嬉々として語る。

 たぬきも嬉しいようで、前脚でちょいちょいと紘宇の腿に触れている。

 それに嫌な素振りを見せず、紘宇はたぬきを撫でていた。


「くうん~」

「良かったですね、たぬき」


 撫でてもらって満足したのか、たぬきは出窓の縁から跳び下りて寝室のほうへと駆けて行った。


 ここで、珊瑚もたぬき同様に撫でてもらいたいと思う。

 たぬきと同じことをして、撫でてもらえるだろうか。紘宇を見上げる。


「なんだ?」

「い、いえ」


 とても、撫でてほしいとは言えない。恥ずかしいことだった。

 たぬきみたいに小さくて可愛かったら、目が合っただけでも可愛がってもらえるだろう。

 しかし、珊瑚は紘宇と身長がほとんど変わらず、華烈の女性と比べてずいぶんとガッチリしていた。欠片も、可愛らしい点はない。


 腕を組み、真剣に思い悩んでいたが、ここで想定外の事態となる。

 紘宇が珊瑚の頬に手の甲で触れながら、話しかけてきたのだ。


「難しい顔をして、何を考えているんだ」


 触れられた瞬間、珊瑚の頬は食べ盛りの桃のような色になる。火で炙られているように、どんどんと顔全体が熱くなった。


「あ、いえ、あの……」


 可愛がってもらえる方法など、今まで武芸の上達だけを考えて生きてきた珊瑚が知る由もない。

 だったら、紘宇に聞くしかないのでは?

 そう思い、勇気を振り絞って聞いてみた。


「えっと、その、どう……」

「どう?」


 紘宇は言葉に詰まる珊瑚の顔を覗き込む。余計に、緊張してしまった。


「はっきり言わないとわからない」

「はい。はっきり言います」


 大事なのは勢いだろう。そう思って、息を大きく吸い込んで言った。


「ど、どうやったら、こーうに、可愛がってもらえるのかと、一生懸命、考えていました!」


 珊瑚の告白を聞いた紘宇は、双眸を丸くしていた。

 可愛がってもらいたいなんて、はしたないことだったのかもしれない。珊瑚は火照った頬を冷たい指先で冷やす。

 顔を背けていたが、紘宇はぷっと吹き出す。


「なんだ、そんなことで悩んでいたのか」

「そ、そんなことって」


 紘宇は「そんなこと」だと一言で片付けていたが、珊瑚にとっては重要な悩みである。

 じっと、睨むように見た瞬間に、引き寄せられる。


「――わわっ!」

「色気のない反応だな」


 色気とは?

 珊瑚の中に新たな疑問が生まれる。

 そんなことよりも紘宇に抱きしめられているということに照れてしまい、今はそれどころではない。


 背中にあった手は頭に移動し、優しく撫でてくれる。


「こーう……」


 世界でただ一人だろう。こうして、珊瑚を優しく抱きしめてくれる人は。

 気持ちが高まって、ぽつりと母国語で呟く。


『……Ich liebe dich sehr.(あなたのことを、とても、愛しております)』


 その瞬間、紘宇は珊瑚の肩を掴んで離す。

 驚いた表情で見つめられる。

 異国の言葉で愛を囁いたのだ。紘宇が意味を知るはずはない。そう思っていたが――。


「あ、あの?」

「そういえば、言っていなかったか」


 ポツリと呟く言葉に、首を傾げる。何を言っていなかったのか。


「私は、以前よりお前の祖国語を勉強していた」

「へ?」

「前に、私を母だと呼んだことがあっただろう? あれは華烈の言葉ではなく、お前の国の言葉だった」

「ど、どうして?」

「ただ単純に、知りたかっただけだ。いずれ、どちらの国の言葉でも話せたらと思って、覚えていた」

「こーう……」

「まだ、完璧に喋れるわけではないがな。聞き取った言葉は、まあ、だいたい理解できる」


 珊瑚は口元を両手で覆う。

 とても、これ以上なく光栄で、嬉しいことだった。

 しかし、今、判明してほしい事実ではなかったことは確かである。


 紘宇は珊瑚の国の言葉を解している。つまり、先ほどの愛の告白は伝わっているということであった。


 珊瑚はあたふたと立ち上がって距離を取ろうとしたが、すぐさま紘宇に腕を取られてしまう。


「わっと!」


 くるりと体は回転し、紘宇の腕の中にすっぽりと収まった。

 そして紘宇は、目を吊り上げながら問う。


「どうして逃げる?」

「そ、それは……!」


 最大級の照れと羞恥が珊瑚に襲いかかっていたのだ。その事情を口で説明するのはいささか難しい。


 もう、逃げられない。紘宇に捕まってしまった。

 顔を見上げると、目は吊り上がっていなかった。優しく細められている。


「……嬉しかった」

「え?」

「先ほどの、言葉の話だ」

「あ、はい」


 そして、耳元で囁かれる。

 その言葉は、先ほど珊瑚が異国語で言った言葉とまったく同じだった。


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