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五十一話 紘宇の想い

 紘宇と並んでトボトボと部屋に戻る。


「私は風呂に入る。お前は?」

「私は……部屋に戻ります」

「そうか」


 一緒に入ろうと誘われるのではと思ったが、そんなことはなかった。

 紘宇は早足で風呂場へ向かって行った。


 たぬきを迎えに行こうか迷ったが、もう遅い時間帯だ。明日にすることにした。

 ダメもとで風呂場を覗く。残念ながら、湯は抜かれていた。

 汗を掻いたので、湯を浴びたかったがそれも叶わず。しょんぼりしながら私室に戻ろうとしていたところに、厨房の明かりが点っているところを発見した。


 待機していた女官に、体を拭きたいので湯を用意してくれないかと頼む。


「では、ご準備して、部屋に運びますね」

「ありがとうございます」


 今晩は体を拭いて眠ることにする。

 部屋に戻ったら、紘宇やたぬきのいない部屋に物足りなさを感じてしまった。

 しばらくしたら紘宇は戻って来る。たぬきは明日の朝一番に迎えに行ったらいい。そう、言い聞かせる。

 湯を待つ間、珊瑚は居間の張り出し窓に腰かける。

 ここは紘宇がよく腰かけて本を読んでいる場所だ。

 月灯りが照りつけている上に、吊り下げた角灯があるので、読書には最適な場所なのだろう。

 ぼんやりとしていたら、女官が桶に入った湯と手巾を持って来てくれた。


「あ――珊瑚様」


 微笑みかけると、女官は頬を染めて目を伏せる。

 桶を受け取ると、恐縮された。


「あの、お運びするのは、私の仕事で」

「ん、大丈夫。ありがとう」


 桶は寝室に運び、床の上に置く。


「珊瑚様、他にお手伝いすることは?」

「ないです、下がっていいですよ」

「はい」


 再度、女官に礼を言った。

 女官が出て行ったのを確認すると寝室の戸を閉めて、着替えを用意する。紘宇が戻って来るまでに、体を拭かなければならない。


 帯を解き、上に着ていた服を脱ぐ。白い上衣の前を寛がせる。


 なんとなく、いつも寝ている寝室で肌を晒すことは、恥ずかしい。しかし、躊躇っている時間はなかった。

 まずは下から。ズボンを脱いで、湯を絞った手巾で腿から足にかけて拭く。

 急いで新しい下着と替え、ズボンを穿いた。

 続いて上衣を脱ぎ、胸に巻いていた包帯を外す。上半身裸になり体を拭いた。

 首筋を拭っていると、カタンと扉が引かれる音が鳴る。紘宇が戻ってきたのだ。


「珊瑚、どこにいる?」


 声をかけられ、跳び上がるほど驚いた。

 もしも、珊瑚が女性とバレてしまえば、嫌われてしまう。そう思って、慌てて上衣を羽織った。


「こ、ここに」


 怪しまれないよう、返事をしたのは良かったが、すぐに扉を開けられてしまった。


「すまない、もう寝ていたのか――」

「こ、来ないでください!」


 紘宇に背中を向けた姿で、珊瑚は叫ぶ。

 包帯を巻いている時間はなかった。近づかれたら、女性だとバレてしまう。

 よって、とっさに近付くなと言ってしまった。


「珊瑚?」

「い、今、体を拭いているのです」

「それは――悪かった」


 男同士でおかしいと言われるのではと、ハラハラしていた。だが、紘宇はあっさりと扉を閉めた。

 いまだ心臓はバクバクであったが、ひとまずホッとする。

 上衣を脱いで包帯を巻き、寝間着を着こむ。

 最後に紺々から貰ったあんず油を髪に垂らして馴染ませる。丁寧に櫛を入れて、三つ編みにした。


 使った湯は窓から捨てた。桶は窓の外に置いて乾かしておく。

 襟元を正し、居間に顔を出した。


「こーう、すみませんでした」


 紘宇は椅子に座り、天井を眺めていた。

 何かあるのかと珊瑚も見上げたが、何もない。


「何をしている?」

「あ、いえ、天井に何かあるのかと」

「何もない」


 紘宇は立ち上がり、ズンズンと寝室へ向かった。


「あの、怒っていますか?」

「別に」


 確実に怒っていた。理由も言わずに寝室から追い出したので、当り前だろう。

 しかし、性別がバレてしまうことはあってはならないことである。

 珊瑚は体を見られたくないことに関して、別の理由を述べることにした。


「あの、私は、その、背中に、傷、がありまして……」


 傷ではない。背中にあるのは庚申薔薇ロサ・キネンシス。近衛騎士の誉れだ。しかし、珊瑚の母親には傷物扱いされたのだ。


「そう、だったのか。すまない」

「いえ」


 紘宇はそれ以上何も言わずに寝台に上る。二人の間を隔てる御簾があるので、姿は見えなくなってしまった。


 珊瑚も寝台に上がる。横たわったが、なんだかモヤモヤしていた。

 何度も何度も寝返りを打つ。

 どうやら眠れそうにない。それは紘宇も同じようだ。先ほどから、寝返りを打つような音が聞こえてくる。

 珊瑚は起き上がり、恐る恐る声をかけた。


「あの、こーう?」

「……なんだ」

「少し、お話を、したいです」

「……このままで、いいのならば」


 話は御簾越しでいいならばと紘宇は言う。顔も見たくないようだ。

 嫌われてしまったのかと、胸が苦しくなる。モヤモヤとした気分は、余計に酷くなってしまった。


 紘宇も起き上がったようだ。うっすらと、竹を編んで作った御簾の向こう側から陰が見える。


「私も、話をしたいことがあった」

「こーうも、ですか」

「ああ」


 顔を見たかったが、許されていない。ならばせめてと、少しでも近くにいたいと、御簾のすぐ前に座った。


「お前を、この後宮に引き留めてよかったのかと、自問自答していた」

「どうして、ですか?」

「私には、何もないからだ」


 地位、財産など、今、後宮で暮らす紘宇は何も持っていない。


「こんな状態なのに、よくも、異国人である珊瑚に、国に残るように言ったものだと」

「そんなことは――」

「ある。あの男、お前の仕えていた王子は、何もかも、持っていた。地位も、財産も、それから、お前を伴侶として迎える準備も」

「こーう」

「恥ずかしい話なのだが」


 メリクル王子を前にして、劣等感を刺激されてしまったのだと紘宇は話す。

 そんな自分が腹立たしくなり、怒っていたらしい。


「私に、怒っていたわけでは、ないのですか?」

「なぜ、お前に対して怒る――いや、怒っていたかもしれん」


 メリクル王子と異国語で話す最中、珊瑚は普段見せない顔を見せていたようだ。それは、とても悔しいことだったと、低い声で語っていた。


「それに、お前の国の言葉は、自分なりに勉強していた。なのに、会話の中で単語を一つか二つしか拾えなくて……勉強不足だと思い……」

「こーう」


 だったらメリクル王子の決めた道も、知らないのだろう。珊瑚は話して聞かせた。


「メリクル王子は、見聞を広げる旅に出ると、おっしゃっていました」

「は?」

「国に戻っても、殺されるだけだろうから、と」

「そう、だったのか」


 珊瑚は紘宇に伝える。

 身分や財産があっても、幸せになれるとは限らないと。


「きっと、その分世間のしがらみというものが、出てくるのでしょうね」

「しかし、私は、お前に何をしてあげられるのか。与えられるものなど、何もない」

「そんなことないです」


 ここに来て、紘宇からさまざまなものを貰った。どれも、祖国で暮らしていた中では、手に入らないかけがえのないものである。


「いったい何を渡した? 言っておくが、前に渡した琥珀の珠は、そこまで高価な品ではない」

「――愛です。たくさんの愛を、いただきました」


 たぬきの飼い主を捜してくれたり、許可を取ってくれたり、二胡の練習に付き合ってくれたり、武芸の稽古をつけてくれたり。


「こーうは、いつも、私のことを気にしてくれました。今も、ずっと」


 最初は監視の仕事の延長だったかもしれない。けれど、途中からは紘宇がしたいと思ってしていたことだと珊瑚は理解していた。


 記憶を甦らせていると、気持ちが高まってくる。


「あの、こーうの顔が見たいです」

「珊瑚……」


 返事を待つことはできない。御簾の隙間に手を差し込み、紘宇の顔が見えるように手で避けた。


 紘宇は――苦しそうな表情を浮かべている。

 手を伸ばしたら、ぎゅっと目を閉じていた。


「こーう……」


 近くに寄って、安心させるように珊瑚は紘宇の体をそっと抱きしめた。


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