三十九話 星貴妃の閨房その二
星貴妃はさんざんたぬきと遊んだあと、本題へと入る。
「まず、お主ら以外耳に入れたくない話をしたい。寝台の中へとまいれ」
たぬきを抱き上げた星貴妃は、寝台へと上っていく。
珊瑚と紘宇は顔を見合わせ、たぬきが一緒ならば変な展開にならないだろうと、目と目で会話をしてからあとに続く。
寝台の中は天井が高く、案外広かった。ゆうに大人五人が眠れるほどの規模である。
そこに、星貴妃は座り、膝の上にたぬきを置いた。すっかり、お気に入りの様子である。
たぬきも空気を読んで、大人しくしていた。
「それで、話だが――まあ、これを読んだほうが早いだろう」
珊瑚と紘宇の前に、一通の手紙が差し出された。
達筆な文字で書かれていて、珊瑚には読めない。首を傾げていると、紘宇が読み上げてくれた。
「武芸会、百花繚乱のお知らせ。来たる、清明の時に、四つの後宮より三名の戦士を立て、武芸の腕を競い合う大会が開催されることになり……なんだこれは!?」
各後宮より三名の戦士を参加させ、武芸の腕を競い、敗北した者は勝利した主人のものとなる。
「妃嬪様、あの、負けたら、相手方の後宮に、行かないといけないってことですか?」
「そうだ」
馬鹿げていると、紘宇は吐き捨てるように言った。
「しかも、一名、足りないですね」
現在、戦える内官と宮官は珊瑚と紘宇しかいない。あと一名必要だった。
国の行事らしく、不参加は許されない。だったらどうするのか。
「私の兄に相談する手もあるが……」
紘宇は苦虫を噛み潰したような表情となる。眉間に皺を寄せ、唇を噛んでいた。
「汪紘宇よ、どうした?」
「完全なる推測なのだが、先の襲撃事件は兄が起こしたものではないのかと、疑っていて」
「いや、それはないだろう」
星貴妃はきっぱりと、紘宇の推測を否定した。
「あれは、星家の者だった」
「なぜ、そう思う?」
「つい先日、暗殺者の飲んだ毒が解析されたのだが――」
それは、ヤドクカエルという神経毒を持つ生物の毒だった。
「ヤドクカエルは星家がひっそりと飼育していた。海を渡った先にある南国の生き物で、この辺りには生息しておらぬのだ」
十中八九、星家が送った暗殺者であることがわかる。
当然ながら、星貴妃は知らんぷりを決め込でいた。
本来ならば、星家の当主しか知りえぬ情報であったが、星貴妃は偶然、父親の話を立ち聞きしてしまったのだ。
「用途はいくら聞いても答えてくれなかった。しかしまあ、星家の栄華の影には、血に濡れた惨劇があるのだろう」
しかしなぜ、星家の者が星貴妃を狙うのか。その理由を紘宇は問う。
「星家と言っても、いくつもの分家がある。当主である父は皇家との繋がりを望んでいないが、分家の者は違うのだろう」
もう一人、星貴妃の他に妃候補がいた。その者の父親は、なかなかの野心家であると言う。
「妃嬪様、そちらは、お父様にご連絡をされたのですか?」
「いや、していない。父も共謀者である可能性が捨てきれないからだ」
「お父様が、妃嬪様を狙うことはありえるのですか?」
「嫁ぎ遅れの娘を父は憂いでいたからな。このまま三十となって、後宮でなんの成果を出すこともなく、星家戻って来られたら私だけでなく、父すらも生き恥を曝すのかもしれぬ」
「そう、でしたか……」
「話が逸れたな」
手紙と共に、ある品物が届けられたという。
それは、仮面と全身を覆う外套であった。
「四つの後宮の妃は、これを装着するようになっているようだ」
暗殺を防ぐために、公の場に顔は出さないようになっていた。
「よって、観客席に私がいなければならぬ理由はない」
「当日は欠席するのですか?」
「いいや」
「まさか!」
紘宇が先に勘付く。珊瑚は気付かないままであった。
「あの、妃嬪様?」
「私が出ればいいこと」
当然ながら、紘宇は反対した。剣は木刀を使うとあったが、怪我をする可能性もある。
「それに、負けたらどうする? まさか、そのまま他の後宮へ行くのか!?」
「負けなければいいことよ」
それに、武芸会は勝ち抜き戦であると書かれてあった。
「だから、お主ら二人が負けなければ、問題はなかろう」
星貴妃と紘宇が睨み合い、空気はピリっとしていた。
珊瑚は一触即発な二人の間で、オロオロとするばかり。たぬきは険悪な雰囲気に、耳をぺたんと伏せていた。フワフワにしてもらった尻尾も垂れ下がっている。
我が強い者同士なので、どちらも引かない。
「星貴妃が直々に出なくとも、女武官に代役を頼めばいいだろう」
「あいつらは、まだ信用に足りぬ」
「しかしだな」
話は平行線であった。
けれど、ここは牡丹宮。星貴妃が頂点となる場所だ。紘宇は命じられたら、頷く他ない。
「どうなっても、知らないからな」
「私とて、無謀なわけではない。汪紘宇、お前の実力を目の当たりにしたからこそ、今回の件を思いついたのだ」
星貴妃は紘宇の戦闘能力を高く評価していた。
「若い武官の中では一、二を争う腕前だろう」
「……」
「我が星家は武の一族だ。強き者を見る目くらいは備わっている。……私も、このふざけたことばかりの体制に、イラ立ちが募っていた。一度、どこかで発散しないと、狂ってしまう。頼む、汪紘宇よ。お主と、珠珊瑚、二人の力が必要なのだ」
「まあ、そこまで言うのならば」
そんなふうに言われたら、紘宇も悪い気はしない。
頭の硬い男であったが、一方で、単純なところもあった。
紘宇は軍事を執り行う兵部の上層部にいた。汪家の力もあったが、本人の実力もあったので、瞬く間に昇格し、若い武官の中でも一番の出世頭だった。
他に、兵部の実力者が後宮に行ったという話は聞かない。よって、紘宇に敵う男はいないだろうというのが、星貴妃の考えであった。
「武官といえば、厳つく、熊のような身体つきをしている。美しい者が集められた後宮には、武の者はいないだろう。華族の嗜みとして鍛えていた者はいるだろうが、武官の精鋭だった汪紘宇に敵う者はいない」
「こーう、すごいです!」
珊瑚のキラキラとした尊敬の視線を浴びて、紘宇は満更でもないといった様子を見せていた。
「ま、というわけで、百花繚乱の開催の日まで、武力を磨いておけ」
紘宇は頷き、珊瑚は「はい、分かりました」と返事をする。
「話は以上だ」
解散を言い渡される。膝の上に鎮座していたたぬきは布団の上に下ろされた。事が上手くいきそうだったので、耳はピンと立ち、フワフワな尻尾も復活している。
珊瑚は寝台から出ようと腰を上げたところ、星貴妃が腕を強く引いた。
体の均衡を崩している中だったので、布団に倒れ込む形となり、あっという間に組み敷かれてしまう。
「あ、あの、妃嬪様!?」
「ただで帰るつもりだったのか?」
「えっ、そ、その……」
艶然と微笑む色気たっぷりの星貴妃に顔を覗き込まれ、珊瑚は瞠目する。
まさかの展開に、頭が追いつかない。
星貴妃は珊瑚の顎の線をなぞり、頸椎から鎖骨に沿って指先で撫で、襟に軽く手が差し込んだ。
珊瑚の頬は赤く染まり、ビクリと体が震える。
そこに待ったをかけたのは言うまでもなく、紘宇であった。
「何をしているんだ!」
珊瑚の服に差し込まれた手を掴み、逆の手で星貴妃の腕を引いて珊瑚の上から退かす。
若干、乱暴な手つきであった。
「お主こそ、何をするのだ」
「な、何をって、おかしなことをしているから」
「私は可愛い可愛い愛人と戯れようとしていただけなのに」
「こういうことは、好きではないのだろう」
「そんなの、相手によるとしか言えぬ」
珊瑚が隙だらけだったので、ちょっとからかっただけだと、星貴妃は主張していた。
「どうだ珠珊瑚、私と楽しいことをするのは?」
「え!?」
寝台で行う楽しいことなど一つしかない。
珊瑚は視線を宙に漂わせる。
まさか、自分にこういった話がくるとは思わずに、頭の中は混乱状態にあった。
「返事はするな。今日は帰るぞ」
紘宇はたぬきを持ち上げて脇に挟み、空いたほうの手で珊瑚の腕を掴む。
星貴妃の制止も聞かずに、早足で寝屋から出て行った。