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三十六話 胸に秘めたる想いは――

 星貴妃はイライラしていた。

 女官達に「どうか夜の見回りはお止めになってください」、と泣きつかれてしまったのだ。

 一人ではない。身の回りに侍るほぼ全員が、涙を浮かべながら懇願してきたのだ。


 皆、大事な女官であり、その意見を無視するわけにはいかない。

 それに、もしも一人で見回りをして、複数の侵入者と遭遇してしまったら、勝つことは難しいだろう。

 怒りと共に連日見回りをしていたが、一回冷静になるのもいいのかもしれないと思い直した。

 夜は大人しく眠っておく。


 それから数日経った。

 今度は一度も珠珊瑚が目の前に現れないことに、苛立ってくる。


 金髪碧眼の絶世の美青年と言っても過言ではない男が、星貴妃に傅き、忠誠を誓った。

 ただの美しい男ではない。

 真面目で、正義感に溢れ、武芸の才がある。

 だから、嫁入り道具であった三日月刀を渡した。男の手に渡ることはないと思っていたのに、あの時は珊瑚にこそ相応しいと思ったのだ。

 なのに、なのに、珊瑚は目の前に現れない。


 そんな星貴妃の不機嫌な様子を察した古参の女官が、珊瑚の近況を報告した。


「珠宮官は、汪内官と剣術の稽古をされているようです。午前中から午後は事務仕事をして、夕方から夜になるまで剣の打ち合いをされていると」

「なるほどな」


 なんでも、珊瑚にとって三日月刀のような薙刀の形をした剣は初めて使う物だったようで、上手く使えなかったらしい。

 そのため、紘宇に訓練を付けてもらっていたと。


 そういう理由があるならば、目の前に顔を出さないのも納得できる。

 珊瑚が三日月刀での剣術を身に着けるまで、大人しくしていよう。そう思っていたのに、まさかの知らせが届いた。


 送り主は祭祀、礼楽制度などを司る礼部からである。

 星貴妃は眉間に皺を寄せながら、手紙を開いた。

 中には、驚くべきことが書かれていた。


 ――武芸会『百花繚乱』のお知らせ


 紙を握り潰し、さらにぐしゃぐしゃに丸めて力いっぱい投げた。


「ふざけておる!」


 礼部主催の武芸会百花繚乱とは、牡丹宮、木蓮宮、蓮華宮、鬼灯宮、四つの後宮の中から一番の武芸者を決めようという催しであった。


 いったいなぜ、今のこの時期にやるのか、まったく意味がわからない。

 上層部の意図を理解できず、星貴妃は怒り狂っていた。


 現在、四つの後宮に交流はない。話を訊かずとも、どこも緊張状態であることはわかりきっていた。

 それなのに、見世物にされる上に、妃の上下関係を決めるようなことをするなど、酔狂としか思えない。


 いくら考えても、頭の中は怒りで沸騰しているので、思いつきもしない。

 こうなったら、誰かに意見を求めるしかない。


 女官を呼んで命じる。

 夜、寝所に汪紘宇と、珠珊瑚の二人を呼ぶようにと。


 ◇◇◇


 牡丹宮が始まって以来、最大の一大事が起こる。

 今まで、夜に男を呼び出すことがなかった星貴妃が、寝所に来るようにと命じたのだ。


 紺々の部屋で、その件についての話を聞いた珊瑚は珍しいことがある物だと思っていた。

 彼女以上に動揺しているのは、紺々である。


「さ、珊瑚様、だ、大丈夫でしょうか?」

「何が、ですか?」

「えと、その、いろいろと」


 星貴妃の寝所に行けば、男装の麗人であることがバレてしまう。その点を心配していたが、紺々の勘違いに気付いていない珊瑚が察するわけもない。


「し、寝所に呼ばれたということは……その……」

「お話をするのでは?」

「ち、違います。寝所ですることは、一つしかありません」


 ここで、やっと紺々が言おうとしていたことに珊瑚は気付く。


「え、いや、まさか、そんな……」

「や、やっと、星貴妃様は、その、子作りをする気になったのでしょうか?」

「だとしたら、私はどうすれば? 必要なのはこーうだけでは……?」


 そう言いかけて、なんだか心がモヤモヤとしていることに気付く。

 珊瑚の知らないところで、紘宇と星貴妃が子作りをする。それは、とても嫌なことだと思った。


「珊瑚様、いかがなさいますか?」


 今晩、具合が悪いことにしておけば、星貴妃のもとへ行かずに済む。

 しかし、紺々のその提案に、珊瑚は首を横に振った。


 ここは、後宮だ。

 妃のもとに男達が集められ、次代の皇帝を作る舞台だ。

 そのために、紘宇はここにいる。

 真面目な人なので、きっと命じられたら役目を果たすだろう。

 しかし、珊瑚の気持ちは複雑だった。

 仕事に私情を挟むことなんて、今までなかったのに、どうにも感情の整理ができない。


「このままでは、紘宇と星貴妃が――」

「珊瑚様?」


 紺々に顔を覗かれ、ハッとなる。


「どうかなさいましたか?」


 どう考えても分からないことであった。だったら、紺々に聞いてもいいものか。

 珊瑚は逡巡したが、それも一瞬のことであった。

 うじうじ悩むなんて、らしくない。

 分からないことがあったら信頼する人に聞けばいいのだ。

 幸い、目の前にいる紺々は信用に足る女性である。

 珊瑚は決意を固め、悩みを口にしてみることにした。


「あの、こんこん。変なことを、聞いてもいいですか?」

「はい、私が答えられることであれば」


 紺々は居住まいを正し、珊瑚の話を聞いてくれる。


「その、私は、紘宇がお勤めを果たすことを、嫌だと、思ってしまったのです」

「珊瑚様……」


 紺々は珊瑚の手を、ぎゅっと握った。

 おかしなことではないと、首を横に振りながら言ってくれる。


「あの、これは、おかしなことでは、ないのですか?」

「ええ、そうですよ。それは――純粋な恋心ですから。誰もが胸に抱くかもしれない、心の宝石箱と、ただ一粒の宝石です」


 紺々は珊瑚の気持ちを宝石箱と宝石に例える。このモヤモヤしていて、切なくて、胸が苦しくなるようで、温かな気持ちは、恋という名のものだった。

 それはかけがえなく、誰もが持つ心の宝物だと紺々は言う。


「私は、こーうのことが、好き、だったのですね」

「珊瑚様の様子を見ていて、そうではないのかと、思っていました」

「そう、ですか。これは……恋」


 紺々に気持ちを言い当てられた瞬間、珊瑚は腑に落ちた。

 モヤモヤと不透明だった気持ちが、一気に透明となる。


「ありがとうございます。気付けて、良かったです。何か分からないまま、星貴妃と紘宇が、その、そういうことをしていたら、私は――」

「珊瑚様……」


 珊瑚にとって、この気持ちは初恋だった。

 だが、どうしようもないものでもある。 

 紘宇は星貴妃の男であり、また、汪家という大華族の一員であった。

 運良く後宮が解散になったとしても、同じくらいの家柄の娘が妻となるに違いない。

 珊瑚の恋は気付いた瞬間、叶わぬことが分かってしまった。


「切ないですね」


 しかも、今日は星貴妃と紘宇の床入りを見守らなければならない。

 状況によっては、何か手伝わなければならないのだ。


「珊瑚様、やはり、今日は――」

「いえ、私はそのためにここにいるのでしょう。役目を、果たさなければ」


 珊瑚は顔を上げたのと同時に、ぎょっとする。

 紺々がポロポロと涙を流していたからだ。


「こ、こんこん、どうしたのですか?」

「だって、悲しいです。珊瑚様と、汪内官はお似合いなのに……!」

「ありがとう、ございます」


 珊瑚は紺々の頬を伝う涙を指先で拭い、体をぎゅっと抱きしめる。

 そして、耳元で優しく囁いた。


「私が男だったら、こんこんをお嫁さんにしています。可愛くて、優しくて、素敵な女性、です……」

「さ、珊瑚様~~!」


 紺々も珊瑚の体を抱き返し、さらに涙を流していた。

 ここで、扉がドンドンドンと三回叩かれたあと、勢いよく開かれる。


「おい、ここにいると聞いたが――」


 いきなりやって来たのは、紘宇だった。

 部屋で抱き合っている珊瑚と紺々を見て、目を丸くしている。


「お、お前達、い、いったい何を!?」

「ち、違うんです、汪内官!」


 紺々が慌てて弁解をした。


「あの、珊瑚様は、私の悩みを、聞いてくださって!」

「本当か!?」

「ほ、本当です。星貴妃様に誓って!」


 紘宇は怒りの形相で紺々の部屋に入り、珊瑚の腕を掴む。


「こ、こーう!?」

「話がある。来い!」


 珊瑚は紘宇にぐいぐいと腕を引かれ、紺々の部屋をあとにすることになった。


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