六話 秘め事
「えっ、ひゃっ、あれれ!?」
男性だと思っていた人物が、女性だった。
猛烈に混乱しているような様子の紺々。
「さ、ささ、珊瑚様、は、男の人、じゃない!? な、なんで!?」
我を失った彼女は、とんでもない行動に出る。
そろりと珊瑚に手を伸ばし、白くまろやかな胸をむぎゅっと握ったのだ。
「んっ!?」
「へっ、や、柔らか!! に、偽物じゃ、ない!!」
互い、驚き顔になる二人。
珊瑚も胸を揉まれて絶句し、混乱していた。けれど、華烈独自の身体検査かと思い、大人しくしていたのだ。
一方で、紺々はいまだ混乱状態でいる。
「こ、これ、は……わ、私のと、ぜんぜん違……じ、じゃなくって!!」
紺々はやっと我に返り、胸から手を離す。顔を真っ赤にして、ふるふると震えだした。
謝ればいいのか、驚けばいいのか。言葉が出てこず、珊瑚を指差して口をパクパクとさせている。
「?」
一方、珊瑚は紺々の動揺の理由をわからないでいる。
まさか男と思われていて、女と判明して驚いているとは、夢にも思っていなかった。
落ち着くように、頭をそっと撫でる。
「きゃあ!!」
紺々は触れた途端ビクリと反応し、悲鳴をあげる。
珊瑚は驚き、戦慄いている少女の唇に、自らの人差し指を当てた。大きな声を上げると、何か罰を受けてしまいそうだと思ったからだ。静かにしたほうが良いと、行動で示す。
紺々は唇に触れられて、余計に赤くなる。
「あっ、うっ、その、す、すみません!」
顔を逸らし、紺々は椅子の背にかけてあった包帯を差し出す。
「こんこん、ありがと、ございマス」
礼を言いながら受け取って、慣れた手つきで胸に包帯を巻く。紺々はその様子をじっと眺めていた。途中、ハッと何かに気付いたような表情を浮かべる。そして、包帯を巻いた珊瑚に、恐る恐る問いかけた。
「さ、珊瑚さん、もしかして――」
「ン?」
「男性と偽って、牡丹宮へとやって来たのでしょうか?」
「男、みたい?」
「はい、その、見た目は完全に男性です。まさか、男装をされていたなんて……」
紺々は勘違いしていた。
珊瑚がなんらかの目的で性別を偽り、牡丹宮へやって来ていると。唇に手を当てる行為が、秘め事だと告げていると思ったのだ。当然、珊瑚は勘違いを知る由もない。
「あの……こんこん」
「大丈夫です! 私、他の人には黙っていますので!」
紺々はだんだんと早口になり、珊瑚は言葉を聞き取れなくなる。
「私、馬鹿なので、小難しい内情とか理解できないので聞きませんが、口は堅いんです! 絶対に、喋りませんので!」
もう一度聞こうとしても、紺々は「大丈夫、大丈夫です」と呟くばかりであった。
ここで互いに年齢の確認をする。
珊瑚は二十歳。紺々は十九歳。意外にも年が近いことが発覚して、互いに驚く。
「この国、女性、凄く、小柄デス。もっと若い、と、思い、マシタ」
「珊瑚さんの国の女性はいろいろ大きくって、大人っぽいんですね」
紺々は胸元に視線を移し、自身の貧相な胸を撫で、はあと落ち込んだように溜息を吐く。
「そういえば、汪内官はご存知なのですか?」
「こーう?」
「えっと、はい。汪内官は、珊瑚さんが性別を偽っていることを、ご存知なのかなと」
珊瑚は言葉を上手く拾えず、何か情報を偽っているのかという意味に取る。特に何も隠し事はないので、ふるふると首を横に振った。
「わかりました。私と珊瑚様だけの、秘密なんですね!」
またしても早口で上手く聞き取れなかったが、仲良くしようという雰囲気は伝わった。
珊瑚はこれからよろしくと、挨拶を返す。
爽やかな笑顔を前にした紺々は、カッと頬を紅く染めていた。
「え、えっと、お近づきの印、にはならないかもしれませんが……」
紺々は腕に巻いていた結び紐を外す。赤い糸で結われたそれは、花のような模様に見える。
それを、珊瑚の腕に巻いたのだ。
「これは、椿結びという吉祥模様でして、魔除けの意味のある結び方なんです」
どうかこの後宮で上手くやれるようにと、願いを込めて贈ると笑顔を浮かべて話をする。
「これハ?」
「翼家に伝わるお守りです。」
「くれるの、ですカ?」
「はい!」
「あ――私は、何も、持っていナイ、デス」
「どうぞ、お気になさらずに。結び紐は他にも持っていますので」
「ありがとう、こんこん」
にっこりと、爽やかな笑みを浮かべ珊瑚は拙い礼の言葉を口にする。紺々は頬を赤らめながら、言葉を返す。
「い、いえ……」
しばらくぼんやりと珊瑚の顔を眺めていた紺々であったが、ハッと我に返るように跳び上がり、寝台の上に並べていた服を掴む。
「すみません、お着替えをいたしましょう」
「ハイ」
珊瑚は紘宇の服を纏う。偶然にも、寸法はぴったりであった。
「はあ、珊瑚様……お美しい……。白いお肌に、青い布がよく映えますね」
首を傾げる珊瑚に、紺々は身振り手振りで美しさを称賛していたが、あまり伝わらず、双方苦笑いをする。
金色の三つ編みを解き、丁寧に櫛を入れると、油のような物を髪に塗られる。
「こんこん、髪、何を塗って、マス?」
「櫨蝋です。髪型が崩れないように、塗らせていただいております」
「そう、なんですね。匂い、不思議、デス」
「香料の匂いですね」
しっかりと櫨蝋を塗り込み、髪型を整える。頭のてっぺんで一つ結びにしてお団子状にして、上から帽子を被せた。
「これで身支度は完成ですが、さすがに靴は合わないみたいですね。それに下着なども……」
「ええ……」
「下着は、父に頼んで用意しておきますね! 採寸は、私がしたほうがいいかもしれません。お体に触れたら、女性だとバレてしまうかもしれないので」
「……ハイ?」
幸い、紺々は尚服部に所属していた期間は長く、その仕事の中でも採寸だけはまともにできると言う。
巻き尺を借りに行き、採寸を行った。
「では、こちらの採寸の情報を尚服部へ持って行ってきます。服は一週間ほどで完成するかと」
「では!」と元気の良い言葉を残して、紺々は部屋から去って行く。
一人取り残された珊瑚は、椅子に座って目を閉じた。
静かな部屋が、妙に落ち着かない気持ちにさせてくれる。
言葉は半分も理解できなかった。
服を着ただけなのに、文化の違いを感じてしまい、この先やっていけるだろうかと不安に思う。
幸い、傍付きの女性、紺々は親切な女性だった。多少、そそっかしい印象はあるが、良い娘だと思っている。
一つ年下なのは大変驚いた。女官の女性達も皆二十歳前後だと教えてもらったので、さらに度肝を抜かれる。
皆、十四、五の少女にしか見えなかったのだ。
これも、異国の不思議なのだと思う。
着ていた近衛兵の制服は、紺々が綺麗に畳んでどこかへと持って行ってしまった。
別に、制服に特別な思いなどない。
けれど今、私物を何一つ持つことなく、異国の地にいるということを、不安に感じてしまった。
せめて、祖国の職人が鍛えた剣でも手元にあればいいと。没収したメリクル王子の剣は返してもらえるだろうかと、ぼんやり考える。
すぐに、無理だろうという答えが浮かんできた。
なんとなく手首を掴めば、先ほど紺々が巻いてくれた結び紐に触れる。上手く聞き取れなかったが、縁起の良いお守りと言っていた。
どうか、この先、大きな事件が何も起きませんようにと、祈りを込める。
切実な願いであった。
物思いに耽っていると、誰かが部屋に入って来た。
「おい、珠珊瑚はいるのか?」
紘宇の声であった。
珊瑚は立ち上がり、居間に移動する。
「こーう、お帰り、ナサイ」
寝室から居間に移動し、出迎えれば、ポカンとする紘宇。
珊瑚は服を貸してもらったことを思い出し、お礼を言う。
「服、ありがとう、デス。ぴったり」
いまだ、紘宇は目を見開いていたままだったので、再度名前を呼べば反応を示す。
「印象が違ったから、驚いただけだ。華服を着ていれば、そこそこ見られるようになる」
「うん?」
「わからなかったのならば、いい」
紘宇は手先をひらひらと動かし、一人掛けの椅子に座る。
「説明をしたと思うが、お前は私と同室だ。もう一人、監視役の内官を呼ぼうと思っているが、星貴妃が許すかどうかわからん」
「ここは、男、こーう、だけ、デス?」
「そうだ」
その理由が語られる。
「星貴妃が全員腐刑にしたんだ」
「ふけい……男、性器、分断、デス?」
「ああ」
すべて、星貴妃と口を聞いただけで、そのようになったのだと言う。
「お前も気をつけることだな」
具体的に、何に気を付ければいいかわからなかったが、神妙な面持ちで頷く珊瑚であった。