四話 華烈の秘められし裏事情
紅禁城――五百以上の建物がひしめく、世界最大規模の宮殿である。
その敷地は見上げるほどの高い壁に囲まれていた。皇帝が住み、仕える者達が暮らす場所でもある。
正門から南のほうは皇帝が政治をとる外廷、北のほうは私生活をする内廷となっている。
入ってすぐにある大きな建物は紫陽花宮。国の重要式典や外交を行う場である。近くに建つのは桔梗宮。来賓者をもてなす大広間や、宿泊施設などがある。その背後は外廷の三宮のうちの一つである、梔子宮、隣は出御する皇帝の休憩所である石榴宮などがそびえたつ。
中央にあるのは、日常の政務を行う鳳仙花宮。
その後方に並ぶのが、皇帝の妃嬪が暮らす後宮。
「後宮は全部で五つ。皇后の住む百合宮、四夫人――貴妃の住む牡丹宮、淑妃の住む木蓮宮、徳妃の住む蓮華宮、賢妃の住む鬼灯宮……」
珊瑚の世話及び監視を任された紘宇は、後宮に向かう馬車の中で珊瑚に紅禁城の内部の建物について教えていた。
一方で、雰囲気から何かを教えられていると察した珊瑚は懐より手帳を取り出し、拾った言葉を書き記していく。が、半分も理解できず、首を傾げることになっていた。
「おい、よく聞け。一度しか言わないからな」
二人きりの馬車の中、紘宇が語り始める。
今から向かうのは、皇帝の妻である四夫人の一人、星貴妃と呼ばれる女性の元である。
「お前の処罰は宮刑となった。つまり、死ぬまで後宮で働くことになる」
珊瑚は処罰の『宮刑』と、死ぬまで働くという点のみ聞き取った。手帳に記していく。
「お前の身分は宮官、仕事は私の補佐と、雑用だ」
後宮に住む者達には身分がある。
頂点に立つのが皇后。
その下に四夫人がいる。
貴妃の位を持つ星紅華。四夫人の中で最年長で、二十五歳。気位が高い人物で、牡丹宮で働く者達は手を焼いている。
淑妃の位を持つ景莉凛。口数の少ない十八歳の女性で、木蓮宮からほとんど出ることのない謎が多い妃。
徳妃の位を持つ翠白泉。最年少の十五歳、蓮華宮を飛び出して遊び回る天真爛漫な少女だ。
賢妃の位を持つ悠蘭歌。十七歳の明るい女性で、鬼灯宮からはいつも賑やかな音楽が聞こえてくる。
「妃に仕える内官に、その下につく宮官、さらに下は内侍省と呼ばれる下働きの女官がいる」
皇后や四夫人身の周りの仕事は内官がして、宮官はその補佐をする。その他、細々とした仕事はすべて内侍省の女官が担うのだ。
「いいか、ここからが重要な話だ。内部情報だから、誰にも言うなよ?」
早口で捲し立てられる言葉の連続に、珊瑚は混乱状態となる。説明はちっとも理解できていなかった。
そんな動揺など知りもせずに、語り続けていた。
紘宇は、唇に人差し指手を当てる。
その仕草で、緘口令を強いているのがわかった。
「この国の皇帝は崩御した。皇太子も、皇弟も、第二、第三の継承権を持つ者も、根こそぎ死んだのだ。ここ半年ほど、玉座はずっと空だ」
「!」
ゆっくりと話したので、珊瑚にも意味はわかった。大変な秘密である。
耳に入れた瞬間、二度と国へ帰れないと思った。
それは悲惨な事件であった。
三年ほど前から世継ぎ争いが起きる。長い長い、内争であった。
中でも一番の事件は、今から半年前の話。王族の集まる宴の席で、毒が盛られたのだ。
次から次へと、王族の直系男子は儚くなっていった。
壮絶な犯人探しが始まり、血を血で洗い流すような凄まじい争いをする。その中で、とうとう皇帝直系の血を引く男がいなくなってしまったのだ。犯人はいまだ判明していない。
この事件を、中央官僚機関である中書省は、外部へ漏らさないという決定を下した。
皇帝不在の中、これからどうするのか。話し合いは一ヶ月丸々行われた。
その間、皇族の遠縁である、若い娘が国内から集められる。
清地方の豪族の娘、星紅華。恵地方の豪族の娘、景莉凛。推地方の豪族の娘、翠白泉。游地方の豪族の娘、悠蘭歌の四名。
その娘達には、皇后の下の身分である、四夫人の位が与えられた。
「中書省は皇帝不在の中、とんでもない決定を下した」
それは四夫人の誰かを孕ませ、最初に生まれた男子を皇帝とすること。
ありえないことであったが、誰を皇帝にするか決定が難しい中だったので、苦肉策としてその案を採用したのだ。
皇帝の子種は国内の豪族の者から、四夫人が好ましいと思う者を選ぶ。
事情を知る一部の豪族は、競い合うように後宮へ身内を送り込んだのだ。
「私も、その子種を提供する候補の一人というだけだ。もちろん、お前もだ」
話を聞く珊瑚は、眉間に皺を寄せていた。また話についていけていなかったのだ。
一度しか言わないと宣言を受けていたので、聞きなおせずにいる。
そんな状況なので、自分が男と勘違いされていることに、気付いていなかったのだ。
紘宇も、自らの勘違いに気付かぬまま、話を続ける。
「私達が仕える相手は後宮一気位が高い星貴妃。数ヶ月経ったが、まだ、誰一人として心を開いていない」
後宮の妃を孕ませるため、国中から美しい男が集められた。
紘宇も、汪家の代表である。
「私は元々武官だった。だから、このようなことを命じられるのは、屈辱的だ……」
けれど、汪家当主である兄には逆らえないと苦々しくも語る。
珊瑚にも、せいぜい頑張るようにとなげやりに応援していた。
「こんな馬鹿げた後宮だが、決まりがある」
まず、無理矢理四夫人を襲うことは禁止である。もしも、それが露見すれば、腐刑のあと死刑になるのだ。
「お前、腐刑を知っているか?」
ゆっくりと聞かれたので、なんとか意味を理解する珊瑚。けれど、『ふけい』という言葉の意味がわからなかった。
きょとんとする珊瑚に、紘宇が説明をする。
「腐刑は、斧で性器を斬り落とす世にも無残な処罰のことを言う」
刑を受けたあと、腐敗臭を漂わせることから名付けられた。
もちろん、四夫人の不興を買っても、腐刑に処されることがあるのだ。
「恐ろしくて、おいそれと妃に近づけたもんでもない」
よって、男達は四夫人の機嫌を損ねないように接し、好意を持たれる努力を行わなければならない。
ポツリと、紘宇は呟く。
「地獄のような場所だ、後宮は……」
話はこれで終わりのようだった。
珊瑚が聞き取ったのは、ほんの一部である。
まず、珊瑚が受けた刑は後宮で永遠に労働を行う『宮刑』。それから、身分は『宮官』。
さらに、皇帝および皇后が不在ということ。他の皇族も亡くなって一人もいないこと。
上層部の者達が考えた対策は、皇族の遠縁の者を立て、その者達の産んだ男子が皇帝となること。
後宮で働く男達は皇帝の父親になれる可能性があるが、遠縁の女達の機嫌を損ねれば腐刑および死刑を受ける可能性が大いにあること。
単語を拾って繋ぎ合わせた物もある。あまり、自信はない。
けれど、今から仕える星貴妃の不興を買ってはいけないことは理解していた。
「私はお前が星貴妃の前で失敗をしても、助けないからな」
「わかり、マシタ」
「本当にわかっているんだか」
目の前にいる男、汪紘宇は最初に感じた印象よりもよくなっていた。汪尚書の前では冷たい印象があったが、現在は悩み多き青年にしか見えない。
話をする最中、表情に迷いや焦りなどが浮かんでいたのにも気づく。
後宮で大変な苦労をしているのだと、感じ取った。
自分の境遇を忘れ、思わず同情の視線を向けてしまった。
「おい」
「ハイ?」
「そういえばお前、いったいいくつなんだ? 異国人は年齢がわからん」
紘宇の言葉を聞き取れず、首を傾げる珊瑚。
「年だ! お前の、年! 年齢!」
「アア、年齢……」
国家間で年齢の数え方が違うといけないので、生まれてからの日数で答えた。
「産まれてから約七千三百日……ってことは二十歳か。私のほうが五つ年上……。意外と、老けているんだな」
「ン?」
珊瑚は紘宇のことを、二つ、三つ年下だと思っていた。華烈の者はもれなく童顔だったのだ。
きちんと確認をしないまま、この話題は流れる。
珊瑚はヴィレと同じように、優しく接することを心に誓っていた。
当然ながら、その勘違いに紘宇が気付くことはない。
◇用語説明◇
皇帝・・・現在空席。四夫人が一番最初に産んだ男児が継承するようになっている。
皇后・・・現在空席。四夫人が一番最初に産んだ女児がなる。
四夫人・・・貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の四名を示す言葉。皇家の血縁者の女性達。
貴妃・・・星紅華
淑妃・・・景莉凛
徳妃・・・翠白泉
賢妃・・・悠蘭歌
後宮の召使い
内官・・・妃に仕える男性の役職。主な目的は四夫人との間に子を成すこと。豪族の子息が送り込まれている。
宮官・・・内官の補助をする男性に贈られる役職。
内侍省・・・女官の集まり。部門は六つある。
◇人物紹介◇
珠珊瑚・・・20歳。身長175。コーラルに与えられた華烈風の名前。後見人は汪家当主。祖国では少し身長が高い程度の認識でも、華烈では男にしか見えない身長だった。(華烈の女性の平均身長は145くらい。全体的に小柄)性別を勘違いされているとはつゆ知らず。性格は前向きでマイペース。
汪紘宇・・・25歳。身長177。汪家の次男。一族いち容姿端麗で、武芸に長けている。キツイ性格で、プライドが高い。童顔。
ヴィレ・エレンレース・・・16歳。身長173。コーラルの元同僚。公爵子息。天真爛漫な少年。