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五十二話 珊瑚のお願い

 抱きしめた紘宇の体は強張っていた。まるで、珊瑚との間に見えない壁を築いているようである。

 それも仕方がない話であった。

 国と国、性別、身分、育ちなど、何もかも違う。すぐに、分かりあえるわけがない。

 これからゆっくり、時間をかけて理解し合えば良い。

 珊瑚は紘宇の背中を優しく撫で、二人の間を隔てるものを少しずつ溶かしていった。


「こーう、大丈夫です。これから、足りないものは二人で作っていきましょう。それでも足りなかったら、探せばいいのです。一緒であれば、見つからないものは、ないのですよ」

「珊瑚……」


 次第に、紘宇の力が抜けていく。

 珊瑚に身を任せ、また、抱き返してくれた。


「私が、お前に何ができるのか……何を、与えることができるのか……」

「今のままでいいです。環境が変わったとしても、こーうがいるだけで、私は幸せです」


 後宮生活も長くは続かない。

 星貴妃の覚悟を聞いた珊瑚はなんとなくそう確信していた。

 けれどどんな困難が訪れても、紘宇がいたら何事も乗り越えていける。そんな気がしてならなかった。


 だが、憂い事がまったくないわけではない。


「こーうは、私が何者でも、好きでいてくれますか?」


 珊瑚は性別を偽っている。

 今は良くても、きっとこの先ずっと男を演じることは難しいことだろう。二人の心と体が近付けば、いつかバレてしまう。

 もしも、紘宇が男性しか愛せない者だとしたら――この先どうすればいいのか。


 ただその一点が、珊瑚の心にポツリと影を落としている。


「お前は何を言っている? 私は、珊瑚の清い心と素直さ、努力を惜しまない姿……挙げればキリがないが、まとめたら生き様に惹かれたのだ。異国人であるということは、まったく気にしていない」

「……ありがとう、ございます」

 珊瑚の心を、在り方に好意を抱いたと言われて嬉しくなった。男だからというわけではないことに、ホッとする。

 しかし、珊瑚の言った「何者」を異国人であると勘違いしていた。

 女性と知った時、どういう反応を見せるのか。

 まだ、勇気がないので、伝えることはできない。

 今は二人で過ごす時間がただ幸せだった。しばらくは、この温もりの中で過ごしたいと思う。


「珊瑚」

「はい」

「何か、望みはあるか? とは言っても、この後宮の中で叶えられることはそう多くはないが」

「どうしたのですか、突然?」

「何か、してやりたくなったのだ」


 そう言って、紘宇は微笑む。

 久々に見た、穏やかな顔であった。

 誰にも見せることはない、珊瑚だけの笑顔である。


 紘宇はふいに、珊瑚を甘やかしたくなったらしい。


「え、あの、そうですね。どうしましょう……」


 急な提案に珊瑚は慌てる。

 紘宇にしてもらいたいことなど、山のようにある。

 二胡を弾いてほしいし、庭で茶を飲みたい。子どもの頃の話も聞きたいし、好きな食べ物とか、動物とか、質問攻めにもしたい。


「なんだ、それは」


 いろいろ挙げると、紘宇は不思議そうな顔をする。


「望みとは、服とか、櫛とか、菓子とか、そういうものだ」

「私は、こーうが欲しいのです」

「は!?」


 珊瑚の突拍子もない発言に紘宇は驚き、また赤面する。


「あ、思いつきました」

「な、なんだ?」

「髪の毛を触らせてください」

「なんだと!?」

「前から綺麗だな~、触りたいな~って、思っていたんです」


 華烈の者達は夜闇よりも暗い美しい髪を持っている。中でも、紘宇の黒髪はいっとう綺麗だと珊瑚は思っていた。


「お願いします、こーう。私の願いを叶えてくれると言いましたよね?」

「いや……まあ、どうしてもと、言うのならば」

「ありがとうございます」


 珊瑚は紘宇の手を両手で握り、喜んだ。その手はすぐに離される。


「お前な……、犬じゃないのだから、触れる時は、こう、情緒を大切にして」

「え?」

「いや、なんでもない」


 珊瑚はうっとりと、紘宇の三つ編みを見る。

 普段は一つに纏められて帽子の中に収まっているが、眠る時はこうして胸の前から垂らされているのだ。


「本当に、いいのですか?」

「好きにしろ」

「はい」


 珊瑚は慎重な手つきで紘宇の三つ編みに手を伸ばす。

 健康的な黒髪はツヤツヤしていて、絹糸のようだ。

 毛先に触れる。一本一本が太い珊瑚とは違い、細くてサラサラの毛質だった。

 三つ編みの毛先をぎゅっと握り、指先でなめらかな触感を楽しむ。


「こ、こーう、あの、髪の毛を、解いてもいいですか」

「……ああ」


 若干、紘宇が引いているのは感じていた。しかし、またとない機会である。

 こんなことなど、二度とないかもしれないので珊瑚は遠慮をしなかった。


 しっかりと結ばれた革の紐を外す作業に取りかかった。

 きつく結んであったので、解くのにひと苦労。


「これ、なんでこんなにきつく……」

「別に、普通に結んだだけだが」

「くっ……」


 紘宇が外そうかと声をかけたが、珊瑚は首を横に振った。


「大丈夫、です。苦労すればするほど、期待が、高まります」

「待て、待て。お前、おかしなことを言っているぞ。いったん落ち着け。おい、聞いているのか?」


 もはや、紘宇の制止なども耳に入っていなかった。

 男性が、女性の服を脱がすのは苦労するが楽しいという話を聞いたことがある。

 リボンとレースに包まれたドレスは、どこをどうして脱がせばいいのか解らない。頑張って脱がせたとしても、今度は無敵の要塞のような、コルセットを装着している。

 紐を解いていく作業は、最高に興奮すると珊瑚の性別を忘れていた同僚は熱く語っていたのだ。


 その時の気持ちを、今になって理解することになった。


 逸る気持ちが抑えられず手元が震えていたが、なんとか紐を解くことができた。

 頬を紅潮させ、紘宇に報告する。


「こーう、やっと解けました!」

「良かったな」


 もう何を言っても無駄だと思ったのか、紘宇は半ばなげやりな声色で返事をしていた。


 珊瑚はドキドキしながら、三つ編みの房に指先を鎮める。

 二つの三つ編みを縦に割くと、さらりと解ける。

 しっかり編んでいたのに、髪にクセが付いていない。細くて柔らかな髪質だからだろう。


「あ、すごい……気持ちが良い」


 珊瑚の声はだんだんと熱っぽくなる。

 紘宇は呆れ果てているのか、深い溜息を吐いていた。


 ゆっくりゆっくりと髪を解いていたら、三つ編みはなくなってしまった。

 今度は、手櫛を入れるように髪に触れる。


「本当に、綺麗、ですね」

「こんなこと、誰にでもさせるわけじゃないからな。というか、こんなことなど初めてだ」

「はい、嬉しいです。こーうの初めてを、いただけて」

「……なんだか、おかしな表現だが」


 その後も、じっくりと髪の触感を堪能する。

 指先にくるくると絡ませたり、ゆるく三つ編みして一気に解いたり。


「はあ、楽しい」

「何が楽しいのか、まったくわからん」


 紘宇は腕を組み、ふんと鼻を鳴らしていた。


「ありがとうございます。とても、幸せです」

「そんなことで、お前は幸せになるのだな」

「はい!」


 最後に、丁寧に三つ編みをする。紐を結んで、ふうと満足げな息を吐いた。


「こーうの髪を触ることは夢だったので、許してくれて、嬉しいです」

「変な奴だ」


 紘宇のぼやきに、珊瑚は笑顔を浮かべる。


「ごめんなさい、初めてだったので、加減が分からず」

「……」

「痛くなかったですか?」

「別に、あれくらい、我慢できる」

「良かった」


 今度触る時は、優しくする。珊瑚は紘宇に誓った。


「だから、その言い方はどうなんだ」

「はい?」


 何はともあれ、眠ることにした。

 御簾で分かれた状態で、横になる。


「珊瑚」

「なんですか?」


 紘宇は眠る前に言いたいことがあると言う。


「お前……少し、肉付きが良過ぎるな」


 ドキンと、胸が高鳴った。

 まさか、女性であるとバレたとか!?


 抱きしめた時に、気付いたのだと話す。


 ドキン、ドキンと、紘宇に聞こえそうなくらい、胸が高鳴った。

 胸の周りは包帯をキツく巻いていたが、それでも体全体の肉質は誤魔化せない。

 額に汗を掻く。バレたら、なんと言いわけをしよう。

 不安に心が支配されていたが――。


「ここ数日、鍛錬をサボっていたな?」

「はい?」

「明日から、私が鍛え直してやる」

「えと、身体が鈍っているので、こーうが、鍛えてくれる、ということですか?」

「そうだと言っている」


 以降、シンと静まり返る。

 言いたかったことは、それだけだったようだ。


 紘宇は珊瑚を女性だと気付いたわけではない。

 大いなる安堵が体全体を包み込む。


「こーう、ありがとうございます。直々に鍛えてくれるなんて、嬉しいです」

「ん? あ、まあ、そうだな。せいぜい励め」

「はい!」


 今宵も、平和な夜だった。


脳筋カップル爆誕の瞬間である。



こんこん「どうしてこうなった!」

たぬき「くうん……」

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