六十一話 游峯の大変な秘密 その二
游峯は実に悔しそうな表情で話し始める。
「僕は、見ての通り、最低最悪の貧乏な家に育った」
兄弟は十名いて、母親は早くに他界。父親はぐうたらで、寝てばかりだった。綺麗な水すら飲むことができず、泥水を啜るような毎日を過ごしていたらしい。
当然ながら、働き手のいない貧乏一家に食べ物はない。
「毎日、毎日、その辺の草とか、花とか食べるんだ。植物がない冬の間は――」
眉間に皺を寄せ、屈辱を顔色に滲ませながら言葉を振り絞る。
「通りすがりの金持ちに、食べ物を恵んでくれと物乞いをした」
自尊心が許さない行為であったが、空腹状態となるとそれすら保てなくなっていた。
春から秋にかけては地面を這って食べられる野草を探し、冬は物乞いをする。
そんな日々を過ごす中、游峯の兄弟はどんどん死んでいく。
いつか自分もこうなるのではという恐怖に、じわじわと支配されていった。
十一歳の冬に、転機を迎える。
物乞いをした相手が、閹官の人事担当者だったのだ。
「そいつが僕に言ったんだ。閹官になったら、高給取りになって、飢えることもないと」
その当時、兄弟は游峯を除いて二人になっていた。死んだ者もいれば、ある日突然いなくなる者もいる。
父親は養子に出したと言っていたが、羽振りがよくなっていることから、兄弟を売っていたのだと薄々気付いていた。
今度は自分の番かもしれない。
危機感を覚えた游峯は閹官になることを決意し、家を飛び出した。
「閹官になるために犠牲が伴うことを、僕は知らないまま連れて行かれた」
そして、当日に説明を受ける。
閹官になるには、生殖機能を失う施術を行う必要があると。
「驚いたよ。こんなに残酷なことが行われているなんて、知らなかったから」
閹官のための病院は、劣悪な環境だった。
生殖機能を失った物達が痛みを我慢できずに泣き叫び、地獄絵図と化していた。
血が止まらない。苦しい。殺してくれと、悲痛な声が耳に残って離れなかった。
游峯はだんだんと怖くなり、一度逃げ出そうとした。しかし、それも叶わなかった。途中で捕まってしまったのだ。
閹官は人手が十分ではなく、処置後は働けなくなる者も多い。一度やってきた者の辞退は許さず、何があっても施術は行うようだった。
しきりに、断末魔のような叫び声が聞こえる。
わざわざ聞かなくても、生殖機能を失う施術を行っていることは明らかであった。
「さすがの僕も泣き叫んで嫌だと言った。でも、ここまで来たらあとは引き返せないと、鬼の形相で言ったんだ……」
そして、とうとう游峯の番が訪れる。
作業台の上にあったのは、大振りの斧だった。
「僕の短い生涯の中で、あの日ほどゾッとした日はないね」
斧には血がこびりついていた。きちんと丁寧に手入れされたようにはとても見えない。
よくよく見たら、刃は錆びている。
おそらく、一撃で斬り落とすことは難しいだろう。游峯は戦々恐々としながらも、周囲の状況を冷静に見ていた。
部屋にいるのは、執行人の男だけ。
紹介した者は報酬を受け取り、いなくなった。
どうすればこの場を切り抜けられるのか、游峯は必死になって考える。
しかし、現実は残酷で、施術を行う瞬間はすぐに訪れてしまった。
「無理矢理全裸にされて、作業台の上に乗せられて――」
執行人の手によって、斧が掲げられる。
ここで、游峯は叫んだ。
「執行人に言ったんだ。僕の給金を半分あげるから、見逃してくれと」
怖くて、怖くて、怖くて怖くて。游峯は何も考えずに、保身の一心で交渉を持ちかけた。
執行人は首を横に振った。游峯は食い下がる。
「しきりに、紹介した奴が言っていたんだ。僕は綺麗な顔をしているから、お偉方に媚びを売ったら、きっと、愛人になれると」
話を聞いた当初はしようもない話だと思っていた。しかし、交渉を持ちかける時、その話が役に立ったのだ。
「僕はきっと偉い人の愛人になって、大金を得る。そうすれば、旨味があるんじゃないかと」
游峯の美貌を今一度確認した執行人は、その提案に乗った。
「と、いうわけで、僕は生殖機能を失わずに、閹官を続けることができている」
ちなみに、愛人云々はその場しのぎの嘘だったので、実行する気はまったくなかった。
「でも、何もしなくても、向こうからやって来るんだよね」
游峯の美しさは噂となって一人歩きして、数多くの好き物の注目の的となった。
しかし、呼び出されて参上することはあっても、要求に応えることは一度もなかったらしい。
「何が嬉しくて、オッサンの愛人にならなければならないのか、ってね」
そんな振る舞いを繰り返していたら、游峯は問題児扱いされてしまう。
「その結果、使えない者の寄せ集めの部隊に配属されたと」
游峯は異動について、気にしていなかった。三食食事が食べられ、寒くない寝所があったらどこでも良かったのだ。
「話は以上。満足した?」
「事情はわかった」
「言っておくけれど、あんたの相手もごめんだからね」
「ふふ……」
男嫌いの星貴妃はもとより、そのような関係は望んでいない。それらの事情は游峯に話すつもりはないらしく、嫣然と微笑むばかりであった。
そんな星貴妃の態度を、游峯は警戒している。
「僕の体は、僕の物だ!」
「なるほどな」
「権力にも、屈しないから」
「ふむふむ」
星貴妃が真面目に応じないので、游峯は悔しそうにしていた。
珊瑚はオロオロと、双方を見守るばかりである。
「煉游峯よ。一点だけ、申したいことがある」
「何?」
「珠珊瑚についてだ」
星貴妃はここで、交換条件を挙げた。
「もしも、珠珊瑚の秘密を口外したら、私はお前の秘密を暴露し、即座に閹官になるための処置を行うよう命じる」
「なっ!!」
それは、重すぎる口止めの枷であった。
「でも、なんで彼、じゃなくて、彼女は女が男の振りを……?」
「それはだな」
星貴妃は珊瑚の手を引き寄せる。
背中から抱きしめ、豊かな胸を薄い寝間着の上から怪しい手つきで掴んだ。
「ひゃっ!」
可愛らしい声をあげる珊瑚と、堂々と胸を揉む星貴妃を見た游峯はぎょっとする。
「こういう関係だからだ」
「は!?」
もちろん、嘘である。しかし、星貴妃は慈しむように珊瑚を見つめていた。演技は迫真に迫っている。
游峯はすっかり信じてしまった。
「そ、そうか。だったら、大丈夫か……」
星貴妃は女性が好きなので、襲われる心配はない。
游峯は安心しきったように呟いている。
珊瑚は一人、どうしてこうなってしまったのだと、涙目になっていた。