五十三話 星貴妃の新たな愛人?
牡丹宮の前にある庭園で発生した事件は、他の三つの後宮の妃達をも不安に陥れた。
外部からの侵入者を手引きする者がいるという、恐ろしいことが発覚したので無理もない。
武芸会『百花繚乱』の開催を中止にするように提案した妃もいるようだ。
しかし、後宮が発足して早くも一年が経ち、四名の妃の誰もが妊娠の兆しを見せていない。よって、刺激となる催しは必要なのではという声が上がっているようだ。
その代わり、いくつか決まりごとの変更が成される。
一つは、武器の禁止。
戦う時は己の拳のみ、ということになる。
二つ目は、負けた者は強制受け入れではないということ。
妃の希望があればということになった。
そして武芸会の前に、牡丹宮、木蓮宮、蓮華宮、鬼灯宮、四つの妃と愛人達を集め、宴を行うことが決まったようだ。
妃は武芸会同様、顔立ちがわからないように仮面を装着する。
他、連れていける愛人は武芸会に参加させる三名と書かれていた。
そんな一方的な通知が書かれた手紙が届いた。
星貴妃は寝屋に珊瑚と紘宇を呼び出し、いつもの通り寝台の上に招いて切実な問題を叫んだ。
「愛人が一人足りぬ!」
「く、くうん?」
星貴妃の膝で丸くなっていたたぬきが、大声に驚いてビクリと体を震わせる。
そんなたぬきを、星貴妃は持ち上げて言った。
「ふむ、なるほど。珠珊瑚と汪紘宇とたぬきか。よし、これで行くか」
「正気か!?」
愛人は珊瑚と紘宇とたぬき。
そんな決定に対し、紘宇は辛辣過ぎる言葉を叫んでいた。
「私が男装してもよいのだが、見物するだけの武芸会とは違い、交流を主とする宴は偽物を立てるのはいささか危険だ」
ここで、紘宇が提案をする。
「閹官を一人連れて行くのは?」
幸い、閹官は星貴妃を心酔している。
命じられたら、仮の愛人でも喜んでなるだろうと紘宇は話す。
「まあ、それしかなかろう」
「選考はどうする?」
「ふうむ……珊瑚」
「はい?」
「誰か、よい男は知らぬか?」
まさかの大抜擢に、珊瑚は驚く。先日、数人の閹官と顔を合わせたが、見目の良い者が数人いた。
星貴妃は紘宇のような男らしい美形よりも、線の細い女性的な美形が好きなのだろう。
よって、その条件に該当する人物は――。
「一人、います。女性のように、たおやかで、綺麗な閹官が」
「なんだと!?」
それに反応を示したのは、紘宇であった。
「お前は、そういう男が好きなのか?」
「あ、いえ、私ではなく、星貴妃様のお好みかな、と」
目をつり上げて追及していた紘宇であったが、珊瑚の言葉を聞いて大人しくなる。
小さな声で、「すまない」と謝っていた。
「信じがたいほど器の小さな男よの」
星貴妃の呟きは小さかったからか、傍にいたたぬき以外は聞こえていなかったようだ。
「では、珠珊瑚。その可憐な閹官をここへ連れてまいれ」
「仰せの通りに」
「汪紘宇は執務に専念しろ」
「分かっている」
星貴妃は溜息を吐き、「まったく可愛げがない」とぼやく。
「可愛げなどなくて結構」
「いいや、大事なことだ。なあ、珠珊瑚?」
「……」
珊瑚は不審な動きで星貴妃から顔を逸らす。
珍しく同意しなかったので、追及された。
「なんだ、お主には、汪紘宇が可愛く見えていると?」
「え、あの、ど、どうでしょう?」
「あの堅物の、どこが可愛い?」
「いえいえ、それは、人によって主観も違うといいますか」
「お主の前でだけ、甘い顔を見せるというのか?」
その言葉で、珊瑚はつい先日の髪の毛を触らせてくれている時の紘宇を思い出す。
慣れない行為に初めこそ顔が強張っていた。その後、呆れた顔をしたり、困った顔をしたりと、いろんな表情を見せてくれた。
「珠珊瑚?」
「あ、すみません」
「何をにやけておった?」
「ご、ごめんなさい」
ここで、紘宇が二人の間に割って入った。
「貴妃よ、珊瑚をいじめるな」
「なんだと?」
「涙目になっているではないか」
ジロリと星貴妃を睨みつける紘宇に向かって星貴妃は叫んだ。
「やはり、お主はまったく可愛くないぞ!」
「可愛いと思ってもらわなくて結構!」
紘宇は珊瑚の手を掴み、寝台から出る。
「あ、あの、妃嬪様、では、閹官の元へ、行ってまいります!」
最後、振り返った瞬間に星貴妃はたぬきの手を持って、左右に振っていた。
その姿はすぐに帳で隠れ、見えなくなる。
「あ、たぬきは――」
「たぬきは星貴妃に預けておけ」
手を繋いで星貴妃の寝屋から出てきた珊瑚と紘宇を、女官達は笑顔で迎える。
「なんだ?」
「いい~ええ~~、なんでもございません」
女官達は声を揃えて、首を横に振った。
ここで、紘宇と別れる。珊瑚は紺々を連れて、牡丹宮の外にある閹官の駐屯地に向かうことにした。
◇◇◇
牡丹宮の外に建てられた平屋建ての建物『白華殿』は、かつて、百名以上いた女官の生活の場となっていたらしい。現在の牡丹宮の女官は五十名もいない。よって、牡丹宮内の空いている部屋で暮らしている。
そんな白華殿は今、閹官達の駐屯地となっていた。
珊瑚はそこを訪問する。
長い廊下を進み、部隊長のいる執務室へと通された。
「突然の訪問を許してくださり、感謝します」
「いいえ。私達は星貴妃様の僕。その、宮官たるあなたは上官です。許可など必要はない」
「ありがとうございます」
閹官を纏める男――淀揚々の年ごろは三十代半ばくらいで、丸眼鏡をかけた柔和な男であった。
一見して、とても武官には見えない。
「何か?」
「あ、すみません」
不躾な視線を向けていたことを、珊瑚は謝罪する。その上で、考えていたことを素直に述べた。
「あの、お若いなと思いまして」
「若くありませんよ。こう見えて、四十代半ばですし」
「えっ!?」
思っていた年齢よりも、十歳以上も年上だった。これならば、多くの者を束ねる役職に就いていてもおかしくない。
「生殖器を取ると、どうしてかあまり老けないのです。顔付きも、女性的になります」
「な、なるほど」
「身体つきも丸くなって、女々しくもなります。もちろん、個体差はありますが」
閹官の特徴らしい。
「その代わり、老いは急に来る」
「はあ」
ここで珊瑚は、揚々より想定外の質問を受ける。
「もしや、あなたも持たざる者、ですか?」
持たざる者というのは、生殖器のことだろう。
揚々の目に珊瑚は女性的に映ったようだ。
女性だとバレないよう、肯定しておく。
「ええ、まあ、そんなものです」
「なるほど」
縁あって、星貴妃の愛人になれたと話す。
「いやはや、男嫌いの星貴妃様が新しく愛人を迎えたというので、一時期噂になっていたのです。そういうことだったのですね」
「まあ、はい」
愛人の話題になったので、本題へと移った。
「それで、ご相談なのですが――」
メリクル王子の襲撃事件のあった晩に見かけた、美しい閹官を一時的に愛人として迎えたい。それは、星貴妃の強い望みであると伝えた。
「あの日の晩、あなた方のもとに向かわせたのは――美しいほうであるというので、煉游峯、でしょう」
下町生まれで、自ら閹官になることを志望した者らしい。
「彼は武官として有名ですが、十六と年若く、少々高慢です。口の利き方も知らず、星貴妃様の愛人に向いた気質ではないと思うのですが……」
「一時期の愛人なので、その辺は問題ないかと」
もしかしたら、武芸会『百花繚乱』への参加も頼むかもしれない。その点も確認しておく。
「それは、問題ないでしょう。游峯は我が部隊で一、二を争う実力者なので」
「でしたら、是非ともお願いしたいなと」
「わかりました」
揚々は部下に游峯を呼んでくるようにと命じた。
数分後、やって来る。
「……何か?」
煉游峯は不機嫌な様子でやって来た。
腰までの長い髪を一つに結び、青い華服をきっちりと着こなしている。
長い睫毛が縁取った瞳は猫のようにパッチリしていて、鼻立ちは整っていた。背は珊瑚よりも低く、色白で華奢な体つきである。
以前見た時同様、美しいと珊瑚は思った。
「游峯、頭が高い。この方は、星貴妃様の宮官だ。今日はお前を愛人として、迎えようという話をしに来た」
「は!?」
游峯は珊瑚を睨みつける。
遠慮のない、傲岸不遜な眼差しであった。