三十三話 星貴妃の奮闘記録
国中から美しい男を集め、皇家と繋がりのある娘と時代の皇帝を産ませるために用意された四つの後宮。
星貴妃はその中の一つ、牡丹宮の主である。
国内の四大華族、星家の娘であり、皇家と血の繋がりのある者であった。
――己よりも強い男と結婚をする。
このような条件を掲げていたため結婚適齢期は疾うに過ぎ、二十四となっていた。
そんな中で、皇帝崩御の知らせが届いたのと同時に、おかしな計画が書かれた紙面が届けられる。
四つの後宮を建て、皇家と繋がりのある四大貴族の娘を置き、国中から集めた男を侍らせ、初めに生まれた男児が次代の皇帝であると。
その決定は、知らされた者すべてに衝撃が走る。受け入れ難い話であったが、国内の状況を考えれば、受け入れる他ない。
星家から二人の候補が立てられた。本家の星紅華と、分家の星華蓮。
星紅華は二十四と少々薹が立っており、星華蓮は子どもが産めるか微妙な年頃である十一の少女であった。
当主は悩んだ結果、自らの娘――紅華を後宮へと送ることにした。
選ばれた本人はとんでもないことに巻き込まれたものだと憤慨していた。
皇帝が崩御し、次代を継ぐ者がいないのならば、今の王朝は終わらせて、新たな統治者を探せばいいのではと思う。
皇族は血統を大事にしているが、皇のその血を辿れば、蛮族に辿りつく。皇帝の座は血で血を洗い流しながら、歴史と共に挿げ替えられているのだ。
わかりやすく言えば、皇帝の首を取った者が、次代の皇帝となる。
今回も、そういう風に強き者が皇帝になればいい。彼女はそう主張したが、父である星家の当主はそういうわけにもいかないと言う。
まず、四大華族の力がどれも同じくらいで、争えば共倒れになる可能性が高いこと。
次に、先の戦争の影響で、国力が衰えているということ。それから、国内飢餓の傾向にあり、内乱を起こしている場合ではなかった。
現在は中央政治機関である三省吏部が上手く機能しているので、なんとかなっていた。しかし、それも長く続くかわからない上に、政界には野心を抱き、政権奪取の機会を虎視眈々と狙う者がいないとも限らない。
よって、早急に、新しい皇帝が必要だったのである。
話し合った結果、四つの家が平和的に次代の皇帝を決めることができる仕組みが、今回の後宮であった。
ここだけの話だと前置きされ、父親は娘に話す。星家としては、皇帝の座を得ることに、興味はないと。
星家の領地は独自に発展している。よって、帝都で天下を取る旨味はあまり感じられない。
それならばと、しぶしぶと生まれ故郷を離れて存在しない皇帝の妻となる決意を固めた。
こうして、彼女には『牡丹宮』と『貴妃』の位が与えられ、星貴妃が誕生することになる。
ぼんやり過ごしていたら、誰かが皇帝を産むだろう。
そう思っていたのに、想定外の事態となる。
牡丹宮に集められた女官と美しい男達は、皆が皆、ギラギラしていた。
女官は星貴妃に気に入られようとすり寄り、男達は皇帝を産ませるために媚びを売ってくる。星貴妃の心に寄りそう者は、誰一人としていなかった。
毎晩夜這いに遭い、追い打ちをかけるのも疲れてしまう。
後宮にやって来た数ヶ月間は、ゆっくり眠れる日はないに等しかった。
心身共にくたくたになると、襲われた時に抵抗ができなくなる。
一回、服を脱がされ、強引に組み敷かれたことがあった。
星貴妃は男の急所を知っていたので、そこに膝蹴りを入れて難を逃れる。
ここでようやく、身の危険を本格的に感じたため、彼女は男に『腐刑』を言い渡した。
他の男達への、見せしめの意味もあった。
その晩より、夜這いは減った。けれど、まったくなくなったわけではない。
原因を辿ると、女官と繋がっている男達がいることに気付いた。彼女らが、寝所へと導いていたのだ。
即座に、その女官達を解雇にする。
害をなす者達は、次々と遠ざけた。
しかし、これだけでは敵ばかり作ってしまうことを、星貴妃はよくわかっていた。
続いて彼女が行ったのは、忠誠心のある女官への褒美であった。
他の後宮では禁止されている櫛や華やかな服を纏うことを許可した。良い働きをしたら、大いに褒めたり、菓子を与えたり、休日を増やしたりと、福利厚生の充実を図る。
そんな努力の甲斐あって、女官達は星貴妃に忠誠心を抱くようになった。
一方、鉄壁の要塞を築く星貴妃を前に男達は躍起になり、無理矢理にでも子どもを孕ませようと考える者ばかりになった。
彼女はどんどん腐刑を言い渡す。
そうこうしているうちに、牡丹宮の男は汪紘宇のみとなった。
男達を次々と腐刑にする星貴妃のもとに、新たな男を送り込んでこようとする猛者はいなかったのだ。
紘宇とは一度も会ったことはないが、女官の話を聞く限り、真面目で用心深い男だと聞いている。接触してくる様子もないので、気にも留めていなかった。
三十になったら妃から降りることになっている。現在、二十五となった。あと五年、耐えれば、お役御免となる。気の長い話ではあるが、耐えなければならなかった。
その後の牡丹宮はほどよく平和であった。
女官達は忠誠心の高い者ばかりで、唯一の男である紘宇が何かしてくる気配もない。
そんな中で、変化が訪れた。
汪家が、新しい男を牡丹宮に送り込んできたのだ。
金の髪に青い目を持つ、美しい男――珠珊瑚。
誰にも心を許さない星貴妃のために用意された者であることは、わかりきっていることであった。
他の男同様、媚びるようであれば敵と見なし、徹底的に排除する。
そう、心に決めていた。
女官達にどういう男なのか探りを入れさせたら、真面目な女官から堅物な女官まで、陥落していったのには驚いた。
皆、珊瑚に夢中になっていたのだ。いったい、どういう男なのか。
星貴妃に接触してくる気配は欠片もない。別の目的があるのか? そう思っていたが、珊瑚が牡丹宮内を探ったり、他の男達のように女官を誑かしたりような行動をすることもなかった。間諜である可能性はゼロに等しい。
言葉遣いも拙く、現在尚儀部で礼儀を習っていると聞いた時は、牡丹宮に送る前にできなかったのかと、問い詰めたくなった。
さらに、そのあと雅会に出るため、二胡の練習を一生懸命しているという話を聞く。
珠珊瑚――聞けば聞くほど、謎の男である。
ある日の午後。星貴妃はついに、珊瑚と邂逅してしまった。
たしかに、美しい男だった。金の髪は上等な絹のようで、青い目は今まで見た宝石の中でも一番美しい。
整った顔に品のある様子は、星貴妃も気に入った。
見目麗しく、明るい気質を纏った雰囲気は、見ているだけで心が華やぐ。
しかし、口から出てきた言葉は辛辣なものであった。
――「ずいぶんと女官共が騒いでいたが、別に大したことはないな」
――「元武官と聞いていたが、貧相な体ではないか。がっかりだ」
隙を見せてはいけない。そういう思いから、つい、虚勢を張ってしまったのだ。
珊瑚は青い目に、困惑と悲しみの色を滲ませていた。その表情を見た時にじわじわと浮かんだ感情は――加虐心か。それとも、庇護欲か。
今まで感じたことのないものが、浮かんでは消えてを繰り返していた。
不思議な気分を味わう。
それからというもの、過ぎ去る日々は平和そのもので、珊瑚が星貴妃に接触してくる気配すらない。
そんなある日、珊瑚と星貴妃は二回目の邂逅を果たす。
供も付けずに歩き回っていた状態だったので、焦っていた。
いつもの癖で気配を消して散歩をしていたが、相手も同じで、気配をなくした状態でいたのだ。
互いに驚いていた。
珊瑚を前にじわじわと後退していたら、背後が池であることにも気付かず、体の均衡を崩して転倒してしまった。
間一髪、珊瑚が星貴妃の腰を引き寄せたので、池に落ちることはなかった。
しかし、鍛えられた腕に抱かれた彼女は混乱状態となり、目の前にあった肩を全力で押し返す。
今度は珊瑚が体の均衡を崩し、背中から倒れてしまった。腰を抱かれたままだったので、星貴妃も一緒に転んでしまう。彼女が、押し倒したような体勢となった。
密着状態になり、夜這いをかけられた晩を思い出して、その時の恐怖が甦る。
けれど、それを悟られるわけにはいかない星貴妃は、ジロリと珊瑚を睨みつけた。
そんな彼女に、珊瑚は思いがけない言葉をかける。
――「セイ貴妃、私は、大丈夫です。あなたを、害したりしない」
ドクンと胸が大きく跳ねた。考えていることは、見透かされているのか。
害したりしないというのは、言うだけならば誰にでもできる。簡単に、信じるわけにはいかなかった。
いくつか、キツイ口調で責めるように言葉をぶつけると、珊瑚は口を噤む。眉尻を提げて、青い目は困惑の色が滲ませていた。
その刹那、星貴妃は気付く。この男は、他の者とは違うと。
男とは女を屈服させ、支配下に置きたい生き物である。
星貴妃が高慢な態度を取れば、表面上は従いつつも、目の奥では許せない、絶対に征服させてやるという感情が滲んでいるのだ。
しかし、珊瑚は違った。まるで、本当に星貴妃を案じているように見えた。
彼は本当に、何者なのかと思う。
その上、おかしなことまで提案してくる。珊瑚は狸を飼っているようで、癒されるので会ってみないかと。
変な男だと思った。
その後、珊瑚は星貴妃を寝屋まで送り、何もせずに去って行った。
ますます、変な男だと思う。
宣言通り、珊瑚は星貴妃に対し、何もしなかった。
まだまだ信用するわけにはいかないので、意地悪なこともしてしまった。けれど、珊瑚はそれにも気付かず、のほほんとしている。
それどころか、襲撃に遭えば武器も持たない身にもかかわらず星貴妃を守ってくれた。
珊瑚はなんの見返りも求めず、害を与えることもなく、野心も持っていなかった。
星貴妃は少しずつ、信頼し始める。
彼女の凍っていた心は、溶けかけていた。
襲撃事件から数日後、驚くべき事実が発覚した。
朱珊瑚は腐刑を受けた身であり、生殖能力がない男だったのだ。
なんの罪を犯したのか、話そうともしない。今まで見た中で、一番硬い表情を見せていた。
おそらく、珊瑚本人が何かしたわけではないのだろう。推測ではあるものの、誰かを庇って腐刑になったのだろう。勘だったが、そうに違いないと思った。
今になって、彼が星貴妃を害することはないと言い切ったわけを理解する。
そういう事情があるのならば、傍に置いてやってもいいのではと考えるようになった。
常に誠実であれ――願いを込めて、珊瑚に三日月刀を与える。
果たして、これからどうなるのか。
予想はまったくつかない。
けれど、牡丹宮は以前よりずっと過ごすやすくなった。ピリピリとした雰囲気も、和らいでいるような気がする。
それは、彼女自身が前よりも柔和になったからだということに、気付いていない。
これからも心穏やかに過ごしたいと、星貴妃は心から願っていた。