四十五話 衝撃を受ける男装の麗人
ガラリと、勢いよく寝室の扉を開く。
「あらあらあらあら!!」
中で、寝尚部の者達が、作業をしていた。突然入ったので、女官達は驚いた顔をしていた。
珊瑚はそういえばと思い出す。紘宇との寝台の間に、御簾をかけておくようにとお願いしていたと。
作業は終わっているようで、二つ並べた寝台の就寝部に、竹で編んだすだれが下ろされていた。
頭を下げる女官達。一名、先ほど「あらあら」を連発していた役職者の簪を付けた女官が、一歩前に出て来る。
「この通り、御簾をかけておきましたので」
「あ、ありがとうございます」
珊瑚は礼を言った。紘宇はムスッとしたまま、何も発しない。
二人が手を繋いでいることを目ざとく発見すると、笑みを深めていた。
「仲直りされたのですね。ああ、そうだわ。ごめんなさい。今から、寝台をお使いになるのでしたか?」
「え、いや……」
「大丈夫ですわ。星貴妃様には内緒にしておきますので、どうぞ、ごゆっくり」
何か、盛大な勘違いをされた気がする。珊瑚は弁解しに行きたかったが、紘宇が手を強く握っているので、鎖に繋がれた犬のように行動を阻まれる。
「くうん!」
ここで、寝室の端で眠っていたたぬきが起きて来る。珊瑚と紘宇の顔を見て、喜んで駆け寄って来たが――。
「たぬき様、汪内官と、珠宮官は今から仲直りをしなければならないのですよ」
女官が部屋の外から声をかけると、たぬきはそそくさと寝室から出て行った。
「あ、たぬきまで、勘違いを……」
はあと、紘宇は溜息を吐いていた。珊瑚から手を離す。冷静さを取り戻したかと思いきや、紘宇の黒い目はいまだギラギラしている。
「こーう……」
話しかけようとしたら、再度声をかけられる。
「あ、あの、珊瑚様?」
「こんこん?」
「はい」
星貴妃より伝言を預かって来ているという。
「えっと、なんでしょうか?」
「先ほどの訪問者について、お聞きしたいそうです」
「分かりました」
紘宇を振り返る。目が合ったら、逸らされてしまった。
「……行け」
「はい。その、行ってまいります」
珊瑚は寝室から出て、扉のすぐ外にいたたぬきを抱き上げる。
紺々と共に、星貴妃の部屋に向かった。
◇◇◇
私室かと思いきや、女官に案内されたのは閨房だった。
寝台の帳を手で避け、星貴妃が顔を覗かせる。
「珠珊瑚、ここへ参れ」
「はい……あの、たぬきは?」
「たぬきも許す」
命じられた通り、寝台の中へと入る。
「内緒話をする時は、ここが一番落ち着くな」
四つの柱が天井を支える寝台は、帳が下ろされていて、個室のようになっている。
大人五人が横たわっても問題ないほど広く、天井から灯篭が点されていて、中はぼんやりと明るい。
たぬきは星貴妃と会えて嬉しいのか、尻尾をブンブンと振っていた。
「たぬき、近こう寄れ」
星貴妃が手招くと、たぬきは喜んで走って行く。
「珠珊瑚、お主もだ」
「はい」
たぬきは星貴妃に抱き上げられ、膝の上に収まる。珊瑚はすぐ近くまで寄って、片膝を突いた。
「お主に客がやって来たというから、会わせてやった」
「ありがとうございます」
星貴妃の許可があった上で、メリクル王子との面会を可能としていたことを知った。
「何やら、山のように土産をもらった。異国の菓子や、布、装飾品……」
「そう、だったのですね」
「ほとんど女官達に分け与えた。お主も欲しかったか?」
「いいえ、私は、何も」
「無欲な奴よの」
珊瑚は首を横に振る。
「私は……貪欲です」
「どういうことだ?」
今日あったことのすべてを、告白する。
祖国で仕えていた王子がやって来て、迎えに来てくれたこと。汪家の許可などはなく、王子は逃亡という形で珊瑚を連れ、出国するつもりだったこと。それから、求婚されたこと。
「そのすべてを、断ったというのか?」
「はい」
「なぜ?」
「それは――」
ここには、珊瑚の欲しかったものがすべてあった。
それを手にするために、国を、家族を、メリクル王子からの信頼をも手放したのだ。
「ここに、珠珊瑚の望むすべてがあるだと?」
「はい」
「なんだ、それは?」
星貴妃はたぬきを膝から下ろし、四つん這いになった姿で迫る。
珊瑚は息を吸い、吐いてから答えた。
「――愛です」
「愛、だと?」
繰り返した星貴妃の言葉に、珊瑚は頷いた。
「この牡丹宮は、とても、居心地が良い場所です。皆、優しくて、穏やかで……きっと、それは妃嬪様が、作った物なのでしょうね」
「それは、まあ、そうだな。業突く張りは、もれなく全員追い出したから。なるほど、そういうわけだったのか」
珊瑚がここに残る理由を納得したのか、再度、布団の上に座る。
「しかし、それがなぜ、貪欲なのか?」
「もっと、欲しいと望んでしまうのです」
「愛を?」
「……」
珊瑚は一瞬のためらいののちに、コクリと頷いた。
すると、星貴妃は目を細め、艶やかに微笑む。それから、膝をポンポンと叩いた。
「妃嬪様……それは?」
「愛を、分けてやろう」
膝枕をするからこちらへ来いと命じられた。まさかの展開に、珊瑚は瞠目する。
「えっと、その」
「私からの愛は受け取らぬと言うのか?」
「いえ、光栄です」
「だったら、こちらへ来い」
珊瑚はぎこちない動きで星貴妃のもとへと近付き、じっと、目を見つめる。
「なんだ、捨てられた猫のような顔をして」
「あの、本当に」
「いいと言っておる。しつこい奴め」
ぐっと腕を引かれ、珊瑚は恐る恐る膝を枕にして寝転がった。
たぬきにしていたのと同じように、星貴妃は珊瑚の頭を撫でる。
「愛い奴め」
「あ、えっと……」
「こういう時は、黙って可愛がられるものだ。まだ、たぬきのほうが上手いではないか」
「はい、気を付けます」
星貴妃は珊瑚の頭を撫で、飽きたら前髪を梳く。それから、頬を手の甲で摩った。
それはとても心地良いものであった。たぬきも喜ぶわけだと、納得する。
「珠珊瑚よ、お主は本当に愛い」
そんなことはないと返しそうになった。だが、黙っておくのが正解らしいので、喉まで出かかっていた言葉を呑み込んだ。
頬にあった手は、顎へと移動し、喉にかかる。
頸椎を沿うように、首筋を何度も撫でられた。
人体の急所であるので、触れられるとくすぐったくて、ゾクゾクしてしまう。
だが、不思議と不快感はない。
「珠珊瑚」
それは、呼びかけるような声色だったので、返事をした。
「はい」
「お主は――」
間を置いてから、星貴妃は続きを語りかける。
「女子、だったのだな」
「……はい?」
しみじみと言われた言葉を、珊瑚は聞き返す。
「この前、首に触れた時、咽仏がないと、思っていたのだ。やはり、お前にはそれがない」
起き上がろうとしたが、肩を掴まれてしまう。
「誰が起き上がってもいいと言った?」
「あ、はい。すみません」
もう一度、どういうことか訊ねる。
「そんなの、私がお主に問いたい。お主はなぜ、男装してここにやって来た?」
「だ、男装?」
きょとんとしながら、珊瑚は星貴妃に聞き返した。
「わ、私は、汪家の当主に言われて、ここへ来ました。その、詳しくは言えないのですが、罪を被ってしまい、宮刑を言い渡されて――」
「本当に、お主は宮刑を受けて、ここに来ただけなのか?」
「はい」
三日月刀に誓ってかと訊かれたので、珊瑚は頷く。
「男装しているのは?」
「女官用の服がなかったからだと――」
この国の女性はとても背が小さい。一方、珊瑚は男性よりも背が高かった。
昔から体を鍛えていたので、肩幅も広いし、腕も太い。華烈の人から見たら、男にしか見えないだろう。
ここで、珊瑚はピンとくる。
「も、もしかして、妃嬪様は私のことを、男だと思っていたのですか?」
「そうだ。男だと思って疑わなかった」
「な、なんてことを!」
珊瑚は頭を抱える。
勘違いしていたのは星貴妃だけではないことに気付いた。
「も、もしかして、汪家の当主は、私を男だと思って、牡丹宮に送ったのだと」
「だろうな」
「ああ、どうして……?」
「どこからどう見ても、良い男にしか見えんからな」
「私が、ですか?」
「ああ」
再度、起き上がろうとしたが、またしても星貴妃に阻止される。
「だから、誰が起き上がってもいいと言った?」
「うっ、すみません……」
衝撃的な事実が発覚し、珊瑚は混乱状態となっていた。
「何も考えるな。今まで通り、過ごせばいい」
「男に扮して、牡丹宮で過ごせと?」
「そうだ。お主のことは、私が守る」
「妃嬪様……」
星貴妃はゆっくり、ゆっくりと、珊瑚の頭を撫でる。
たぬきも近寄り、珊瑚のお腹あたりで丸くなった。
「しばし眠れ。お主は、疲れておるのだ」
優しく撫でられているうちに、うとうとしてくる。
珊瑚は星貴妃の膝の上で、眠ってしまった。