五十七話 星貴妃の新たな愛人? その五
「くうん、くうん」
「お、おい、この狸、なんか言っているけど!」
「たぶん、ゆーほうと仲良くしたいのだろうと」
「お、お断りだから! ねえ、通訳して伝えて!」
焦り過ぎて、珊瑚におかしなことを言っていることに游峯は気付いていない。
たぬきは游峯の胸に手を当てて立ち上がり――。
「う、うわっ、近付くな、わっ……」
顎をペロリと舐めた。
「わ~~~!!」
たぬきは游峯が喜んでいると思って、尻尾を振っている。
「なんだ、騒がしい」
「いや、この狸が――ギャアアアア!!」
游峯は執務室からやって来た紘宇の顔を見て、悲鳴を上げた。
珊瑚は慌てて游峯の膝からたぬきを持ち上げて脇に抱えると、落ち着くように背中を撫でる。
「大丈夫です。こーうは怖くない、怖くない、たぶん」
「うわっ、今、たぶんって言った!」
「何を馬鹿なことを言っているのだ」
辛辣な指摘をする紘宇。一方で、游峯は涙目になっている。
「おい、珊瑚。もしや、こいつが新しい宮官なのか?」
「はい、そうです」
「……」
紘宇は値踏みするような視線を向けている。
ここで、女官が茶と茶請けを用意したようだった。
「一度、お茶を飲んで落ち着きましょう」
卓子の上には小皿に置かれた数種類の茶請けが置かれる。
炒った南瓜の種に、無花果、桃、葡萄などの蜜餞、茶梅と呼ばれる梅の加工品など。
女官がガラスの茶器で茶を淹れていた。
まず、茶壺に湯を入れて温め、この湯を茶杯に注いだ。同様に温める。
茶壺に茶葉を人数分入れて、湯を注いだ。
「この、茶葉が開く瞬間がたまらないですよね……。とっても綺麗です」
珊瑚はうっとりしながら、ガラスの茶壺の中でゆっくりと開く茶葉の様子を眺めていた。
祖国のポットは陶器製で、このように茶葉の様子を見ることはできないのだ。
「黄大茶、でございます」
蜂蜜色の茶は、茶葉の中でも高級品とされる黄茶である。
黄大茶は香り高く、味わいは甘くすっきりとしていて、飲みやすいのが特徴だ。
続いて、新たな菓子が運ばれてくる。
「こちらは、星貴妃様より、煉游峯様様への歓迎のお菓子でございます」
卓子の上に置かれたのは、白玉団子にきな粉がまぶされた菓子である。
游峯はじっと見つめたあと、意を決したように串に刺して一口でパクンと食べていた。
食べた瞬間、目がカッと見開く。続けて、二個、三個と食べていた。恐らく、美味しかったのだろう。
珊瑚も戴くことにする。
「――わっ!」
白玉団子の中には、胡桃入りの餡子が入っていた。甘く香ばしい、上品な味わいの菓子である。
「ゆーほう、これ、すっごくおいしいですね!」
「え? まあ、そうだね」
素直ではない游峯も、歓迎の菓子は気に入ったようだ。
ここに来るまで張り詰めた様子だったが、美味しい茶と菓子で癒されたように見える。
「煉游峯と言ったか」
紘宇が腕を組み、游峯に話しかけた。ビクリと、游峯の肩が揺れる。
緊張の面持ちで紘宇を見ると、コクリと頷いていた。
「ここでは、皆、さまざまな役職に就いている」
愛人だからといって、贅沢三昧な暮らしができるとは思うなと、鋭く釘を刺していた。
「お前には、星貴妃の護衛を命じる」
游峯が嫌そうな表情を浮かべると、紘宇は別の職務に就くかと問いかけた。
「残っている役職といったら、『たぬきの第一秘書官』しかないが」
「くうん!」
珊瑚が抱くたぬきが、嬉しそうに手足をバタつかせていた。
しかし、游峯はもっと嫌そうな顔付きとなる。
「た、狸の秘書とは?」
「一日中、たぬきの相手をするだけの簡単なお仕事だ」
「それは嫌だ!あ、いや、じゃあ、星貴妃の護衛で」
「たぬきの秘書官は名誉な仕事だぞ?」
「いや、星貴妃の護衛で」
「ふむ、わかった」
紘宇は立ち上がり、游峯の首根っこを掴んで言った。
「今から稽古をつけてやる。実力を、確認させてもらうぞ」
「え!?」
「行くぞ」
紘宇に引きずられ、游峯は部屋からいなくなる。
酷く怯えていたが、大丈夫なのか。
珊瑚は游峯の心配をしつつも、紘宇の訓練ならばきっと強くなれるだろうと信じていた。
◇◇◇
武芸会の準備が進んでいるのは、牡丹宮だけではない。
――木蓮宮。
淑妃の位を持つ、景紅華は武芸会にまったく興味を持っていなかった。
「景淑妃、いい加減、武芸会に参加する者を選んでください」
ぼんやりと、窓の外の景色ばかり眺めていた景淑妃は、美貌の第一内官清劉蓬の言葉をまったく聞き入れていない。
「景淑妃様!」
「あ、雪……」
やっと喋ったかと思えば、はらりと降る雪に反応を示したばかりであった。
清内官はがっかりと肩を落とす。
――鬼灯宮。
「おらぁ、野郎共、勝つぞ~~!!」
「ウオオオオオ~~!!」
物静かな景淑妃と違い、賢妃の位を持つ悠蘭歌は筋肉自慢の宮官、内官を集め、来たる武芸会に備えていた。
女官達の顔が青ざめているのは言うまでもない。
――蓮華宮。
「何か、忘れている気がするわ」
「なんでしょうねえ」
「でも、眠いから、寝る」
「それが一番ですよ~」
眼鏡をかけたおっとり内官、紅潤と、徳妃の位を持つ翠白泉は、武芸会のことなど忘れ、呑気に昼寝をしている。
――と、このように、四つの後宮はさまざまな様子を見せていた。