三十五話 柳葉刀
星貴妃から賜った三日月刀は、今まで珊瑚が使っていた剣とはまったく違う形状をしていた。
刃先が広く反り返っており、剣幅は広く、片手剣であるがずっしりと重たい。
この形状の刃を、華烈では『薙刀』と呼んでいるらしい。剣自体は『柳葉刀』という。柳の葉に似ているので、名付けたとか。
柄も湾曲していて、珊瑚の手には馴染まない。眉を顰め、じっと刀身を見下ろす。
――これで、戦えるのか。
そう思っていた折に、紘宇が剣術を教えてくれると言った。ありがたい申し出だった。
夕方から、中庭で稽古を付けてもらう。
寒空の下、珊瑚は紘宇と対峙する。邪魔にならない位置に、紺々とたぬきがいた。
紘宇は腕を組んで珊瑚に言う。
「まず、鞘から剣を抜いて、振ってみろ」
「はい、わかりました」
左手で鞘を押さえ、右手で柄を握って引く――が、いつもと違う手応えで、引き抜くのでさえ簡単にはできなかった。
「う……よいしょっと」
なんとか苦労して引き抜く。ちらりと紘宇を見ると、凄まじい目付きで睨んでいた。
「あの、その、すみません。なんか、手ごたえが違っていて」
「そんなに、今まで使っていた剣と違うのか?」
「はい」
剣をもう一度鞘に納めるように言われた。
「……んっと、よい、しょ」
引き抜くのもひと苦労であったが、収めるのもひと苦労だった。
紘宇が怖い顔をしているのはわかっているので、敢えて見ないでおく。
「おい、私のやり方をよく見ていろ」
「あ、はい」
紘宇は柳葉刀を腰に差し、流れるような動作で引き抜く。シャキンと、鞘と刃が擦れ合う音が鳴った。鮮やかな抜刀だったので、珊瑚は拍手する。
「こーう、カッコイイです!」
「う、うるさい」
褒めただけなのに、怒られてしまった。珊瑚はシュンとなるが、それは一瞬のことで、紘宇に見せてもらった動きを真似してみる。
ただ力任せに抜刀するのではなく、剣の形をなぞるように引き抜いた。すると、先ほどの紘宇のように、綺麗に抜くことができた。
「なるほどな。覚えはいいようだ」
今度は褒められたので嬉しくなる。
何度か抜刀を練習し、なんとか合格をもらった。
次に、剣をその場で振るように言われた。
ブオン! と今まで耳にしたことのないような、風を切る音が聞こえた。
加えて、剣が重たいので、から足を踏んでしまった。その上、見当違いの方向へ剣が向かっていった。
剣を振り下ろした視線のまま、珊瑚は呆然としていた。
「どうだ?」
「変形した鉄の棒を、振っているようです」
「ふむ」
今まで使っていた剣と同じ感覚で使ったら、まったく想定外のほうへと曲がっていったのだ。
「この剣は、重量を活かして叩き割るものだと思っていたほうがいい。力のある者は、二本使う」
「これを、二本も……」
珊瑚は信じがたい気分になった。一本だけでも、なかなかの重量だ。
何度か振ってみるが、ブオン、ブオンと大袈裟な音がなるわりに、まったく思った方向へ向かわない。
勝手が違う剣を握りしめ、むっと口を結び、眉間に皺を寄せる。
今まで身に着けた剣の腕は、まったく役に立たなかった。
加えて、紘宇が剣の振り方を説明したが、いまいちピンと来ず。
「口で説明するよりも、実際に動いて習得したほうが良さそうだな」
「ええ、そうしてみます」
厳しい厳しい紘宇の稽古の始まりであった。
◇◇◇
紘宇は夕暮れまで手を抜くことなく、きっちりと稽古を付けてくれた。
珊瑚はこてんぱんにやっつけられ、ボロボロになる。
「まあ、諦めない根性だけは認めてやる」
時間いっぱいいっぱい頑張って、褒めてもらったのはこの一言だけだった。
がっくりとうな垂れる。
紘宇は一度自室に戻るようだ。珊瑚は全身汗びっしょ濡れになったので、そのまま風呂に向かうことにした。
「今日は、たぬき様も一緒にご入浴をしますか?」
「くうん、くうん!」
たぬきは風呂が好きなようで、紺々の言葉を聞いて喜んでいた。
「こんこん、たぬきは、お任せしてもいいですか?」
「はい、もちろんです」
いつもは紺々と二人がかりでたぬきを洗っているのだが、今日は慣れない武器を使ったので、さすがの珊瑚もくたくたであった。
二人と一匹で風呂に入り、温泉に浸かってじっくりと疲れを癒す。
「ふう」
すっきりしたものの、体の倦怠感は残ったままだった。
特に、肩がずっしりと重い。
柳葉刀を使った剣技は実に奇抜で、相手の意表を突くような動きをする。
剣術に加え、体術も使うのだ。
剣を避けたと思えば、蹴りがやってくる。それを避けたら、拳が真っ正面に向かって来るのだ。
片手剣なので、あのような動きも可能なのか。わからない。
木刀を使った時の紘宇の実力は珊瑚より少し上かと思ったが、柳葉刀を使った戦闘は天と地ほども実力に差がある。
以前、雅会の日に襲われた時も黒衣の男達は柳葉刀を装備していたが、紘宇ほどの遣い手ではなかった。
「もっともっと、修業が必要ですね……」
「珊瑚様なら、きっと上手くできるようになりますよ」
「くうん!」
「こんこん、たぬき……ありがとうございます」
紺々とたぬきの応援を受け、また明日から頑張ると決意を固めた。
「私、頑張りま――ウッ!」
慣れない剣技で痛めた筋がじんじんと痛む。せっかく決意表明しようとしていたのに、言葉に詰まってしまった。
「あの、珊瑚様?」
「な、なんでしょう?」
「よろしかったら、按摩をいたしましょうか?」
「あんま?」
按摩とは、体を揉んで筋肉を解し、血液の循環を良くする療法のことである。
「お仕えする妃様のために、仕込まれたのです。兄や父に試したことがあるのですが、なかなか評判も良くて……」
紺々は体が少しだけ楽になると言う。
「……いいの、ですか?」
「はい! もちろんです」
悪いなと思ったものの、体の痛みを我慢するのも良くないので、お言葉に甘えることにした。
按摩は紺々の部屋で行う。
たぬきは今から何か楽しいことをするのではないかと、尻尾を振りつつキラキラした目で紺々や珊瑚を眺めていた。
「では珊瑚様、こちらのお布団にうつ伏せに寝転がってください」
「はい」
珊瑚が寝転がった上に紺々は膝を跨ぎ、腰を浮かせた状態で肩に手を振れる。
親指ぐっ、ぐっと押していった。
「――んっ!」
「あ、痛いですか?」
「いいえ、大丈夫、です」
押された患部は痛いのが半分、気持ちいいのが半分。
按摩とは、不思議な施術であった。
体がポカポカと温まり、風呂上りなのにじっとりと汗を掻く。
「こんこん……すごい……ですね。これは……気持ちが、良い」
「あ、よかったです。もしかしたら、これが、唯一の特技かもしれません」
血液の流れが良くなったからか、患部の痛みはだんだんと薄くなっていった。
「これ、きっと、妃嬪様も、お喜びに、なるはずです」
「そう、だったらいいのですが」
腰を浮かせたままではきついだろうと思い、珊瑚は上に乗ってもいいと言う。
「そ、そんなことするわけにはいきません!」
「こんこんは、軽いから大丈夫ですよ」
「いえいえ、駄目です!」
そんなやりとりをしていると、紺々の部屋の扉が勢いよく開かれた。
「紺々さん、お饅頭をいただきましたの。一緒に食べきゃあっ!!」
やって来たのは麗美だった。
珊瑚に馬乗りになるような姿勢の紺々を見て、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「あ、あなた達、ナニをしていますの!?」
「え?」
「ん?」
「こ、こんな時間から、子作りをしているなんて! っていうか、やっぱり、お二人はデキていたのですね!」
子作り?
珊瑚と紺々の頭の上に、目には見えない疑問符が浮かび上がる。
先にハッとなったのは紺々だった。
珊瑚の上から退き、勘違いの訂正をする。
「れ、麗美さん、違います。これは、按摩という治療です。珊瑚様が体を痛めたので、血流の流れを指圧で良くしていただけですよ!」
「……え?」
「その、子作りでは、ありませんので」
その言葉を聞いて、珊瑚は麗美の勘違いを把握する。
麗美は真顔になり、状況をよくよく確認してみた。
二人の着衣の乱れはない。
完全な勘違いであった。
「じ、冗談ですわ」
顔を真っ赤にしながら言った麗美の言葉に、苦笑いをする珊瑚と紺々であった。