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三十八話 紘宇の決意

 紘宇はぴしゃりと扉を閉め、珊瑚の腕をぐいぐいと引っ張りながら廊下を歩いて行く。


「こ、こーう、たぬきは?」

「たぬきはあとだ!」


 たぬきは紺々の部屋に取り残されてしまった。しかし、このあと星貴妃の寝屋に赴かなければならないので、ちょうどいいかとも思う。

 たぬきは寂しがり屋なのだ。


 部屋に戻る。紘宇はここでも扉を勢いよく閉めた。

 そして、居間では止まらず、寝所へと進んでいく。


「あの……?」

「居間は女官が入って来ることがある」

「あ、はい」


 紺々などのお付きの女官を除き、普通の女官は寝所に掃除以外入っていけない決まりがある。そろそろ夕餉の時間なので、給仕係が来る可能性があった。


 邪魔が入らないところで、話をしたいのだろう。

 手を離された珊瑚は、寝台の縁に座る。


「えと、こーう、座らないのですか?」


 じっと見下ろすばかりで、返事はない。

 紘宇は眉間に深い皺を刻み、目を細め、口はきつく結んでから珊瑚を見下ろしていた。

 上目遣いでちらりと見れば、視線が交わる。

 黒い目に滲んでいるのは、苛立ちと焦燥。いったいどうしたのか。訊ねる前に、質問をされてしまった。


「本当に、翼紺々と関係があるわけではないのだな?」

「はい、紺々は友達です」

「お前の国では、友達同士で抱擁し合うのか?」

「ええ、まあ、そうですね」


 親しい人ならば、あいさつ代わりに抱き合うこともある。そう説明すると、紘宇は瞠目した。


「なんて軽薄な国なんだ……!」

「そう、だったみたいですね。女官達にも、間違った接し方をして、困らせてしまったことがあります」


 指先へのキス、抱擁、褒めるなど、この国ではありえないことだと紺々や麗美から言われたことがあった。


「私の国は、女性を大事にします。しかし、この国は……」

「まあ、そうだな」


 華烈には、男尊女卑の考えが根付いていた。


「だからこその、この後宮なのだろう。あ、いや、今の状態ではなくて、皇帝がいて、きちんと機能していた時の話だ」


 この後宮は皇帝の妻が住む宮殿である。頂点に立つ妃から、そこで働く女官まで、全員皇帝の妻なのだ。

 後宮に住む女性達の人生は、すべて皇帝に握られている。

 花盛りを過ぎれば、皇帝の側近の妻として下げ渡されたり、宦官の召使いとして与えられたりなど、生殺与奪権は皇帝が握っていた。


「そういう扱いを受けるのは、後宮の女ばかりではない」


 紘宇の母親はしきりに実家に帰りたいと言っていた話をする。


「ご実家に、帰れないのですか」

「みたいだ」


 結婚すると、実家に戻ることは禁じられる。一方で、亡くなったら嫁ぎ先の墓には入れず、生家に返されるのだ。


「嫁いできた女は借り物で他人である。それが、この国のあたりまえだ」

「そんなの……いえ、なんでも」


 この国で生涯暮らすことになった珊瑚は、それを受け入れるしかない。

 意見することなど、許されないことだった。


「――私は、別にその考えに囚われてはいない。母のことも、気の毒に思っていた。許されるのであれば、実家がある場所に旅行にでも連れていけたらと思っていたが――」


 その前に、紘宇は後宮から出ることができない身分となってしまった。


「だから、もしも結婚をしたら、伴侶となる者は、好きな時に実家へ帰れるように、したいとは思っている」


 紘宇の話を聞いて、珊瑚は安堵した。彼は女だからと、無差別に蔑視する人ではなかったのだ。


「なんだ?」


 笑顔で紘宇を見上げる珊瑚を見て、紘宇は再度顔を顰める。


「いえ、こーうと結婚できる女性ひとは、幸せだなって、思いまして」

「相手もいないのに、何を言っているんだ」


 ここで、紘宇が婚約者や恋人がいないことが発覚する。

 珊瑚はホッとしてしまった。だからといって、心の奥にある恋が成就するわけでもなかったが。


「それはそうと――話は聞いたか?」

「妃嬪様に呼び出されたお話でしょうか?」

「他に何がある」


 今になって、いったい何をするつもりなのかと、紘宇は苛立つ様子を見せていた。


「何をとは……子作り、ですか?」

「馬鹿な!」


 ありえないと切って捨てる。紘宇の反抗的な態度に、珊瑚は首を傾げた。


「最初は、私も指名があったら従うつもりだった。しかし、ここで過ごす中で、腹立たしく思っているうちに、家のために子作りをすることが馬鹿馬鹿しくなって……」


 紘宇の実家、汪家も歴史ある大華族である。しかし、星貴妃を始めとする四大華族に比べたら、家格が劣るのだ。


「兄は、皇族との繋がりを作り、どこかの家を凋落させようと目論んでいるのだ」

「お兄さんは、野心家、なんですね」

「恐ろしいほどにな」


 紘宇はボソリと、聞き取れるか取れないかくらいの声色で話す。


「先の襲撃も、兄が差し向けたのではと思っている」

「え?」

「一応、兄には星貴妃の寝屋に通っていると嘘を書いていたのだが――」


 いつまで経っても子どもが産まれないので、星貴妃を殺しにかかったのではと紘宇は推測している。


「手紙には私に生殖能力がないことを仄めかしていた。これで、役目から下ろされると思っていたが、そうではなかった」


 星貴妃と子を成せないのならば、別の星家の者を立てる。そのために、襲撃事件を企てた。

 紘宇の兄は身内には甘く、他人には厳しい男だった。

 しかし、引っかかる点もあるという。


「兄の用意した私兵にしては、弱かった」


 紘宇の実力を知っているので、暗殺に慣れた者を用意してもおかしくない。けれど、やって来た者達は、そこまで強くなかった。

 よって、襲撃を企てたのは紘宇の兄ではない可能性もあると呟く。


「どちらにせよ、今回の件で私は懲りた。だから、兄に本当のことを告げたのだが……」


 返事はまだ届かないらしい。


「兄がどういう判断を下すのか、まったく想像もできない」

「こーう……」

「そんなわけで、私は今、反抗期だ。だから、星貴妃の命に従うわけにはいかない」

「そう、ですか」


 ここでも、珊瑚は心の中で安堵する。 

 それを悟られるわけにはいかないので、顔を伏せた。


「お前はどうなんだ?」

「わ、私、ですか?」

「例えばだ。私がお前を抱くと言ったら、応じるのか?」

「え!?」


 例えばと付いていたので、比喩であることは分かっている。

 しかし、嘘を吐けない珊瑚は、瞬く間に顔を真っ赤にしていった。

 それに気付いた紘宇も、自分の言葉に照れてしまって顔を逸らしていた。


「あの、こーうだったら……」

「なんか言ったか?」

「い、いいえ、なんでもないです!」


 わりと、勇気を振り絞って呟いた言葉であったが、聞き逃されてしまった。

 人生そんなものだと、珊瑚は自身に言い聞かせる。


「とにかくだ。もしも、子作りを要求されても応じない。私は、それをお前に言いたかった」

「は、はい」

「お前も、どうすべきか、分かっているな?」

「もちろんです」


 星貴妃が紘宇と子作りをしたいと言ったら、一緒になって説得をする。それしか、珊瑚にできることはない。


「あの」

「なんだ?」

「たぬきを連れて行ってもいいですか?」

「なぜだ?」

「たぬきがいると、癒されます。妃嬪様もきっと、優しい気持ちを思い出すはず」

「……たしかに、アレは気が抜けるというか、なんというか。まあ、いいだろう」

「ありがとうございます!」


 こうして、珊瑚は紘宇、たぬきと共に星貴妃の寝屋へ行くことになった。


 食事を食べ、風呂に入り、身支度を整える。

 星貴妃の前に参上する時は、華やかな盛装を着用する。

 紘宇は深い青の衣装を。

 珊瑚は薄い青の衣装を。

 たぬきは、紺々が風呂に入れて、フワフワモコモコになっていた。丁寧に櫛入れされて、毛並みもピカピカである。


「たぬき、素敵にしてもらいましたね!」

「くうん!」


 たぬきはくるりと回り、フワフワの尻尾を靡かせる。


「世界一可愛いです!」

「くうん」


 狸馬鹿な珊瑚の様子を、紘宇は険しい表情で眺めていた。


「こーう、今日のたぬきはどうですか?」

「いつものたぬ公にしか見えん」

「そ、そんな……」

「くうん……」


 珊瑚とたぬきは、一気に悲しそうな表情となる。

 そんな二人に見つめられた紘宇は、良心の呵責に苛まれたのか意見を変えた。


「よく見たら、まあ、悪くない」

「でしょう?」

「くうん!」


 喜ぶ二人を見ながら、「馬鹿になる」と呟いていたが、はしゃいでいる珊瑚とたぬきは気付いていなかった。


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