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五話 牡丹宮の女官達

 やっとのことで、星貴妃の牡丹宮に到着する。

 馬車の扉が開くと、女官達が出迎えていた。人数は五名ほど。

 青い華服を纏い、黄色の帯を巻き、髪は左右に編みこんで、お団子に纏めていた。皆、お揃いの服に、揃いの薄紅牡丹の髪飾りを付けている。


「あれが、内侍省の女官共。濃い牡丹の花の櫛を刺しているのが一番偉い奴だ」


 内侍省の女官は全部で三十名ほど。普通、一つの後宮には百人近い女官がいるが、星貴妃が大勢の者を従えることを鬱陶しく思い、必要最低限の人員しか配置していないことを、紘宇は珊瑚に説明する。


 紘宇が馬車から降り立てば、女官達は胸の前で左手を右手で包み、深く膝を折った。


「おい、あれは『抱拳礼ほうけんれい』という、この国で礼を尽くす挨拶だ。普段は胸の高さで構わないが、星貴妃の前では、頭の位置まで上げろ。覚えておくように」

「ハイ」


 なんとか聞き取り、左手で右手を包んで膝を折る挨拶を、女官達に向かって行ってみた。


「こーう、これでイイ、です?」

「こーうじゃなくて、紘宇こううだ」


 眉間に皺を寄せて、怖い顔で注意するが、珊瑚は首を傾げるばかり。

 何度か紘宇の名前を呟いてみたが、どれも違うとダメ出しされた。

 抱拳礼はまあまあという評価をいただく。


「難し、です」

「酷いな、いろいろと」


 紘宇は女官達の視線に気づき、解散するように言う。途中で何か思い出したのか、近くにいた女官に声を掛ける。


「あ、おい、あの問題の女官いるか?」

「あの問題の、とは、よくでしょうか?」

「名は知らん。いただろう。ひときわどんくさい奴が」

「多分、翼紺々よく・こんこんだと思いますので、呼んでまいります」 


 数分後、髪を振り乱しながら、一人の少女が牡丹宮の正面玄関より飛び出してきた。


「よ、翼紺々よく・こんこん、参上いたしました!!」


 翼紺々よく・こんこんはふっくらしている頬を紅く染め上げ、左手を挙げながら、元気よくやってくる。が、紘宇にジロリと睨まれ、ハッと気づいたように抱拳礼の形を取った。


「おい、こいつはお前専属の女官だ。わからないことはこっちに聞け」

「あ、ハイ」

「おい、翼とかいう女。この男の服も着替えさせろ。寸法は……私と背が同じくらいだから、間に合わせに部屋にある服を着せておけ。あと、尚服しょうふく部の者に、採寸を頼め」

「えっと、はい! 承知いたしました!」


 内侍省の職務は六部門にわかれている。

 全体の統括をする『尚官しょうかん』。

 台所を預かる『尚食しょうしょく』。

 礼儀と音楽を司る『尚儀しょうぎ』。

 衣服のすべてを担当する『尚服しょうふく』。

 住居空間に携わる『尚寝しょうしん』。

 工芸を行う『尚功しょうこう』。

 紘宇にどんくさいと評された紺々は、酷い音痴で、服を作れば指先を針で刺して血まみれとなり、金槌を持たせれば手の甲を打つ、芸術に関しても明るくない残念な娘だったのだ。

 けれど、地方の大豪族なので、首を切られずにここにいる。

 そんな紺々はどこの部署でも持て余してしまうので、珊瑚の専属女官に大抜擢されたのだった。


「こいつは珠珊瑚しゅ・さんご。見ての通り異国人だ」

「はあ……なんだか、麒麟きりんみたいに、お綺麗な御方ですねえ」


 麒麟というのは華烈かれつに伝わる神話上の生き物で、金の美しい毛並みに、青の瞳を持つ知性溢れる四足獣である。

 紺々はぽ~っとなりながら、珊瑚を見上げていた。


「あいつのどこが麒麟なんだ」

「綺麗な御髪と、吸い込まれそうな青い目と、それから神秘的な雰囲気とかが」

「神秘的じゃなくて、言葉がわからなくてきょとんとしているだけなんだよ」

「そ、そうなのですね」


 紘宇は盛大な溜息を吐き、舌打ちをする。

 珊瑚はまだ、星貴妃の前に出すわけにはいかないと、独り言を漏らした。


「着替えを済ましたら、尚儀の元に連れて行け。この国の礼儀を叩き込ませろ。あと喋りもどうにかするよう伝えておけ」


 紺々は紘宇の話を、コクコクと頷きながら聞いていく。


「元は金持ちの家の生まれなのだろう。品だけはある。だが、文化の違いもあるから、徹底的に覚えさせろ」

「はい、尚儀部にはそのようにお伝えしておきます」

「部屋は私と同室だ。夜までに、寝台をもう一台運ぶよう、尚寝部に伝えておくように」

「かしこまりました」


 紘宇は紺々に部屋の鍵を手渡す。


「失くさないよう、首から下げておけ」

「えっと、はい、そのようにいたします」


 どうにも頼りない紺々を前に、もう一度、紘宇は溜息を吐く。

 珊瑚には「問題を起こすなよ」と捨て台詞のように言って、牡丹宮の中へと入って行った。

 紺々は珊瑚のほうを向き、挨拶をした。


「あの、はじめまして、私は翼紺々よく・こんこんと申します」


 紺々は紘宇より遥かに早口であった。上手く聞き取れず、眉間に皺を寄せる。


「あの、すみませン。も、一回、話して、くれまスカ?」

「あ、えっと、名前です。翼紺々よく・こんこん

「こんこん……名前?」

「はい、そうです!」


 今度は聞き取れたので、ホッとする。


「私の名は、しゅ・さんご、デス。お会いデキテ、嬉しい……」

 

 珊瑚は紺々の指先を掬い上げ、爪先にそっと口付けを落とす。


「ひゃあ!」


 紺々は顔全体を真っ赤に染め上げていた。

 過剰な反応を目の当たりにした珊瑚は、間違って祖国の挨拶をしてしまったことに気付く。この国での挨拶は『抱拳礼』である。


「ああ、こんこんサン、すみまセン。私、国の、挨拶、しましタ」


 慌てて紺々から手を離し、左手を右手で包み、深く膝を折って抱拳の形を取った。

 正式な挨拶をしても、紺々は慌てる。


「ひゃあ! 珊瑚様、その挨拶は目上の人に行う物なのです。私には、過ぎたものですよ!」

「ン?」

「えっと、目上です。偉いヒト、ノミ!」


 珊瑚につられて、紺々も片言喋りになってしまう。

 結局上手く伝えられずに、がっくりと肩を落としていた。

 一方で、珊瑚は紺々の年齢を考える。

 背は女官の中でも一番小柄で、ふくふくの頬をまんまるの黒目が可愛らしい少女であった。少年騎士であるヴィレより二つほど年下くらいかと、推測していた。

 実際は十九であったが、珊瑚は知る由もない。

 華烈は大変な、童顔大国であったのだ。

 紺々はぎこちない動きで牡丹宮の玄関先まで歩き、中に入る前に珊瑚を振り返る。


「で、では、珊瑚様、汪内官のお部屋に、ご案内しますね」

「はい、お願い、シマス」

「えっと、言葉遣いも、私には敬語じゃなくてもいいので」

「ン?」

「あ、う……ナンでも、ナイデス」


 上手く交流できないまま、後宮への一方踏み入れた。


 ◇◇◇


 新しく作られた後宮、牡丹宮は青を基調とした内装になっている。


「星貴妃に一番似合うのが青なんです。内官様も、宮官様も、内侍省の者達も、みんな青い華服を纏うのが決まりとなっております」


 相変わらず、紺々は早口で、何を喋っているのかわからないことが多々あった。

 珊瑚は聞き取れた単語を拾い集め、どのような内容を喋っているのか推測していた。


 長い廊下の壁は美しい青の塗料で塗られ、珊瑚が見たことのないような生き物が描かれている。


「こんこんサン」

「あ、さんはいらないですよ。紺々でいいです。紺々で」

「こんこんサン、じゃない、こんこんデス?」

「はい!」


 明るく振り返った紺々に、珊瑚は壁の生き物について質問した。


「これはですね、神話上の霊獣でして、四柱まとめて四神と呼ばれています」


 まずは亀の体を持ち、蛇の尾を持つ麗獣が指差される。


「こちらは玄武げんぶ、北の方角守り神で、長寿を司る存在です」


 次に、蛇と蜥蜴の中間のような霊獣が指差される。


「こちらは青龍せいりゅう、東の方角の神で、育成を司ります」


 差した指はその隣の赤い鳥の霊獣に向けられる。


「こちらは朱雀すざくです。南の方角の神で、火を司るそうな」


 最後は、白い縞模様の猫の霊獣の説明をする。


「こちらが白虎びゃっこ、西の方角の神で、安産を司るそうです」


 四神は華烈の守護神で、ありとあらゆる生き物の長と呼ばれていると、紺々は説明した。

 珊瑚は半分ほど聞き取り、僅かに理解した。


 牡丹宮の内容は珊瑚がよく知る祖国の王宮の造りとまったく違っていた。不思議に思って、いろいろと質問してみる。

 華烈の建築物は床、壁、天井すべてが木造で、左右対称に造られていると、紺々は説明する。

 窓の外にある庭には、大きな池があり、美しい花が浮いていた。

 水面に咲く花など見たことがないので、ほうと溜息を吐く。


「ここが汪内官のお部屋です」


 長い長い廊下を歩き、とうとう紘宇の部屋までやって来た。

 扉を開けば、丸い机と椅子のみの、殺風景な部屋が出てくる。


「え~っと、こちらが居間ですね」


 続き部屋となっており、扉一枚隔てた向こう側は寝室。反対側は書斎となっていた。


「多分、珊瑚様の執務机や寝台も、ここへ運ばれることになるかと」


 衣装は寝室にあると言って、連れて行かれる。

 紺々は衣装箱の中から、華服の一式を広げる。

 襦袢じゅばんというワンピースのような細長い肌着に、黒い股衣ずぼん上衣下裳じょういかしょうという、上は胸の前で襟を重ね、下はスカート状になっている物を纏い、黒い帯で留める。帽子を被れば完了である。他に、深衣しんいという、上下一緒になった衣服などもある。珊瑚が一人で着るには、どれも難しい物ばかりであった。


「その、こちらは普段着ですね。式典に出席する場合は、もっと贅が尽くされて良い服になります」


 紺々は丁寧に説明をしていたが、初めて見る衣装を前にピンとこない珊瑚。

 着方を教えてくれと、頭を下げた。


「あ、いえいえ。大丈夫ですよ。お着替えは、私が毎回お手伝いしますので」

「ありがとう、心強い、デス」

「もったいないお言葉デス」


 いざ、お着替えを、と紺々入ったが、珊瑚の服を凝視したまま、動かなくなる。


「こんこん?」

「あ、すみません! どうやって脱がすのかと……」


 珊瑚が纏うのは、近衛騎士の制服である。

 真っ赤な色合いに、金のボタンが縫い付けられ、肩には飾緒モールが垂れている。

 胸には褒章が輝き、袖や襟は金で縁取られていた。


「自分デ、脱ぎます」

「す、すみません、本当に」


 珊瑚がボタンを外す様子を、紺々は興味津々に眺める。

 華烈では衣服を止める物は紐か帯なので、異国の服は凄いと呟いていた。

 詰襟の上着を脱ぎ、シャツも脱いで椅子にかける。肌着を脱いだところで、紺々がぎょっとした。


「あ、あの、珊瑚様は、お怪我を?」

「エ?」

「包帯を、胸に巻いているので」


 上手く意志の疎通が取れない二人は、なんとか身振り手振りで会話をしていた。


「アア、これ、怪我、違う、デス」

「で、ではなぜ、包帯を?」

「胸、潰す、邪魔、ダカラ」

「え?」


 異国の文化かと聞かれ、首を横に振る珊瑚。

 華服の下には身に着けないほうが良いのかと思い、はらはらと包帯を外していく。


 あっという間に包帯を取り去り、椅子にかける。


「――ええっ!?」


 振り返った珊瑚を見て、紺々は叫んだ。

 包帯の下にぷるんと揺れる、豊かな胸があったからだ。


 彼女はいまだ、自分が男だと周囲から勘違いされていることに、気づいていなかったのである。

 口元を手で押さえ、瞠目する紺々に、首を傾げる珊瑚であった。

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